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しにたい女

 くだらない。
 まったくもってくだらない。絶望感の淵に立たされ思わず7階の震度5が来たら間違いなく崩壊するであろうホテルの窓を開け初夏の夜気を室内に入れる。生臭い空気と入れ違いに入ってくる夜気のおかげでここから飛び降りることをなんとなく諦める。
 夜気はあたしの空っぽの体の中に侵入し38度くらいのお風呂の中のにいるような感覚にさせる。遠くに見える宝石のような街の灯りがすべてまあるく揺れて見える。乱視で近視でよかったなとこんなときだけとさっきの知らない男の顔をまともに見えなかったことに安堵をおぼえる。さみしいからか疲れているのかなげやりなのかいたく死にたいのかよくわからないけれどマッチングアプリでその日にあえる男を詮索し特に期待も夢もないけれどあってすぐホテルにいきそうして結果『くだらない』と後悔をしている無能なのはまさに『くだらないことをしている』あたしだ。
 いつからだろう。男になにをされても心が全く起動をしなくなったのは。むしろあっている最中のときよりもこうやって男が去ったあとが一番タチが悪く本当に死にたくなる。死にたい、死にたいと口でいっているときは絶対に死なないという説はあたしで検証されている。本当に死にたいのなら誰にもなにもいわずそっと死ぬのだろう。心は遠の昔に死んでいるけれどいかんせん肉体だけが生きているからその乖離が顕著過ぎてついていけないのだ。
 体を怠惰に使い男と寝る。寝ても寝てもなにも生産されず生産されるのは絶望と後悔と憂鬱だ。かといって好きな人ならどうかと問われたらどうか。心が嘘でも通っていたらどうだろう。それもよくわからない。きっと今までただの一人とも心を通わせた記憶がないのだから。
 
 男は汗だくであたしの上で腰を振り続けた。気持ちがいいだろう? なあ? となんどもなんどもつぶやいて汗を湿ったタオルで拭いながら。背中に腕を回して。 
 男は興奮しながらあたしの耳元でささやいたけれど、わっ、こんな汗だくの背中無理無理とは口にはしなかったけれどうるさいのでバックの体勢に変えたら、今度はバックでおねだりか。とまあ卑下した声を出し汗で湿った手のひらであたしの尻を掴んで開かせ被せてあるゴムが邪魔といい捨て奥まで入ってきた。
 死ね、死ね、死ね、と念仏のよう心の声は止まらない。死ねは背後にいる男に向かっていっているのか果たして自分にいいきかせているのかよくわからなかった。
 どう? よかっただろ? なんどもイってさ。女はいいよなぁ。なんどもいけてさ。
 肩で息をしながらいう男を横目でなんとなく目で追う。その輪郭はお腹だけ出ていて全くだらしのない体躯だなとつい目を伏せた。
 こんなくだらない男と。また死にたい願望がふつふつと沸き上がりもうどうしょうもなく立ち上がってシャワーを浴びた。頭から冷たいシャワーが男の汗や体液を洗い流す。冷たいままでよかった。お湯は決して使わない。いくら寒くても。このまま冷たいまま心臓麻痺で死んでもいいとさえいつも思う。
 シャワーから上がると男がタバコを吸っていてあたしもアイコスを手にとってソファーに並んで座る。薄暗い部屋に煙だけが充満して酸素が薄く感じた。
「……、な、なんか、」
 静寂な部屋の中、沈黙を破るよう男が話し出す。あたしはけれど先を促すこともなくぼんやりとアイコスを咥えている。
「投げやりだね。そっち。そんな感じがする。ってゆうか、普通さ、初めて会ってすぐにホテルにいこなんていわないよ。女からは」
 普通、かぁ。
 あたしは黙っていた。もう喋りたくもなくただ微笑んだ。目だけで。うるさいなぁ、やっといて説教垂れるのか。このばかは。くそッ。腹ただしいのも通り越しあたしは抜け殻になっている。
「死にたい」
 やや間があり男がシャワーしてくるね、といい終わったと同時ボソッとつぶやいた声に男はぎょっとした顔をしなにもいわずに浴室に消えた。
 今、ここでこの部屋から飛び降りたらこの男は殺人犯として事情聴取されるだろうしこのホテルだって自殺か他殺者が出たとネットや新聞に出て迷惑をかけることになるしなんて考えているうちに眠くなってきて裸のまままたベッドに移動した。
 背中を向けているあたしに男は先に帰るよと声を震わせフロントに電話をかけた。
「ホテル代はテーブルの上に置いてあるから」
 バタンとドアの閉まる音がしてああやっとひとりになったなと体が急激に弛緩する。会ってすぐに肌を合わせることへのストレスはきっと禁煙並みのストレスだと思う。
 ベッドから出てテーブルの上にあろうお金を確認する。
「よんせんななひゃくさんじゅうえん」
 普通さ、五千円置いてくだろう? 普通は。
 普通? 普通って一体なんだろう。
 いやいやこれでただしいのだろうか。ホテル代だしな。
 
 だから窓を開け『くだらない』を連呼したのだ。
「せこっ」
 死にたいとせこいと憂鬱だけが唯一の友達で、今日は死にたいさんがいやに登場をしあたしの中で駆け巡る。
 窓の外。嘘くさい街の灯りの宝石たち。本物を盗めば逮捕されるな。まあそれもいいかも。
 あたしはつい想像してクスクスと笑ってしまう。裸のままで。裸はなんて優雅で気楽で清々しいのだろう。
 ゆらゆらと揺れる街の灯りは徐々にぼやけてゆく。あたしの頬には生ぬるい夜気と生暖かい液体が頬を伝う。
「くだらない」

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