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「したかったの?」

「きょう、したかったの?」
「うん」
 即答だった。戸惑いも躊躇も謙虚も嘘もなくただ理性のおもむくままに男はあたしの中にすんなりと素直に入ってきた。
 男は時折ちょっとだけ声を出す。その声がとても気持ちがよくってつい無意識に出てしまった声だとはわからないと思う。
「したかった」
 あたしを組み敷きながらまた同じことをいう。好きなの? したいだけなの? そんなくだらない押し問答にもう疲弊したあたしと男はいよいよセフレという最終手段までランクが下がった。それでも誘われたら嬉しくなってしまうあたしはほとんどバカだ。断ればいいのに。それでもやっぱりまだ好きっていう感情があってだから割り切っているふうにみせているけれど顔が笑い心では泣いている。いつも。

 そんな劇団ひまわりにも所属をしていないけれど割り切った演技が自然とできるようになってから男は安心してあたしを以前よりも頻繁に誘うようになった。
 主に仕事にまつわることしか話さない。
 妻や子どもたちのことなどこの何年も聞いてはいない。昔の方が家族についてもっとおもしろおかしく話してくれていたような気がする。
 妻の前でする顔とあたしの前でする顔とはきっと別物だけれど妻はあたしのことを男があたしを抱いていることを知らないわけだしだからそれだけでもどうしてだか罪悪感などはまるでなくむしろ勝ったぞという気持ちの方が大きくなってしまう。
 不倫をしているのに。男はそれを不倫と認めていなくただの体を使ったオナニーくらいにしか思っていないからあたしとあったあとでも平気でうちに帰ることができるのだろう。
 好きでも嫌いでもないけれどまあやるだけならいいかという思考はまる見えであたしはときおりそれでも悲しくはなる。一応女だし。

「昨日さ、実家に泊まったんだよね」
 行為が終わって呼吸が整ってきたとき横から声がした。男は素っ裸で天井を見つめている。あたしは男のお腹に手を添える。その手を汗ばんだ手で握り返して、でさ、と話しを続ける。
「朝さ、菓子パンがあったの。一個だけ」
「うん」あたしはうなずく。
「おふくろがさ、これは弟の分だから。お前の分はないからね。といったんだよ。てゆうかさ、パンごときにさ。そもそも」
 へえそうそれで。あたしは先を促す。
「おふくろはさ、弟がいまだに可愛くて仕方がないんだよなぁ」
 はははと笑いながらベッドから立ち上がりソファーに移動をする男。
 男の弟はいまだに実家にいてそれも独身。確か39歳だといっていた。職業は税理士。男の会社も見ているし一応会社の役員にもなっている。きっと末っ子だし可愛い可愛いと育てられてきたのがよくわかる。けれどそういいながらも男は弟のことを嫌いじゃなくきっとお兄さんだし可愛いのだろう。喧嘩もしたことがないといっていた。6歳も離れている。
「なんかさ、いいじゃないの? 弟さんは愛されてるね。母にね」
 いいじゃんって、と男はいい、まあねそうかもなとつけたす。
「母のそばにいてあげるだけでもう親孝行だよ」
 急に平和な話になってけれど男はまんざらでもない笑顔を向ける。お前はさ、浮気してっけどな。とは決していえない。
 あたしには親がいない。親は死んだ。父親の顔も知らない。だから愛を無償の愛を知らない。だから家族団欒とか弟とか母とかそうゆう単語を聞くと吐き気がする。温かい家庭を。反吐が出る。こうゆう生い立ちのあたしはだから不倫を繰り返す。だって家庭を知らないのだから。きっと頭のどこかイかれているのだろう。
「お前さ、いつも冷たい目するのな」
 喋ることがなくなってくると男はよくそんなことを口にする。
「覇気がないな」とか「死んでるぞ」とか。そうゆうの。
「そうね。そうかも」
 ふふふとあたしは苦笑いを浮かべる。
「そんなあたしをあなたは抱くのね」
 嫌味だろうか。嫌味でもいい。それでも男はまだあたしに会いたがる。だってセフレだもん。
 帰りの車の中はいつも静寂でそして物悲しく挙句雨が降っている確率が70%をしめそして窓ガラスが曇る。
 ふと、運転している男の顔を見つめる。
 無駄にいい男だ。いい男だからセフレでもいいのか。それともセックスがいいのか。よくわからない。わかっているのは今さっきまであたしの中に男が入っていたということだけだ。
「またな」
 男は前を向きながらそれだけいってあたしの車の前でおろす。またねとかはいわない。そのかわり、おやすみという。
 まだ寝ないけれど。きっとその方が男は余計に普通にうちに帰れるはずだから。
 まあなんてあたしは優しいのでしょうねぇとため息をつき車に乗り込んだ。

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