72候【花鳥風月】秋分の候 2023
秋思にくれる秋の空 すとんとくれる秋の宵
暑さの区切りとなる秋分の日から、台風・暴風もだんだんおさまりはじめて、大気はつめたさをふくむようになります。
折々にひんやりした風をすいこむと、いよいよ秋だなぁと感じるようになって、肺はきもちよい冷たさをうけとると「秋にはたらく五臓の順番」がまわってきたとばかりに活発になります。
肺の感受性がたかまると周囲の気配や雰囲気に敏感になる説があります。
肺臓がつよいヒトは皮膚より外側にある「気のからだ」「陽気」とよばれる輪郭が発達し、オープンで開放的な性質となり、偏見なくどんな人でも受けいれるキャパがひろがるとも。
肺にすいこんだ空気を「天空の気」あるいは「陽気」とする東洋医学の発想では、陽気は肺から全身をめぐり、肌の表面にでてからだ全体をつつみこみ保護すると考えられています。
陽気のめぐりがよければ肌をまもる機能がたかまり、寒いときにはちぢんで肌(皮膚)を緻密にして汗をでにくくします。
逆に暑いときは伸長して肌をゆるめ、汗をよくだします。
陽気はからだのなかにある臓腑の表面もつつみこみ保護しています。
食べものから得られる「地の気」は、胃腸で熟成されたのち小腸へおくられ、いわゆる栄養分と精緻なエネルギーをよりわけます。
栄養分は「肉体に必要なもの」を吸収したのち、不要なものを大腸や膀胱から排泄します。
精緻なエネルギーのほうは脾臓を経由して全身に分配され、肺臓におくられたものは「天の気と融合して陽気になる」とあります。
大気が澄んでさわやかな風がここちよい秋麗、空をみあげれば自然と呼吸もふかくなり、無意識のうちに「気のからだ」が拡張することもあるかもしれません。
ひろがった気のからだはいつもより広範な世界にふれて、猫さまのひげや虫たちの触角のように、世界のあらゆる側面を感じとっているのだろうと思います。
情趣にそった秋思は、秋になると活発にはたらく肺臓と連動しているので、意識的に呼吸音をきくことで生きている実感をあじわい満足する説もあります。
呼吸に無頓着でいると、肺臓は「こちらを向いて」「気がついて」とばかりにだんだんと興奮し、「もののあはれ」は悲しみと自己憐憫に暴走して、息をふかく吸いこもうとすると泣いているときのしゃくりあげるような状態になってしまうとも。
肺臓の興奮を放置すると陽気はからだを保護できず外邪をはねかえせなくなって、過剰になった体内の熱が炎症をひきおこし、風邪をひいてしまったり鼻炎がひどくなったりすることもあります。
肺が興奮してきたなぁと感じたら、歌いながらからだをうごかします。
水泳でも、走ったり歩いたりでも、自分の息づかいをきくことができれば、からだは呼吸をふかく実感して、みずから息苦しさをつくりだし気をひく必要はないと感じてくれるようです。
日がみじかくなる秋分の日をさかいに、紫色にそまる夕陽はあっけなく過ぎて、ながい夜にドリームランドをたずねる時間もとりやすくなる季節にむかいます。
肺臓がやる気まんまんになっているあいだに、天空の気をたっぷり呼吸でいただきながら、からだの周囲にひろがるみえない触覚を存分に活用して、天高く陽気肥ゆる秋を満喫したいと思います。
秋分の候、2023年は9月23日から。
日本が心酔する葛、西洋を侵食するKuzu
姿形の美しさから、秋の七草にかぞえられる葛󠄀は、日本人のこころにふかく根ざす有用植物のひとつです。
夏の暑いさかりに冷やしていただく葛餅は四季をたのしむ格別なおやつになり、冬の寒い日にお鍋でいただく葛切りは、わが家でもお鍋マストハーブとなっています。
葛の根を乾燥させた生薬カッコンは、「葛根湯」という商品として流通し、いまでは手軽に入手できる漢方となりました。
エナジードリンクにしているかたも身近におおく、かくいうわたしも頭痛や肩こりが一晩寝てもなおらないときにはまいどお世話になっています。
大型のマメ科つる性ハーブで一日におよそ1mのつるをのばし、周囲の樹々にまきついて木肌をすべて覆ってしまうほどの繁殖力があります。
巨大にそだつ塊根は1.5メートルほどのながさに育ち、20cmほどの太さになりますから、掘りおこすのもひと仕事です。
塊根にたくわえられたでんぷんを絞りとり、乾燥させると葛粉になります。
水で溶いてあたためると、とろみのある葛湯になり、からだにはいりこんだ冷邪をとりのぞいてくれます。
葛の茎は糸に加工することもでき、フシギな光沢をもつ布になります。
通気性がよく、抗菌作用のある葛布は庶民の日用品から貴族の装束、武士の袴などにも活用されてきました。
葛布は新石器時代の遺跡から出土されており、日本では大宰府の古墳時代遺跡から出土しているそうです。
