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今を生きるわたしと、これから先のわたしの生き方。

 夜の10時。
 深い夜の闇を知る前に、まろやかな肌触りのケットに一人くるまる。
 寝具の中に徐々に籠りゆくわたしの体温は、世界で一番わたしに優しい。まるで自由にうたた寝を赦されたように、心地よい眠りにほどなく落ちてゆく。
 温活も睡眠も大切だ。
 身体を温めてちゃんと眠って、少しでも健康でいられるように、わたしをきちんと回復させる。


 朝の4時。
 ピピピピ……と小鳥のさえずりのような目覚まし時計の音で目を覚ます。

 白地に葉緑色ようりょくしょくの波線模様が描かれたカーテンの隙間には、鈍くも明るい光が溢れている。
 既に夜が明けているとは。これが夏至の時期の太陽の力なのだ。

 寝転がったまま、うーん、と伸びを3回。
 それからうつぶせになって、『 猫の伸び 』のポーズ。
 両腕を前にめいいっぱい伸ばして、おしりを後ろにぐっと突き上げる。
 しっぽがあったら、それもぴんとまっすぐ立てるつもりで。………猫が伸びをする時に、そうやってしっぽも立てているのかわからないけど。


 起き上ってキッチンへ行き、冷蔵庫から炭酸水のペットボトルを取り出して、必ず三口は飲む。一口目は乾いた身体に、二口目は便秘気味のお腹の調子が良くなるように、そして最後は少しでもわたしが全体的に潤うように、願いを込めてボトルに口付ける。


 ベランダに出ると、生まれたての朝の空気の中で、存分に深呼吸する。
 薄い霞のような雲が広がり、それが途切れているあちこちの僅間から、ほんのりピンク色に染められた水色の空が垣間見える。
 天気は悪くなさそうだ。
 今から洗濯機をかけてしまおう。

 
 わたしが住む街は、残念ながら風光明媚で自然豊かな土地ではない。

 望んでないのに付近の光景のひとつになっている首都高速からは、ほぼ絶え間なく車の走行音が聞こえてきて、たまに息苦しくなる。
 眠らない街にいながら、夜空に宝石箱をひっくり返したように星屑がきらめく奥飛騨の空を思い出す。ああいう所なら、きっと日が沈めば身体を休め、日の出とともに活動を始めるという健康的な毎日が当たり前なんだろうな。
 自然のサイクルで生きることへの羨望で胸が膨らむ。
 けれど、そういう土地へ移り住みたいと思いながらも、最寄りの駅から徒歩5分、何の工夫もない無難な間取りだけど風水的にはかなり最強じゃね?ってレベルのこの部屋を、きっと手放すことはないのだろう。
 長年暮らしてすっかり愛着が染み渡っているし、ベランダの目の前には、桜の木と名前のわからない木が競いあうように枝を伸ばして、空と若葉のコントラストを毎日見せてくれている。


 南向きのベランダの下、マンションの敷地の外には、東西の方角に歩道がまっすぐ通っている。
 その道でウォーキングをしている、ご夫婦らしき二人連れがいる。
 いいな、一緒に早起きして一緒に一日の始まりの空気を味わいながら、軽く運動をして身体に活気を巡らす。
 わたしにも、そんな相手ひとが欲しかった。
 どこにいるの?わたしのツインレイ、出会えないまま、貴方の顔と体温を知らぬままで、わたしの一生終わるのかしら………なんて、通りすがりのたぶんご夫婦から、勝手に魂のつがいを求めては、恋しく、そして虚しくなってみたりする。


 そんなわたしの目に、よくわからない人が自転車で歩道をふらふらと走行している様子が飛び込んできた。

 坊主頭で、一見は50代くらいの男性に見える顔立ち。
 肌色とも茶色ともオレンジ色とも言えない色彩のノースリーブを身にまとい、同じ色のスカーチョを履いている。
 そんな人が、自転車を超低速で漕ぎながら、辺りをきょろきょろと見回しているのだ。
 ただし、この『 よくわからない 』というのは、わたしの知識と認識と価値観では簡単に表現できないから、そう思ってしまうのだろう。
 多くの男性はスカーチョを履かない。
 逆に、女性だとしたら丸坊主というヘアスタイルにする方が珍しい。
 そして、自転車というものは、今にも倒れそうなくらいによろよろと乗るものではない。
 ………けれど、わたしが勝手によくわらかないと思っているだけで、あの人にとっては、身なりも行動も、何一つ不可解なことはないのだろう。

 世の中には、色々な人がいるのだ。

 わたしだって、何をしているのか傍から見たらよくわらかない人なのだろう。
 これだと名乗れる肩書があるわけでなし。
 何かでランキングされるほどの大金持ちなわけでもなし。

 けれど、最近よく思う。
 大金持ちには特になりたいと思わない。
 わたしが死ぬまでわたしでいられて、管理に手間のかからない程度の財産があればいい。
 何とかer、何とかist、という肩書を名乗れなくても、これからのわたしはとりあえず好きに生きてみたらいいんじゃない?
と。

