見出し画像

年度末の無職の平凡で何気ない一日

今日は平凡だけどたくさんの感情を抱いてしまって、何かを書きたいのに書きたい想いがまとまらない。

今朝もまだまだ妙に寒い朝だった。
ぼやけた鈍い水色の空には
思うようにピントが合わず、
どうにもこうにも
シャッターがうまく切れない。

朝が生まれる時間を
ゆっくりゆっくり慈んで
新たな一日を迎えたいのに、
時計の針ばかりがどんどん進み
わたしの時間は置いてけぼり。

そういうところは
まだまだ自由にならなくて、
空の向こうの近未来が
やってくる日を待ち望む。


それでも、
デルフィニウムと
カーネーションと
かすみ草を活け直し、
冷たい空気の下で
せっせと洗濯物を広げる。

家に流れるBGMは
『Innocent Days』
御存知だろうか?
ほんの少しばかり昔のアニメ、
コードギアスの挿入歌。
このアニメのことはよく知らない、
たまたま耳にして心を奪われた。
エンドレスリピートで
この清らかなコーラスを流すのが
最近のわたしのお気に入り。
そういえば、
Innocentの意味なんて
知らないじゃないか。
調べてみると、
あどけないとか初々しいとか、
そんな感じだった。


午前のうちに買い物に出かける。
平日の空いているショッピングモールが
このうえなく大好きだ。
久しぶりにゆっくり歩く。
今日はまだ買わなくてもいい物を
眺めては手に取って、
どれが今の暮らしに最適かと
一人でひたすら吟味する。
お金はあって時間がない頃、
有無を言わずに直感だけで
即購入が多かった。
直感も悪くはない。
けど、
そんな日々と比べたら
選ぶ時間があるというのは
なんと幸せなことだろう。

ショッピングモールのレジ係さんは、
機械操作が不慣れな年輩女性。
会員カードにたまったポイント数の
確認方法がわからない彼女から、
機械にカードを抜き挿しすることを
何度も頼まれる。
こんなことにも
穏やかに応じられるわたしは、
きっとしあわせになったのだ。


用事のあった文房具売り場の
隣の本屋を少し覗く。
山積みされた色々な種類の本が
わたしを圧倒しにかかる。
この世の中に、
本を出版できる人が
こんなに存在してるのだ。

本とは、まるで宝箱。
静かに開けば、
大切にしたい言葉達が並んでいる。
その言葉達が織り成す世界を凝縮した
タイトルの文字と、
宝物の中身を表現する装丁が、
言葉の世界への扉を飾る。

画面の中のあじけない
ゼロイチによる文字じゃなく、
自分の造り上げた世界を閉じ込めた
物理の形に価値がある。
だから、
手に取れる本という形を作ることを
夢見る人は後をたたない。

手に取ったこの本を欲しいと思った。
けれど買うのは差し控えた。
読まなければならない本が
家に山ほど控えている。
ふと、
作者の方のお名前を
どこかで見たと思ったら、
昨日コーヒーショップで読んだ雑誌で
紹介されていた方だ。
源氏物語をまともに読んだことがない、
だから読みたい。
そう思ってめくっていた
源氏物語の特集ページで
紹介されていた作家さん。
こういうご縁は大切にする。
この方の訳を読むことに決めた。
ただし、
もうちょっとわたしに
時間ができてから。

この人の本が欲しい、なんて
いつか思われてみたいよね。
それにはインプットもアウトプットも
全然足りないんだよ。
というか、
本当に書いてみようと熟慮してることが
まだ書けてないんだよ。


それにしても。

街の中のお歳寄りの多いこと。
だいぶ以前に書いたけど、
杖をつきながら歩く人が増える、
増える、増える一方。
漠然と未来が恐ろしくなる。
そんな方々と接触すると危ないので、
狭い通路では必ず
先方の通行を優先する。
出来る限り自力歩行しながら
今後を生きていたいよね。
運動の大切さを
あらためて思っちゃったりする。

