見出し画像

マークの大冒険 常闇の冥界編 | 悠久の刻

《前回までのあらすじ》

俺たちは、螺旋階段をひたらす駆け上っていった。俺の前に現れたマークと名乗る白いネコウサギも、実は俺と同じでこの冥界と呼ばれる場所に迷い込んだ奴だった。こいつが言うには、タイムマシンでフランスに訪れ、本来処刑されるはずの人間たちを助命し、その影響でここにいると言う。タイムマシン?そんなもの、にわか信じられると思うか。こいつはやっぱり少しイカれているのかしれない。本当に信用に値するのか。そういう俺は、一向に元の世界の時の記憶が思い出せないでいる。だが、とにかく今は先に進んで元の世界に少しでも近づく他ない。

「私が案内できるのは、ここまでよ」

ウェスタは、冥界の門の前でホルスに言った。

「分かった。ここまでの案内に礼を言う。それと、眠りを覚ましてしまって悪かった」

「ううん。でも、さっきも言ったけれど、ここからはハデスの領域。たとえ神でも、安全は保障されない。それでも、この先に進むの?」

「俺は死なない」

ウェスタ女神

「そう。警告しても無駄だとは思っていたけど。最後にひとつ、良いことを教えてあげる。冥界はハデスの領域だけど、女王ペルセポネにも気を付けて。ハデスは妻の彼女には逆らえない。逆を言えば、ペルセポネを味方に付ければ、ハデスの意志を変えられるかもしれない」

「そうか、覚えておこう。だが、どうなろうと俺は力づくで全てを終わらせるさ。たとえ東の風が吹こうとも、俺たちの冒険は終わらない」

「どこかで聞いたことがあるような台詞ね」

「だろ」

「あなたたち二人が無事に戻って来ることを祈っているわ」




🦋🦋🦋



「光?もう少しで階段を登り終わるのか?これでようやく元の世界に戻れる」

俺は頭上の光が次第に強くなっていくことに期待していた。

「この螺旋階段を登り終わることは確かだが、まだまだ冥界は続くと思うぜ」

「そうなのか?」

「ああ」

俺たちが階段を登り切ると、そこには荒野が広がっていた。空気は乾燥して、辺りには険しい山と横たわる岩、痩せ細った木々や草があるだけだった。

冥界の荒野

「ここは?」

「少し場所がひらけたな。だが、広過ぎてどこに向かえばいいのか分からない。コンパスは当てにならないし、地上に近づく階段もない」

「でも、太陽が見えるぞ。ここは地上じゃないのか?」

「残念ながら違うようだ。あれはたぶん、太陽じゃない。おそらく常にあそこの位置にあって、ここを照らしている。ここでは、昼も夜もない。きっとこの夕闇のような時間がずっと続くだけだ」

「せっかく登り切ったのに。これからどうするんだ」

「まあ、待て。今考えてる。エリアが広大過ぎて全て回るのは不可能に近い。きっとここは、地上の何倍もの領域、文献によれば、それこそ天文学的な広大さを持つとされている。無駄に動いても、消費するだけだ」

「おい!見ろ!!」

俺は咄嗟に声を発し、黒い大きな影に指を指した。

「何だ?」

マークが俺が指を指す方向を見る。

「誰か来るぞ」

「ん......?あれは、まさか」

「マークなのか?」

近づいて来た影が声を発した。

「アキレウス!?」

マークは、目の前に現れた大男に驚きの表情を隠せなかった。

「トロイアから逃げ切ったと思ったが、お前もついにここの住人か。城内で俺は矢に撃たれて、たった一本の矢でこの有様だ。アキレス腱に一本の矢で。それでお前はどうだったんだ?結局、黄金の果実とやらの探し物は見つかったのか?」

「プリアモス王から王子アイネイアスの亡命を手助けすることを条件に受け取った。プリアモスは城内に残って死を選んだ。ボクはアイネイアスを連れてトラキアに渡り、エーゲ海を南下して島々を転々とした後にペロポネソスに上陸し、シチリアを経由してイタリアに渡った。イタリアを目前にシチリアで父アンキセスは力尽きたがね。何とかアイネイアスは、ラティウムまで亡命させることができた」