葛布のつくりかたは平安時代から伝承され、現代にもうけつがれています。
タフで成長がはやい葛は、ほおっておくとあっというまに繁殖して自由奔放につるをのばしてしまうので、現代では農耕地周辺でみかけることはめったにありませんが、土手や斜面をマントのようにびっしりと覆っている風景をときおり目にすることがあります。
葛におおわれた斜面は土壌がつよくなり、土砂流出を防ぎます。
「くず」という名の由来は古い時代、奈良県吉野川(現在の紀の川)上流に葛󠄀粉の産地があり、そこは国栖とよばれるエリアだったそうです。
国栖の人が行商していたことから、くずとよばれるようになったというのが通説です。
日本全土に自生し、フィリピン、インドネシア、中国やニューギニアにも分布する葛は、19世紀にアメリカが飼料目的で輸入して西洋社会に進出しました。
ところが葛のタフな生命力は遠慮会釈なしに草原をおおいつくし、つるは樹々にまきつき幹をねじまげ、土手にも道ばたにもすさまじいいきおいで繁殖するので、アメリカ人は「Kuzu」をおそれて侵略植物に指定、いまではせっせと駆除にはげんでいるそうです。
葉の裏面は白い毛を密生して白くみえることから、裏見草の異名をもっています。
花期は8、9月で、甘い香りをはなつ紫色の花を咲かせます。
葛の葉狐、信太妻
陰陽師、安倍晴明の物語は、日本の古典芸術から現代エンタメまで、色あせることなく語りつがれ、じっさい日本人のこころをとらえるナニモノカが根幹にながれているフシギ伝承のひとつです。
安倍晴明の母である白狐がヒトに化身したときの名は葛の葉姫。
葛の葉狐、または信太妻と呼ばれる異類婚姻譚で、大阪の和泉市にある信太森神社、通称葛葉稲荷神社は、葛の葉物語の舞台となった場所として、清明の母である白狐がすんでいたところとつたえられています。
葛の葉物語の概要を、松村潔先生の著書「日本人はなぜ狐を信仰するのか」から引用いたします。
「英雄的な人物の母は異界の存在という神話の類型がここに生きているのだが、この話が長く残る背景として、日本人にとっての普遍的な母は、現世には存在せず、自然界の背後にふかく埋もれているという構造になっていることがあげられる」
「日本人の心の構造に日本神話の伊邪那岐・伊邪那美の物語の元型が根づいている」と、著書にはつづきます。
大地をおおう植物界は地母神のふところ。
母なる地球、母なる大地というフレーズは日本にとどまらず世界共通思想といえます。
根源的な人類の母は、現世には存在せず、そのかわりに鳥や動物、虫たちを眷属としてつかわし、ヒトのこころをなぐさめてくれるのだ、とも。
白狐である葛の葉姫が詠んだうたにある「うらみ葛の葉」は「うらみてごらん葛の葉」のことで、みどり色のおもて面はヒトの姿、うら面の白毛におおわれたほうは狐の姿をあらわし、地母神の御使いだったことを示しているのかもしれません。
つる性植物は周囲の植物にまきついて、自身のおもさを支えてもらいながら成長してゆきます。
葛は巨大な根っこにでんぷんをたくわえて、ほんらいであれば自立するための茎や幹にまわす栄養分をつると葉におくって成長することができるので、つるをどんどんながくのばし、葉をマントのようにひろげて、周囲一帯の植物たちを梯子にし、光合成のための陽光をたっぷり獲得します。
この植生のおかげでつるはタテ繊維をおおくもち、大地からの水の吸い上げ力がつよくなり、発達した導管(水や養分をはこぶ管)が主要な構成要素となっています。
つよいタテ繊維構造によって、ひっぱりに耐える力の特徴をもったつるは、祖谷のかずら橋などにみられるような、川にへだてられた両岸をつなぐ橋の材として活用されてきた歴史があります。
(祖谷のかずら橋の材はマタタビ科のつる性植物、猿梨です)
タテ繊維を発達させたつるは、水の吸い上げ力がつよいので大量の樹液を含みます。
たかい樹木にまきついたつるは、そのなかに流れる豊富な水を天高くのぼらせて、水は低きに流れるものという地の理をくつがえします。
ことわりのちがうふたつの世界に橋をかけ、水(感情)の流れを逆転させ、常識をくつがえすブースター象徴みたいなつる性植物、なかでも2色に彩られる葉をもつ葛は、世界はみどり一辺倒ではなく、表裏一体で白の世界とともに形成されているという、ふるい記憶に探索枝をのばします。
母が恋しいと泣いた須佐之男命も、母にすがって着物の裾をつかんだ童子丸(安倍晴明)も、顕現世界では見ることのできない、ほのかでうすぐらく、奥ふかい幽玄世界にいる母とのつながりを保ったまま、日本人の集団無意識が干上がり乾いてしまわないようにと、いまも潤沢な水をはこんでくれているような気がします。