  再び空を見上げて、10回深呼吸する。
 志賀一雅先生の著書「 神様の周波数とシンクロする方法 」で学んだ、深呼吸のしかた。
『 よかった 』
と思いながら、大きく深く息を吸い、
『 ありがとう 』
と思いながら、ゆっくりと息を吐く。
 これにはきちんと理論があって。
 ごく大雑把に説明すると、よかった、と感じる時は、脳の中の喜びを感じるA10神経が働く。
 ありがとう、の方は、感謝を表現するA9神経が働く。
 この呼吸を繰り返すことで、両方の神経が活性化する。すると、7.8ヘルツという癒しの周波数の脳波が生まれやすくなる。
 これが、赤ちゃんの脳波や宇宙のエネルギーの周波数と同じなのだそう。
 生まれて、まだ擦れていない、人間という生き物本来の周波数や、空のさらに向こうにある解明されていない不思議な空間に漂う周波数。
 それに自分を合わせやすいのが、先程の深呼吸の方法とのこと。

 深呼吸を繰り返していると、穏やかながらも、生命と宇宙が調和したとんでもなく壮大な流れの中に身を委ねている気分になれる。

 引き寄せやスピリチュアル云々みたいな本は20年近く前から知っていて、色々読んではみたけれど、この先生の本がわたしの人生で最もすとんと腑に落ちたもの。
 この分野を突き詰めたら、目に見えぬ、はっきり説明できぬスピリチュアルを、明解な理論で説明できるんじゃないかと思える。

 でも、それを探求するのは、もっと物理学などに詳しい方々におまかせしたい。
 わたしは、細かく難しいことは知らぬまま、感じるままに空を眺めて静かに暮らす方が断然むいている。


 深呼吸で朝のエネルギーに満ちた空気の取り込みを終えたら、ベランダの片隅にある日々草にちにちそうに水をやる。
 毎日の水やりだけで、虫がつくこともなく簡単に枯れることもなく、次から次へとシンプルで小さな花火のような花をぽん、ぽんと咲かせ続けてくれる。
 スーパーずぼらなわたしでも、いつも元気にお付き合いしてくれる、見た目は小ぶりなのにとてもおおらかな子だ。

 そのうち花屋で働きたいとか言いながら、ガーデニングを喜々として頑張るほど花が好きなわけじゃないんだよな、大丈夫か?わたし、最近は手首に力を入れるとなんだか痛むし………と思いながらも、やってみようと思ったことはやってみる人生を貫くのだと思いなおす。
 

 手首のことは、もう10年以上お付き合いしてくださっている整体の先生に聞いてみよう。っていうか、そろそろまた整体に行かねば。


 ───── さて。
 昨日は比較的穏やかに暮らせた。
 今日も穏やかでありたい。
 今の目標の断捨離を進めて、後悔のないように書きたいことを書いてみて。
 
 来週になったら、ネットでカメラを注文しよう。
 Nikonで今キャンペーンをしている、エクステリアを好みの色に無料で張りかえてくれるデジタル一眼レフ、それが欲しいのだ。
 本当はきでるだけカメラ本体が軽い方がいいし、超絶初心者のわたしでも取り扱いが簡単な物が欲しいけれど、それに該当する機種が全然わからない。
 とりあえず見た目が好きで、『 風景写真を撮るならNikonがよい 』『 空の色がそのまま美しく撮れる 』というネットでどなたが書かれた記述を信用することにした。
 カメラのスペックなんて、ネットでいくら調べただけじゃ全然わからない。カタカナと数字とアルファベットが当たり前のように羅列していて、カメラの話っていったい何語だろうかと思ったりする。ちゃんと初心者向けの本を買わないとだめだろうな。
 カメラに詳しい友達もいないし、いつでもわからないことを気軽に優しく教えてくれる人と知り合いたい。

 それはそれとして、カメラが届くまでに家をもっと片づけて、カメラ置き場を作ろう。
 そして、平日のお天気のよい日に、気軽にカメラを手にして自転車でぶらりと出かけて、日常の中に潜む一瞬の美を探って撮り残す旅に出よう。
 そして、時には、写真を撮ってみたいという絶景に出会うために、遠くへ足を伸ばすのだ。
 来年は、近隣で名物のあじさい寺に行きたい、ネモフィラの広がる花畑も歩きたい。
 ここかしこの神社の写真も、もっと色々と撮りたい
 死ぬまでに、『 こんなキレイなもんあったんやなぁ 』と思えるものに、一つでもたくさん出会いたい。
 ツインレイに出会うのは難関かもしれないけれど、キレイだと思えるものは、探しに行けば必ず出会える。


 ───── でもね、キレイなものにたくさん出会ったその先の世界線の果てで、そのカメラでツインレイの姿を撮る時がきっとやって来る。
 「 こんな歳になっちゃったけどやっと逢えたね 」って、照れ笑いしている彼の声に身体が痺れる。震える指先でどうにかシャッターボタンに触れながら、ああ、わたし、この瞬間のためにここまで何か書きながら写真撮って生きてきたんだなって、ようやく魂の底から納得するんだ。
 そののち、春夏秋冬の一巡りを何度か見届け、最低限の物しかない片付いた部屋の中でそのカメラをいじりながら、年老いたわたしが満足そうな顔をして眠るように息を止める。


 いつか誰かが、そのカメラに残されたデータを開いてみたら、たくさんの空と神社と花々と、笑っている彼だけが残されている。
 それを見つけてくれるのは、残念ながらツインレイの彼ではないんだろうけどね。


 そうそう、カメラと、あとたぶんデータ保存のためのSDが必要なんだよね。
 人物を撮るにはNikonじゃない方がいいらしいけど、絶対駄目なわけでもないだろうから、彼を撮るために勉強して腕を磨いておかないと。

 ────── ゆっくりマイペースで生きて行きたいけれど、生き方をこじらせたままアラフィフなんてものになると、穏やかに夢を追い満たされて命の旅路を終えようとするなら、ぼんやりできる時間は案外少ないんだよ。



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