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設定が謎すぎるフランスからの刺客!殺人タイヤの念力殺戮ロードムービー「ラバー」【ホラー映画を毎日観るナレーター】(505日目)

「ラバー」(2010)
カンタン•デュピュー監督

◆あらすじ
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「僕の名前はロバート。小さいタイヤだけど…特技は殺人!!」

カリフォルニアの砂漠で朽ち果てたタイヤに生命が宿り、突然動き出す。サイコキネシスパワーを持ち、動物や人間を殺めながらロードを突き進む彼は1人の美しい女性と出会い、彼女の魅力に取り憑かれる。(Filmarksより引用)
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フランス映画っておしゃれだけど、なんかまどろっこしいし複雑で、ご想像にお任せしますみたいなテイストの作品が多いから取っ付き難いなと前々から思っていました。

しかし!今作はそんな固定観念を覆す作品!

というわけではありませんでしたが、ある程度想像させる余白を残すことで「さぁ、あなたはどう受け取りましたか?」と試されているようで個人的にはとても楽しめました。

『意思を持ったタイヤが人々を虐殺する』

というどう考えてもおバカホラーのジャンルに分類されるような作品です。

しかし、笑いと恐怖は表裏一体とはよく言ったもので、滑稽なんですけど作り手はいたって真剣というか、かなり考えさせられる内容でした。

現在、配信等は無く、私はいつも通り池袋のTSUTAYAでレンタルさせていただきました。

Amazonより引用

そもそも状況というか設定が本当に意味不明でした。

※今回はあらすじをざっくりと説明しながら進めていきたいと思います。

◇「ETの宇宙人はなぜ茶色なのか、悪魔のいけにえの殺人鬼はなぜ殺した後に手を洗わないのか、理由などない。人生それ自体が理由のない事の連続だからだ。なぜ空気は見えないのか、なぜ人間は考えるのか、理由はない。」

「この映画は理由がないことへのオマージュです。理由なしこそ表現の最強要素だ。」

と哲学めいたことを淡々と見物人たちに語りかける警官のチャド。

そして荒野に横たわるタイヤを双眼鏡で監視し始める見物人たち。するとタイヤが一人でにムクリと起き上がり、移動を始める。

名前はロバートです。

夢中で双眼鏡を覗く者もいれば、許可なく撮影をして注意される者もいる。

タイヤは最初、慣れていないのか倒れたりもしながら徐々に要領を得て上手に転がれるようになる。目の前の空のペットボトルを踏み潰すと簡単に潰れる。しかしビンは何回乗っても割れない。

自分の中の何かを目覚めさせるかのように小刻みに震えながらビンと向かい合うタイヤ。するとビンは一人でに破裂。意気揚々と通り過ぎるタイヤは空き缶、ウサギ、カラスと次々にサイコキネシスパワーで対象物を破壊していく。

念力を使うときは少し震えます。

その後、ハイウェイで一目ぼれした女性をストーキングしてモーテルを訪れたタイヤは事あるごとにサイコキネシスによって人間の頭を破裂させて殺害します。

タイヤに一目惚れされるシェイラ

殺人事件としてモーテルに警察が出動するのと同時刻、警察と裏で繋がっていた会計士の男が毒を仕込んだ七面鳥の丸焼きを見物人たちに食べさせたことで、一人を覗き全員死亡。

そこで冒頭で哲学めいたことをのたまった謎の警官チャドが他の警官を集めて

「見物人はもういない。みんな演技は終わりだ!これは現実じゃない。」と発言します。

警官のチャド

試しにと、チャドは部下に自分を拳銃で撃つように命令します。部下に撃たれて出血するもののピンピンしているチャドを見て騒然とする部下たち。

しかしタイヤの念力で頭が吹っ飛んだ清掃係のスタッフは当然死んだままです。

物語が終わりません。

なんと毒入り七面鳥を食べなかった見物人がいたために物語を終わらせることができないらしく、タイヤの捜索が続けられます。観客がいる限りは終われないということでしょうか。

数日後、モーテルに潜伏しているタイヤを発見したチャドたちはやっとこさショットガンで仕留めてパンクさせます。

これでタイヤも死に、物語は終わりかと思いきや、見物人の生き残りが叫びます。

「まだ死んでない!終わってない!三輪車に乗り移ったぞ!」

誰も乗っていない三輪車が一人でに動き出し、見物人を殺害。あの美女を追い越して、荒野をゆっくりと走る三輪車。そしてその後ろから続々とタイヤがついていく…

というところで終わります。

とここまで書いてみてもやっぱり意味不明です。

タイヤはなぜ動くのか?

警官の冒頭のセリフの意味は?

見物人たちは何者なのか?

結局、このあたりの謎が最後まで語られることはありません。

タイヤ視点の覗き

私なりに色々と考えてみたんですけど、作中に登場する見物人はおそらく我々視聴者で、警察は作り手(製作陣)なのではないでしょうか。

『タイヤがどこに行っても双眼鏡で見ることができる』というのもおそらく我々が見ているスクリーンなりテレビ画面が“双眼鏡を通して見ている光景”ということなんだと思います。

ですが中盤で見物人を毒殺するのはどういう意図があったのでしょうか。

ここで映画を終わらせるつもりだったのに

•見物人の生き残りがいた

•想定外のタイヤの暴走

というイレギュラーな要素によって、映画を続けざるを得なかったということなのかもしれません。

それにしてもいったいなぜタイヤは動いたのでしょうか。そこだけは全くわかりませんでした。ラストで三輪車に乗り移ったあたり、おそらく取り憑ける物体さえあれば何でもいいのかもしれません。

冒頭のチャドのセリフの通り、理由などないのかもしれません。

どういう状況なのかがわからないからこそ頭をフル回転して最後まで考えながら視聴してみました。しかし理由がないのであれば考えるだけ時間の無駄なのかもしれません。頭を空っぽにして「なんじゃこれ?」と思いながら見るのが正解なのかもしれません。

だんだん表情豊かに見えてきます。

BGMのセンスもよく、無表情のタイヤが次第に表情豊かに見えてくる面白さもありつつ、無駄に考えさせられるかなり奥深い作品でした。

☆この度ホームページを開設しました!
もしよかったら覗いてやってください。

渋谷裕輝 公式HP↓


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