正しい「鉛筆の持ち方」が出来るようになりました。
今日は自分のことを大きく褒めてあげなければいけない。
25年間直せなかった「鉛筆の持ち方」。このnoteに記録してから毎日毎日以前よりも強く意識するようになった。その日々は指にタコを作りそして今日、ふと意識せずとも文字を書く私の右手は正しい「鉛筆の持ち方」が出来るようになっているではないか!!!「これは一生直せない癖だ」なんて半分以上の心は開き直っていたけれど、正せた時に得られる喜びの大きさを身をもって体感している今。
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「好きなことで生きる」なんてことは相当の運の良さと執念深さがなければ存在しないことで、それを口にして生きていける人は果たしてどれほどいるのだろう。「継続は力なり」には絶対的な裏テーマが存在し、それは「叶わない覚悟も必要」だ、とそんな気怠い考えの中で諦めて生きてきた。
私はなんでもすぐに諦める。自分より上手くこなす人がいれば「自分の出番ではない」とすぐに手放してきた。人と比べて「悔しい」という気持ちを感じることは薄く、どうせ負けるなら程々に平均点を目指せばいいや、頑張っても無駄じゃん、と何に対してもそのテンションで向き合ってきた。それはプライドのなさと言われればそれまでだけど、自分のことを信じてこなかったからだとも言える。過大評価ではなく過小評価を続けてきたのは傷が浅くて済むからで、疲れて泣く日々も訪れず、平穏さを求めてだったからかもしれない。だから喜怒哀楽が相手にも伝わらずぶつかることもあったのは大半私のこの捻くれた部分が理由だったということが今なら分かる。
そんな私がこんなにも「鉛筆の持ち方」一つで感動している。なんなら今日は金曜日、心が疲弊しているタイミングだったから泣きそうなくらいだ。もちろん大きな夢に対しては「叶わない覚悟も必要」という思いは捨てきれない。でももしかしたらこの「鉛筆の持ち方」くらい小さなことなら、早々に自ら身を引くのは勿体ことなのかもしれない、と今回のこの経験を通して大きく意見が変わり始めた。
そしてきっと、この小さな修正の積み重ねが結果として、大きな何かの形に変わるのだと思う。直すべき癖と残すべき個性と直結する癖を上手く見分け、改善してまた新たに見つけてまた改善して・・・その繰り返し。それを飽きることなく諦めることなく一生かけて続けられる人が”人”としての魅力を得て素敵な人になるのだろう。
セルフコントロールっていうのはきっとそういうこと。いる物・いらない物の判断を適切に行い、一つ一つ修繕していくことをやめないことが大切なのだ。私は今日から自分の中の気怠い感情との向き合い方を変えられる、そんな気がしている。
わかり切っていたことなのに体感したことがなかったことを体感して、私はトキメキを感じている。
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