古代ギリシアのマップ
赤矢印で示した位置がトロイア王国

「そうか。夢は叶ったんだな」

「ああ、一応はね。それと、キミが死んだ後、オデュッセウスが全てを終わらせた。アカイアが勝利し、トロイアは焼かれて消滅した」

「おいおい、身内話で全くついていけないんだが。俺だけ置いてけぼりか?まあ、とにかくお前らは知り合いだったってことか」

「お前じゃない、マーク様と呼べ!」

「お前じゃない、アキレウス様と呼べ!」

二人は、俺の方を向いて同時にそう言った。かなり苛立った感じだったので、敢えて俺はそれ以上何も言い返さなかった。

「いや、だがお前らは二人とも首筋に柘榴の刻印がないな。どういうことだ?」

アキレウスと名乗る男が俺たちを不思議そうに見て言う。

「首筋の刻印?」

俺は意味が分からず、言葉を発した。

「この場所に来た者には、ハデスとペルセポネの支配下に入ったことの証である柘榴の刻印が首筋に刻まれる。だが、お前らにはそれがない」

柘榴(ザクロ)

ハデスにさらわれたデメテル女神の娘ペルセポネは、冥界で柘榴の実を口にしてしまう。結果、彼女は地上界に戻れなくなってしまう。豊穣の女神である母デメテルがこれに憤慨し、仕事を一切しなくなったため、地上は荒れ果てた。これに困った最高神ゼウスは、ハデスを説得し、ペルセポネが一年の3分の2を地上で、3分の1を冥界で過ごすことができるようにした。柘榴の刻印は筆者の完全なる創作で、この神話から柘榴を支配の象徴と見立てた。

「たぶん、ボクらはまだ彷徨っている段階で、完全にここの住人にはなっていないなんだ」

「そうか。それは良かったな。羨ましい限りだ。まだ望みがあるかもしれないぞ。ここでの永久の無は、耐え難い。俺はあの頃の栄光ある戦士じゃなくてもいい。最低労働者であってもいいから生きていたい。現世に戻りたい。悲しみ、痛み、辛ささえも愛おしい。全てを感じて生きていたい。現世こそ全て。ここはあまりに息苦しい」

「最低労働者であってもいいから生きていたい」

これは吟遊詩人ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』で、冥界に訪れたオデュッセウスにアキレウスの亡霊が発した言葉。ここに古代ギリシア人の思想の真髄が垣間見られる。彼らは来世よりも現世での幸福を何よりも重要視していたわけである。

これは古代エジプト人が抱いていた思想とは対局を成す。古代エジプト人は現世は仮の世界であり、来世こそが真の世界と信じていた。両文明を比較して興味深いのは、エジプトでは死後の世界観に言及した冥界のテキストが溢れているのに対し、ギリシアには冥界に関するテキストがほとんど遺されていない。

古代ギリシア人の死後の世界についての認識は、総じて「よく分からない」というものだった。よく分からないが、地下に存在する冥界でハデスの下、死者の魂は安定を手にしているだろうというのが、古代ギリシア人が何となく抱いていた死後の世界に対するイメージだった。

想像を絶するほどの豊かな世界「楽園イアル」で永遠の生命を手にし、老いにも貧困にも悩まされない輝かしい栄光を享受するという、明確な死後の世界観を持った古代エジプト人とは大きく異なる。尚、古代エジプトでは墳墓が死後の世界での家になると信じられたため、借金をしてまで豪勢な墓を建造した。

こうした古代エジプト人の行動からは、彼らが本気で来世を信じていたことが窺える。死後の復活・再生に異様なまで執着した古代エジプトの国民性を墳墓からは察することができる。もちろん、王侯貴族に限った例であり、墳墓等の資料を遺せなかった庶民がどのような死生観を持っていたかは判然としない。

ちなみに、アキレウスがアガメムノンと報酬の件で揉めて戦場を離脱した際、オデュッセウスが彼を復帰させるために交渉を仲介した。だが、アキレウスは「エジプトのテーベに流れ込む全ての富を渡されてもアガメムノンには従わない」と答えた。『イリアス』からはギリシア人視点によるエジプトの繁栄ぶりが窺える。
イリアス

古代ギリシア文学の金字塔。ギリシアの各都市国家の連合軍アカイア軍とトロイア軍の衝突を描く。親友を失ったアキレウスが怒り、前線に復帰するまでの物語。

オデュッセイア

イリアスの続編。トロイア戦争終結後のエピソードを描く。オデュッセウスが愛する妻のいる国に帰還するまでの物語。

「アキレウス......」

マークは、悲しげな表情で大男を見ていた。

「マーク、お前にはいろいろと借りがあった。手助けになるかは分からないが、協力しよう」

「本当か!?それはありがたい」

「ああ、着いて来い。ここからお前らが抜け出せるかは分からないが、最善は尽くそう」

「何だかよく分からないが、持つべき者は友達ってことか?」

俺は、そう言った。

「だな」

マークは、深く頷いた。


To Be Continued...


ホルスを冥界の門前で見送るウェスタ



Shelk🦋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?