見出し画像

テレビの前で、心で肩を組もうじゃないか

東京オリンピック2020開幕まであと1時間を切ったところで今、多くのことを振り返っている。それに関わり自体は大きくないはずなのに、私の心はこの東京オリンピックに一喜一憂したり、なかなか濃い時間を過ごしていたように思う。


今思うと、オリンピックの開催国発表で「東京」が提示された時の高揚感はまさにピークだったように思う。種目に野球が登録されそれが自国で開催されると分かり絶対にこの目で試合を観に行こうと決意していた当時私は18歳だった。私の中の最初の侍ジャパンはダルビッシュ有が躍動した2009年だった。当時とメンバーは当然変わるけれど、そのJAPANと書かれたユニフォームを実際に見られる可能性があることが嬉しかった、純粋にまだ喜べたのだ。

でもコロナは容赦なくその可能性を潰しにかかる。延期が決まり、再延期は不可能。そうなった場合自国開催の道は絶たれる。一年変わるだけで選手も変わる。今の侍ジャパンは幻になる。それにファンとして悔しさが芽生えたけれど、人の命と天秤にかけられたらそりゃ人の命をつなぎ止める方に賛成し、一年後の収束を願った。

そして今、状況的に重傷者数はワクチンの効果もあり減少したが、圧倒的新規感染者数。その中で今日、2021年7月23日の20時に無観客でオリンピックが開催される。それを素直に喜ぶことはやっぱり出来ないでいる。いくら野球ファンであっても侍ジャパンに憧れを抱いていても、万歳は出来ないのだ。

(日ハム伊藤君の選出に心が動いたけれど。)


〜〜〜

世情では「東京オリンピックは開催されるべきではない」の意見が大多数、少なくとも私を含めて両手を挙げて賛成派の国民の方が少ないだろう。それはやっぱり一般生活で多くの規制がかかり我慢している中、個人の健康面と経済力が保証されない中での開催は矛盾のように感じるからだ。

IOCバッハ会長は「オリンピックに関係するコロナの観戦は100%ない」と提言していたけれど、実際すでに80人以上のオリンピック関係者での感染が確認されている。正直な話バッハ会長の話を鵜呑みには誰もしていなかった。必ず感染者が出る、それは仕方のないことだと思って構えていた。それでも蓋を開けたら想像よりもその人数は多く、だからこそ明言したことと、安全性を少し舐めた中での開催決定への上層階だけでの決断になったことが一国民として心に突っ掛かった。

試合を観たい、現地観戦じゃなくてもテレビ中継でもいいから観たい。その気持ちに嘘は何一つないのに、素直に割り切れる人間が一体どれくらいいるのだろうか。


野球に限らずそれぞれの選手の気持ちを考えると、開催されて良かったと思う。それでも、じゃあオリンピックが終わった後、現実の私たちの世界はどうなっているのか。その後の保証はされているのか、何も先が見えていない。それこそがコロナが始まってから今の今まで変わらない現実なのだ。誰かの夢を応援する代わり、私たちの現実は厳しい。そんなふうに思って何とも言えない感情を抱える自分が可愛げがなく、でも多分一番素直なのだと思う。


とは言っても、もう45分後には開会式が始まる。先のことはわからないし、きっとまた爆発的な波が私達を待ち受けているだろう。それに怯えることになる自分が生まれるのも当然だろう。でも、もう始まるのだ。

ならば、もう腹を括って、一旦憎しみは外に追いやってテレビの前で遠くの人達と心で肩を組もうじゃないか。夢の舞台を家で応援するしかない。選手が悪いのではない、オリンピックが悪いのではない。その当たり前を忘れずにただ、汗を流す格好良い「人」達を応援しよう。応援しよう。


それは選手のためでもあり、私達の暗い現実に打ち勝つためにも。今出来ることを蔑ろにせず「頑張っている人を応援する」その、人間的本能を全うしよう。

もう一度、ここで提案しておく。

テレビの前で遠くの人達と心で肩を組もうじゃないか。

気持ちはみんな一緒なのだ、私達は誰もがオリンピック開催の楽しみと、モヤモヤを両方抱えている。一人だけはないのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?