幽玄世界はカタチにならないチカラの領域。
母なる大地と形容される女神によって、見えないものを感じる能力をゆずりうけた人類は、動物のひげや昆虫の触角、植物のつるのように、気のからだからみえない触手をのばして、顕在意識では想像もできないような、はかりしれない陰陽対極のできごとに日夜接触しているのかもしれません。
太陽は天秤座にはいります
じっくりと世界を観察し、分類よりわけを徹底した乙女座を経て、秋分の日に天秤座にはいると、地上世界の収穫もいよいよ佳境にはいります。
必要なものとそうでないものをより分ける収穫作業は、この冬を越すためになにを食べ、なにを食べないのか、決定する瞬間でもあります。
「地の気」と「天空の気」によってヒトの輪郭が生成されるとするなら、天秤座は1年のおりかえし地点で陽気のおおきさを決定して、幽玄世界と顕現世界にかける橋のふとさなんかを思案しながら、今季自分が存在する立ち位置を秤にかける季節でもあると感じています。
ひとつの星座を30度に分け、シンボリックな詩文で表現したサビアンシンボルでは、天秤座のはじまり(1度)は「つきとおす針により完璧にされた蝶」と詠まれました。
羽をひろげて標本にされた蝶の姿は、「肉のからだ」と「気のからだ」を明白に表示するモデルとなり、気のからだ(肉体にちかいオーラ領域)に象徴される羽の文様をつまびらかにして、自分がナニモノであるのかを世界にわかりやすく提示しています。
風サイン・活動宮の天秤座は、万人のうえに平等にひろがる青空から吹きわたる、さわやかな秋風をおもわせるオーラを身にまといながらも、1度で強調された「つきとおす針」によってピン止めされ、ハート(胸)のあたりでポイント固定されています。
「地上世界で受肉し、降りられるところまで降りましたら、接点となるしるしをつけて、天地往来できるように羽を肥やしてください」という、乙女座モデルとなった、大地の女神の計画があるかのようです。
成熟した天秤座成分は、狂いのない天秤の柱をまっすぐ天地につないで、地上成分と天界成分をはかりにかけながら、風のしらせを受信する「気のからだ」を、調整しているような印象があります。
天地をつなぐ狂いのない天秤をセットできるのは、大地の母のふところふかくまで降下して、しるしをつけた(ハートを同期した)からではないのかな、と。
表裏一体、一葉のうらとおもて面のように成りたっている世界を、片面だけ重視することなく、公平にあつかうことのできる気風は、大地母神とのつながりを回復させるたいせつな要素だと感じています。
幽玄世界と顕現世界をはかりにかける天秤バランスがととのえば、気のからだ成分はますます充実し、社会という横風のみならず、天にのぼる上昇気流や山からの吹きおろし、花風、そよ風、御祭風、金風、疾風、つむじ風と、いろんな風合いを今風にアレンジできる風のファミリアに羽化していくのではないかな、と。
もしも固定されたピン先が浅く、社会基盤やローカルルールに留められてがんじがらめになっていると、女神からゆずりうけた天秤は現世重視にかたむいて、打算計算欲得まみれの損得勘定ばかりがはたらき、こころは乾き陽気もすりへり、天秤座成分もちまえのバランス感覚がうまく発動できなくなってしまうのだろうな、とも。
秋分からの天秤座は陽気肥ゆる季節。
ほのかでうす暗く、奥ふかい幽玄世界にすまう普遍的な母のおひざもとから、スポイルされることなく自立してゆくには、蝶のようにかろやかにはばたく羽が必要です。
葛の巨大すぎる塊根は古の女神像のようにもみえて、そこから風を味方に光さすほうへ、周囲の植物たちに積極的にかかわりながら、天にむかうつるの自由奔放な成長ぶりは、異界存在を母にもつ英雄譚を彷彿とさせます。
ノズルをしぼったつるは、土中から潤沢な水をいきおいよく吸いあげて、光と風のまう大気のなかへ、普遍的な母の愛情に象徴される「水」を気前よく蒸散させてゆきます。
陰陽対極となって顕現する2極化された世界に橋をかけるバランサー。
天秤座成分は情操にふれる感触や、みえないけれどつながっているもの、接合部、断層部、気配や印象のちがいを感受して、均衡をとるすぐれた調停能力をもっています。
うらとおもて、二色でひとつの葛の葉は、ヒトにはみえない蔓を四方八方にのばしながら、異界と人の世に盤石な橋をかけ、表裏一体の幽玄世界と顕現世界のまんなかで、どちらの世界にもソフトランディングできるようにと、着地をたすけるマントのような葉を繁らせているのかもしれません。
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