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かおり
2022年7月9日 23:46
同行二人読み方:どうぎょうににんお遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。あしあと
2024年9月8日 00:01
栃木市と文豪・山本有三の関係。それを知ったのは、昨年春に日光を訪れた時の事であった。東武線の2日間日光フリーパスを購入。今市で乗り降りできる。バスも乗り放題。と言う事で、下今市駅で降りた時に、駅のポスターで見たのが「たった一度」というお菓子の広告であった。そして、栃木駅近くに山本有三のお墓がある事を知ったのであった。ということで、早速。訪問。その日は、近くにある岩下の新生姜ホールで
2023年10月5日 23:42
鎌倉駅から歩く事10数分。まさか、こんな所に!北条政子のお墓がと思ったのがこちらである。この寺の歴史には、長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係している。この地は、元は浄土宗の僧・尊観が開いた浄土宗の善導寺であった[3]。長楽寺は、1225年(嘉禄元年)北条政子が夫である源頼朝の菩提を弔うため長谷笹目ヶ谷(はせささめがやつ、鎌倉文学館付近)に願行を開山として創建した寺と伝えられる。山
2023年9月14日 01:24
牛に引かれて善光寺詣り。馴染みのある言葉だが、人生一度は行った方がいい寺院の一つだ。まずは新幹線で長野駅に。今回は行きたい場所が幾つもあった為、タクシーで善光寺に真っ直ぐに向かった。タクシー運転手さんは地元に精通しておられる方で、宿坊の幾つかを紹介してくださった。感謝。信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来【いっこうさんぞんあみだにょらい】(善光寺如来)を御本尊として、創建以来約千四百年の
2023年1月17日 00:21
徳川家康公の菩提寺である東京都港区の増上寺。浄土宗の大本山でもある。とにかく広い!港区と言ったら都会の真ん中。外国大使館なども多くあり、東京タワーもある。そんな中にあっても、増上寺は創建当時の法然上人の想いを伝えていたのだった。
2023年1月15日 22:23
Googleマップで観るよりも東京タワーと近い。前日には、宝珠院から東京タワーまでどう行こうかとパソコンを前に検討していた。場所としては、広い芝増上寺の敷地の端にある。増上寺第三十世貫主生譽靈玄大僧正が、閻魔王と共に白蓮池の辨才天女を勧請、別当寺として貞享2年(1685)に創建したいう。こちらの見所は、入り口の閻魔大王だ。又、弁財天を祀った池も見事だった。多分、冬ではなく、紅葉の季
2022年12月28日 20:31
12/25(日)は、磯子区の寺社仏閣を歩き廻ったのだが、沢山廻った神社は全てが無人であった。そんな中、こちらのお寺の住職には、快く御朱印を頂き、磯子区周辺の事についても教えていただいた。薬王寺の開創は、鎌倉末期の元弘三年(一三三三年)この地、矢部野村に建立されたと伝えられ、鶴慶等大和尚(永正一六年入寂)が中興開山となった後、元禄の世、武州・深川・霊岸寺の沙門・梅山が再び中興を発願して浄土宗に
2022年10月9日 20:03
川越七福神巡り、6番目、布袋尊を祀っている見立寺。見立寺は、永禄1年(1558)北条氏康の子「感譽上人」によって建立寺として開山。そののち、見立寺と改められた。文政11年(1828)、天保11年(1840)の2度の火災にあい、文献は消失してしまいましたが、延宝年中(1670年代頃)に蓮馨寺門前から現在の場所に移された。 喜多院、成田山に比べ、通りから少し離れた所だからだろうか。観
2022年9月21日 21:04
保土ヶ谷区と戸塚区の境、旧くは相模国と武蔵国の境だった境木地蔵尊をお詣りした時に、近くの和菓子屋さんから「境木地蔵尊は、岩間町の見光寺さんが管理してるし、よく手入れもされているのよ」と、お聞きした。見光寺さんでは御朱印も頂けるとの事であった。ということで、翌日さっそく、見光寺さんに。開山は江戸時代初期(1629 年)。保土ヶ谷の住人で熱心な浄土宗の信者、茂平夫妻が建てた。寺の周りは緑
2022年7月14日 23:26
この寺院があるのは、横浜市市営墓地、並びに火葬場の真ん前。ちなみに、その市営墓地には吉田茂元首相の墓があり、前にある火葬場で東条英機らA級戦犯の火葬が行われた。私がそれらを知ったのは、2020年4月に亡くなられた尊敬する東洋英和女学院大学名誉教授・H先生が教えてくれたからだ。H先生ら、戦前生まれの方々は戦時中の横浜の事を色々と教えてくださった。西区、中区でも京急線沿いの空襲被害は酷いも
2022年6月3日 14:15
そのお寺を初めて訪れたのは今から10年前。大好きな童門冬二先生が講演会をされるということで行ったのだ。童門冬二に関しては、実の所、息子が10数年前に東京都港区にある泉岳寺の隣の中高一貫男子校に行きたいということで。何度も泉岳寺を訪れたのだ。泉岳寺と言ったら、赤穂浪士!!赤穂浪士関連の書物を沢山読む中で、童門冬二先生のファンになったのだ。それまでの私はというと、仏教のいわゆる「聖人」とされ