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子どもの心理が屈折すると…? 〜本の紹介:『にんじん』 J・ルナール

大人になった今でも、ついつい児童文学というジャンルに手が出る。

懐かしさもあり、どこか柔らかさもあり、手軽に読めてしまうのも魅力だ。大人になってから見えてくる視点もあり、大人こそ児童文学を読むべきなのかもしれない。

今回紹介する『にんじん』という作品は、私がくもんの国語教材の中で出会った作品である。あのとき、宿題のプリントにどんな出題のされ方をしていたのかは忘れていたが、とにかく「にんじん」という名で呼ばれる主人公が印象的だった。

現在もくもんの国語の推薦図書G(中1レベル)として選ばれているらしい。
(参考:2022年度くもんのすいせん図書一覧表より

まさかこの作品と、京都の古本屋さんで再会するとは思いもせず、こうして読み直してみた次第である。

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『にんじん』(作:ルナール / 文:南本 ちか) 

この作品は世界の名作ということもあり、さまざまな出版社からその翻訳が出されている。私が古本屋で手に入れたものはポプラ社から出ているもので、初版の発行は1987年5月となっている。手にしているのは初版から数えて18刷された内の一つで、1995年発行の一冊だ。

著者のルナールのプロフィールは、以下新潮社のウェブサイトから引用させてもらう。

ジュール・ルナール(Renard,Jules)
(1864-1910)中仏のシャロン生れ。パリに出て文筆活動を始め、「メルキュール・ド・フランス」誌の創刊に参加。小説『根なしかずら』(1892)で才能を認められ、自身の少年時代を題材にした『にんじん』(1894)に続き、『ぶどう畑のぶどう作り』(1894)、『博物誌』(1896)などの名作を次々と発表。戯曲にも手を染め、1900年『にんじん』の舞台化で大成功を収める。死後公表された日記も、日記文学の傑作として話題になった。

新潮社:ジュール・ルナール

訳者の南本ちかのプロフィールは、ポプラ社の紹介文から引用させてもらう。

南本 ちか
1933年、京都に生まれる。日仏学院、京都大学などでフランス文学を学ぶ。フランスおよび第三世界の青少年文学を紹介、翻訳にも従事。訳書に「黄色い風船」「もしもしニコラ!」「さよなら十五歳」「続、わんぱく天使」「最後の授業」「海底二万マイル」などがある。

ポプラ社:『にんじん』より

⚪︎主人公「にんじん」への酷すぎる仕打ち

この作品、主人公の「にんじん」にまつわるお話だが、読み進めるにつれてとにかく小さき主人公の身が心配になる。それくらいひどい仕打ちを、にんじんはお母さんや兄姉から受けていく。

主人公が周囲から「にんじん」と呼ばれるのは、彼の容姿が理由だ。

おかみさんは、すえっ子を、にんじんという愛称で呼んでいる。というのも、この子は、赤毛で、そばかすだらけの顔だったからだ。

ポプラ社『にんじん』(p5)

自分の子どもを「にんじん」と呼ぶ母は、いかがなものだろうか。
日本語で「にんじん」という愛称で呼んでいるとしたら、可愛さのかけらもない。むしろバカにしているくらいの感じで、呼ばれた子どもも嬉しくはないだろう。ちなみにフランス語でにんじんは「carotte(キャロット)」らしい。英語と同じであるが、こちらも嬉しい響きではない。

複数の息子娘がいるのであれば、その中でも大抵は末っ子を可愛がるものだが、「にんじん」の母である「ルピックのおかみさん」は彼の兄「フェリックス」と姉「エリネスチーヌ」を溺愛している。母の愛情の差は最初のお話からはっきりとみられ、にんじんに対する態度はなかなか手厳しい。

ちなみに「ちょっときたない話」という回では、にんじんがおねしょをしてしまうのだが、お母さんはこのおねしょの一部をスープに入れるというとんでもない行動に出ている。にんじんがおねしょ入りのスープを食べる瞬間を兄と姉のフェリックスとエリネスチーヌに見せて楽しませるほどで、ここまでくると家族ぐるみのいじめである。

おかみさんは、ゆっくり、ゆっくり、さいごのひとさじをすくいあげる。それから、にんじんのおおきくあいた口のなかにつっこむ。ぐっとのどのおくまでおしこむ。こうしておいて、ばかにしたように、けれども気もち悪そうに、にんじんにいう。
「あーあ、きたない子。おまえ、あれを食べたんだよ。食べんたんだよ。それもお前のだよ。ゆうべのさ。」
「じゃないかと思ってた。」
と、にんじんはけろっとしていい、みんなが期待していたような顔はしない。

ポプラ社『にんじん』(p16)

にんじんはこのような仕打ちに慣れっこらしいが、この彼の冷静な反応こそ異常である。期待通りの反応をしないようにするあたりから、これまで幾度となく家族から嫌がらせを受けてきたことがわかる。それに対して、にんじんはささやかな抵抗を続ける。もしくは、ただ耐える。このささやかな抵抗と忍耐が、子どもの冷徹な側面を育てる。

