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o reche mode to edire di za tau dari do padera coco 1章 柿崎早苗 1−1 1−2 1−3 1−4 1−5 1−6 1−7 1−8 1−9 1−10 1−11 2章 昔話 2ー1 2−2 3章 黒瀬花春 3−1 3−2 3−3 3−4 3−5 3−6 3−7 3−8 3−9 4章 クガ 4−1
灰色の街角でぐしゃぐしゃの猫を見て私は悟った。赤って綺麗な色なんだ。 直ぐさま会社に連絡した。「すみません、母が倒れました」聞き分けの良い上司の二つ返事を号砲に画材屋へ走る。開店前の店先に鼠が一匹。少し考えて行き着いた考えはコレ。「私が女に生まれた理由は今この時、ヒールを履いている為だったんだ」鼠の目の前にMacBookを忍ばせた鞄を投げつけ、勢いよくジャンプした。鼻の穴を開いて、そこに流れ込んでくる冷たい冷気、鼻腔を抜ける頃には湿り気を帯びた空気、肺に届く頃には真っ赤な熱
『睡蓮』モネと言えば誰もが思い浮かべるこの絵画。駄作だ。『日傘をさした女』これも駄作。モネの手腕が真に冴え渡るのは赤だ。シヴェルニー並木道、ひなげしのアルジャントゥイユ、日本の橋……学生時代、美術館で体感した何とも言えぬ高揚感、セクシュアルなインパスト、震える足取り、釘付けの眼……私はまだ知らなかった。その感覚は欲情だ。 「お母さん、残念だったね」 「いえ、ご心配おかけしました」 禿散らかした上司の頭皮、塗りたくってやりたくなる。赤を、ドロリとした蠱惑的な赤を。眼鏡越しの
黒瀬花春、年齢は34歳、血液型はAB型、好きな食べ物は甲殻類、座右の銘は『賢明は愚者の賜物』美術の入り口は鴨居玲。美大卒業後グラフィックデザイナーとして活動する傍ら、隔年に小規模な個展をロングランで開催する。美貌と作風が相まって、サブカル雑誌に度々紹介される新進気鋭のアーティスト。なのに大規模な業者に設営を委託する金は無いらしい。 何故こんなに詳しいか?下調べは万全だから。この手の人にはどこに地雷があるか分からない。ご機嫌取りは次の依頼への重要な布石だ。彼女から内装の説明を
個展『始まりに帰る終わりに告げる』黒瀬花春の作品は、基本的に絵画、彫刻、文章、この三点に絞られる。寸分単位で刻まれた所定位置に、最新の注意を払って作品を拵えていく。この作業が最も精神を疲弊する、一点何十万何百万するか分からない、このプレッシャーに耐えかねてリタイアする若手は多い。私の取り柄は汗を掻かないこと、信頼に足る体幹を兼ね備えてることにある。 作業はものの五時間で終了した。馴染み無い人間には途方も無い時間に感じられるかもしれないが、この小屋の規模でこの速度は中々に無い
赤いハンカチ、私のものだ。 「安心して下さい、私の血は清潔です」 黒瀬花春はそう言った。幼い頃から胸に疾患を患っており、突然の鼻血は投薬による副作用らしい。アルコールは平気なのかと聞くと「アルコールは胸に良い」そうだ。簡素な街並みに不和を齎す高尚なバーで、私たちは肩を並べていた。 「早苗さんは……そう呼んで良い?」 「勿論です」 「早苗さんはどう思った?私の個展……何か思うところがあったら」 来た。この手の質問への解答は、基本テンプレートがある。それは内省を気取ること
深夜二時、最終的にタクシーに乗り込んで、私は都内の家路についた。玄関を開けると「おかえり、遅かったね」母親気取りの姉の一声。「飲んできたの?何か食べる?」食なんてどうでもいい。私の心は黒瀬花春の赤に首ったけだった。それ以外喉を通る気がしない。『暇なとき、遊びに来てね』彼女は私にそう言った。その日が待ち遠しい。「早苗、大丈夫?気分悪い?」うるさい女……私は無言の内に浴室の前で衣服を脱いだ。ぬるま湯に浸かり、臀部に微かな痛みを覚える。そう……私は再現できなかった、あのどす黒い赤を