いろいろと見ていたら、
あっというまに2時間経過。
ヤバいじゃないか、
駐輪場の料金無料は
2時間までだというのに。
何かをちょっとでも安く買おうが、
1時間100円の料金が発生したら
ばかみたい。
こうして結局時間に縛られ、
慌ててお店を後にする。



家に帰ったら途端に疲れを感じる。
駅前や街に出ると
酷く疲れを感じるのは、
若い頃も同じこと。
2時間外にいたら、
家で2時間休まないと回復しない。

テレビをつける。
録画したワイドショーを
早送りで見ていたら、
体幹トレーニングの紹介動画が
流れてきた。
寒くて体が動かなかったし、
ちょっと痩せたからといって
最近気を抜いていた。
やっぱりちゃんと運動しなくちゃな。


一年前には暴かれていなかった出来事が、
ワイドショーを賑わせている。

──── 一年か、
仕事をやめてちょうど一年になる。

愛しいあの人が入力したであろう文字を
スマホの画面の上からなぞりながら考えてみる。

この一年で、
わたしは何をしたのだろう?


とりあえず、
『この一年で
わたしがチャレンジした10のこと』、
みたいなnote界受けしそうなタイトルの記事を書くほど何かしたわけじゃない。

───── 何してたかって。

闘ってたんだよ、
自分のことじゃない絡みで。
今日だって、
その蹴りをつける電話を
しなきゃいけない。

でも、振り返れば
それなりには平穏に生きてきた。

嫌なことから離れて、環境を変えて、
以前よりはほんの少し自分を整えて。

しあわせになりたいからと、
こうして歩いて来た。

それに、
指折り数える程度だけど、
めちゃめちゃ幸運だと思うことだってあったよ、ちゃんと。

それから、鈴木亮平さんが超絶カッコいい役者さんだってことに気がついた。

そのうちwebライターになる、
なんてタグをつけながら、
花屋で働くのとどっちにするのか
まだまだ迷っている。
一度に両方やるほど器用じゃない、
っていうか、
並行作業が苦手なんだよ、
HSPだから。

充分に迷えばいい。
迷うのは、
今やるべきことじゃないことの証し。
ただ、webライターの勉強はしようと決めている。
なろうスイッチが入ったら、なる。
やってみて、
やっぱり向いてないやと思えばやめる。

ちなみに、
カメラは止めるつもりはない。
遅々としてなかなか上達しなくても、
死ぬまできっとわたし達が見た空を追う。
そんなわたしが今読み進めたいのは、
荒木健太郎先生の空や雲の本たちだ。

───── 時間切れだ、
書くのはもうやめよう。

乾いていない洗濯物を取りこんで、
あったかい夕ご飯を用意しよう。


あいかわらず
『Innocent Days』
を流してる。
なんだかね、
この曲を聞いていると、
何かに挑む力が湧いてくるのよ。
歌声、メロディー、曲調達が
わたしを奮い立たせてくれるのよ。

50年近くも生きてるわたしに、
初々しいとかウブだとか、
そんな言葉は不似合いすぎる。

けどね、
世の中には知らないことが
まだまだたくさん溢れてて、
初めて見るもの、触れるものに
まだまだたくさん出逢えるはずで。

これからのこの国が憂いしかなくても、
いや、憂いしかないからこそ、
身の周りのささやかな世界に
自分にとっての安心や美徳や癒しを
見つけ出していくしかなくて。
それらは探せば必ずし見つかる、
わたしはそう信じて生きる。

時間て、足りないな。
時間はいくらでも
工夫して作れるって言う人がいるけど、
作るにも限度があるんだよ。

今まで生きてきて刻まれた充実感と引き換えに失っていた世界線。
それを取り戻すためには、
一日24時間なんて、
わたしには全然足りない。




この記事が参加している募集

#休日のすごし方

54,493件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?