⚪︎父親は敵か味方か

にんじんの父であるルピック氏。この人もなかな寂しげな人である。

だいぶ堅物な感じで、ぶっきらぼうな発言などが見られる。
例えば、にんじんと一緒に猟に出かけた際、飛んでいた鳥をにんじんが捕らえたときには「どうして二匹とも仕留めなかったんだ」という言葉をにんじんに投げつけている。なんと愛のない発言か。

他にもぶっきらぼうな発言や行動が見られる父ではあるが、彼はにんじんのことを愛していないわけではなさそうである。というのも、学校の寮ににんじんが入っているときにはちゃんと手紙の返事をしている。そして、手紙の宛名が「かわいいにんじんへ」や「愛するむすこにんじんへ」だったりと、そこでの基本的な愛情表現は忘れていない。ただ、やはり手紙の内容についてはこれまた辛辣しんらつなものが多くて、読者の私たちはにんじんに同情する。

しかしながら、にんじん自身が父に一定の信頼を置いている部分も見受けられる。というのも、陰湿な嫌がらせをしてくる母について、にんじんは物語後半になると父のルピック氏に相談しているのだ。「実はお母さんが嫌いだ」という重い相談は、誰にでもできるものではない。そんな内容を語ろうと思えるということは、にんじんが父を信じているからこそだろう。

だが、そんな「にんじん」が勇気をもって打ち明けたような相談の中でも、父は末っ子の息子に向かって手厳しい言葉を返して投げる。

ルピック氏 − 「じゃあ、にんじん、おまえ、しあわせをあきらめてごらん。いっとくがおまえは、今よりしあわせになるということはない。ぜったいに、ぜったいにな。」

ポプラ社『にんじん』(p167)

念を押してまで自分の子どもに投げかける言葉だろうか。彼の言葉や行動は無関心を通り越して、他の家族と同じレベルの傷を、にんじん自身の心に負わせているだろう。

ただ、にんじんは傷を負いすぎていろいろと達観している。こんな心ない言葉を父からかけられたとしても、彼は動揺しない。むしろ、別の人物が彼に憑依ひょういしたのではないかと思うほどに凄まじい言葉を、父の目の前で叫んでみせたりする。

屈折した心理を持つ子どもがなす「わざ」とでも言おうか。もちろん、子どもの心が屈折しないに越したことはないが。

⚪︎それでもうまくやろうとする「にんじん」の姿

このようなひどい家族の環境にいながらも、にんじんはなんとか上手に生きようとする。

母親にぶたれないように、兄姉に笑われないように、父に認めてもらえるように。

子どもなりに考えて、それらの課題をクリアしていこうとはするのだが、いつもうまくいくわけではない。だからこそ、読み手としてはそんな不器用な努力を通じてうまくやろうとするにんじんを応援したくなる。数少ない「成功」を得た際には、こちらも喜びが大きい。

私がお気に入りのシーンは、「ハエ」という回。
にんじんが父と一緒に猟に出て、途中で父のブランデーを全て飲み干してしまうのだが、このことを父にバレないようにする方法がなんともおもしろい。ぜひ本を手に取って、読んでみてほしい。子どもながらに賢さを発揮するときは、こちらも勝手に頷いてしまう。

⚪︎まとめ

最後までなかなか辛辣なシーンが続くのだが、この物語を読んでいるといかに自分たちが恵まれた環境で育ててもらったのかを実感する。この時代においてもきっとこの「にんじん」のお母さんのような大人はいるだろうが、まだ声をあげやすい環境であることには変わらないだろう。そのことには感謝しかない。

ポプラ社版の解説にも載っていたが、この物語は作者ルナールの実体験に基づく部分もあるようだ。作者の父親は猟銃で自殺をし、母親は息子を愛しもしないで井戸に落ちて死んだそうな。死に方からも悲惨な家族の絵が容易に想像されるが、にんじんの物語に反映された心理や考えは確かにあると考えられるだろう。

私も現場で子どもたちを見ている中で、家族との関係がいかに彼らの心理や言動に大きく関わってくるかを感じている。親が片方いないだけでも、子どもにとっては大きな心理的負担なのである。

ただ、そんな生まれながらの逆境にも、子どもながらになんとかしようと頭を働かせている点は、訳者の南本史が述べる通り、なんとも微笑ましい。環境に負けないで生きようとする気持ちが、なんとも好きだ。

とはいえ、この『にんじん』という物語は、作者の『日記』という自伝的な作品との関連性が高そうである。作者の実体験を読み解くことによって、母親をはじめとした家族の不思議や、主人公と父親との関係性など、新たに見えてくるものがあるだろう。今後またこの作者にも興味を持っていきたい。

最後に、主人公「にんじん」と父親との会話の中で発せられた、ルピック氏の衝撃的な一言を引用して終わりにしたいと思う。

「で、わしは、そのお母さんを愛しているとでも思ってるのか。」

ポプラ社『にんじん』(p168)

こんな言葉を、子どもは意外にも受け止めてしまう。自らの人間性の中に冷たい一面を持っているのは、何も大人に限った話ではないのだ。


なお、このポプラ社版では原作の49篇中35篇が載せられている。ぜひ他の訳版も読んでみて、いっそうこの物語への理解を深めたい。

2023.02.10
ShareKnowledge(けい)

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