どうやって黒瀬花春の赤を奪おう。頼み込んでみるか「貴女の赤を頂けますか」馬鹿げてる、現実的じゃ無い。「丁度良い赤の塗料を探してるんです、お力添えを……」コレも駄目、彼女は芸術家を嫌っている。私に向ける好意も私の枯渇した芸術性に因んだものだ。それにいざ赤を貰えたとして保存はどうする?掘り下げられたら?違う、本質からズレている。私は彼女の赤を手に入れてどうしたい?眺めたい。いつかの画廊で運命に捕らわれるあの瞬間、あの鼻腔の奥を突く目眩を感じたい。香りたい。鼻の穴に塗りたくって、そ
クガちゃんは、所謂昔馴染みだ。仲は良かった筈。家族ぐるみの付き合いで小中高、同じ学校に通い、同じ美術部に在籍していた……らしい。彼女の口ぶりから察するに、そうだった筈、よく覚えていない。しかし奇妙な感覚だ。私たちはもう学生服の似合わない大人の女性、でもこうして肩を並べていると青い感性が再び発芽してくるのを感じる。ある程度の酔いが進んだ頃合い、クガちゃんは清涼感のある声で尋ねた。 「まだモネとか好きなの?」 「モネ?」 「モネの青、好きだったじゃん」 「嫌いだよ。モネの魅力は
黄金色の空、透き通る地平、亜麻の大地、何も無い世界。私の身体は……ある。訂正、私以外何も無い世界。奇妙な世界観だ、こんな画風の作家がいた気がする、誰だっけ?分からない。私が少しの頭を回すと藍色の雲が上空に孤を描いた。黄金色の空、藍色のドーナツ、透き通る地平、亜麻の大地、一つのカンバス……。 カンバス?カンバスだ。恐らくM12カンバス木枠側、その陰に隠れて丸椅子が一つ。私は怖気無く近づき、カンバスの表面を覗き込んでみる。それは一面の青だった。アクリルじゃ無い、恐らく顔料から溶
ホワイトな色調に突き経つ寡黙な輪郭が、来訪者の内容積を押し広げる。輪郭が攫われた時、私たちは目眩に襲われる。網膜を駆け抜ける景色が不意にその形を見失ったとき、溶け合う世界に対し、私たちの視点はその許容を超えるのだ。黒瀬花春の個展『始まりに帰る終わりに告げる』が示唆するもの、それは如何に我々の認知が不明瞭な輪郭に覆われているかーーー 「……くだらない批評です」 黒瀬花春は開いた掌をそっと紙面に覆い被せる。その仕草が物語るのは、寡黙な失望だった。 「貴女の雑誌からは、言うに
黒瀬花春は自身から流れ出る赤に気付いていないようだ。その赤は彼女の上唇を伝い、まるで涎の様に彼女の口の端から白のテーブルに零れ落ちた。ポタリ、微かなその音に彼女はようやく己の赤に気付いたようだ。ポケットに忍ばせたハンカチでサッとテーブルを拭う。綺麗だ、何もかもが。私は今恐ろしいくらいの充足感と飢餓を感じている。彼女の赤が目の前で、彼女の身体から滲み出ている。私はそれを鑑賞している。この時間が永遠に続けば良いのに。『逃しちゃいけないよ』欲望がそう告げた気がした。 「花春さん、
文字が闇に溶けた部屋 スポットライトに照らされた 真っ赤に溶けた唇の 可愛い化け物が言いました 「いらっしゃい」 震えが起こりました 握力が消えました 割れる音が聞こえました 足下が濡れました 甘く苦い匂いが立ち込めました すると化け物は笑いました そこで女であることを知りました 女は立ち上がりました 闇が彼女の顔を消しました その身体は赤黒く汚れていました 奥にカンバスが見えました それが何かは分かりません 穴のようにも見えました 女が近づいてきました 私は動けませ
白木希美は早熟でした 他人を見下しました 善人ではありませんでした でも彼女は綺麗でした 話術に長けました 身体が大人びてました だから愛されました 柿崎早苗は未熟でした 他人を見下したりしません 柿崎早苗は基本的には善人でした 語るに及ばない少女でもありました 一つの症状を除いては 症状は白木希美にもありました それは少しずつ彼女を蝕みました 彼女は蝕まれるほどに輝きました 事ある毎に胸に手を当て 己の虚無に爪を立てていました 二人は執着しました 二人は固執しました