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1−3 魔女


黒瀬花春、年齢は34歳、血液型はAB型、好きな食べ物は甲殻類、座右の銘は『賢明は愚者の賜物』美術の入り口は鴨居玲。美大卒業後グラフィックデザイナーとして活動する傍ら、隔年に小規模な個展をロングランで開催する。美貌と作風が相まって、サブカル雑誌に度々紹介される新進気鋭のアーティスト。なのに大規模な業者に設営を委託する金は無いらしい。

何故こんなに詳しいか?下調べは万全だから。この手の人にはどこに地雷があるか分からない。ご機嫌取りは次の依頼への重要な布石だ。彼女から内装の説明を受けた私は建物外に設えたパラソルの下、優雅に紅茶を嗜んでいた。

「花春さん、とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「勿論です」
「何故設営を自分で賄うのですか?当然その手に詳しい仲間や、花春さんなら手を貸すという人は大勢いらっしゃると思うのですが」
「そうですね、それはそうかもしれません」

言うと彼女はシュガーポットの蓋を開け、中に籠もった角砂糖を一ヶ拾い上げ、自身の口に放り込んだ。濡れた舌の熱でじっくり溶かしながら、彼女は深い呼吸を繰り返す。宛ら危ない光景だ、私は彼女の返答をただじっと待った。

「他者の想像的個性が介入するのが嫌なんです。芸術家は漏れなく皆エゴイストです。個性という名のエゴイズムを持て余した獣ばかり……そんな人たちに私の作品を触れさせたくありません。獣は必ず爪痕を残します」
「なるほど、納得は出来ます」
「同様に、善意を私は信頼していません。私に手を貸す、その見返りは?善意は全て見返りを母体に生まれます。それは天国への切符であったり、飾り気の無い呪文であったり、自己統御の足がかりであったり……それが私には目敏く映るんです。善意は人目に触れた瞬間、腐敗の一途を辿ります。私は腐ったものが嫌いなんです」

それはてんで納得は出来ないが、彼女も共感なぞ求めちゃいないのだろう。私は返事もせず、彼女の傷だらけの指先を眺めていた。細い、だが皮の厚い指先。中指と薬指だけ異様に伸ばした長い爪。彼女は雑誌でこうも評されていた。『孤立した魔女』

「その点、来てくれたのが貴女で本当によかった」
「何故ですか」
「砂糖を食べると、皆気持ち悪い目で私を見るんです」
「誰だってカロリーは摂取します」
「そう、そういうところ。貴女の想像性は常に貴女の内側に向いている。表層的な興味はお飾りの薄皮一枚だけ。他者の想像性に頓着しない哀れな独善性を、私は心から信頼します」

酷い言われようだ。遠くでトラックのクラクションが鳴った。道端に狸でも現れたのかもしれない。私は建物の一室に戻り、作業着に着替える。繊維が強固、そして柔らかい、使い古した黒の上下。私の着替えを黒瀬花春はただ無言で眺めていた。私はただ無言で着替えていた。生六面体の中に女が二人。私たちは二人、獣を持て余していた。



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