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「あれ」が気になって仕方がない

ここ最近、周りの会話から聞こえる「あれ」「これ」が
気になって仕方がありません。
まだ「これ」は許容できるのですが、
「あれ」に対してすごくアレルギーがあります。
「あれ」にアレルギー・・・・ダジャレになってしまった。

どうも稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。普段から毎日noteを更新したりポッドキャストを週一回リリースしたりと日々情報発信をしています。
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さて、「あれ」についてです。
そもそも「あれ」というのは、
少し離れたところから対象物を差していう言葉です。
手元にある場合は、「これ」ですし
手元からちょっと離れたところだと「それ」
その先にあるものが「あれ」です。

少し先にあるものを指差して「あれ」というわけです。
何も指ささずに「あれ」は成立しないということが
わかると思います。

さて、こういった「あれ」を使うときというのは
少し遠くにあるものをお互いに認識するために、
指差しをして同じものをみるときに使う言葉で
あったはずなんだと僕は思っています。
※日本語学の細かいことは知らないです。あくまで個人の感想です。

ところが!
別に指をさしていないことに対して「あれ」を使うことが
おじさんになると増えてきます。
何もさしてなければ、「あれ」とはなんなのでしょう?

きつい言葉でいえば、
「あれ」を使うコミュニケーションは怠慢だと思っています。
伝える気がないとさえ思います。

今僕らはコミュニケーションを丁寧にしなければ
ならない時代だと思うのです。
その場にいたり、同じものを見る環境にあれば、
「あれ」で伝わることもあったでしょう。
ところが、オンライン◯◯が増えて、バーチャル空間を
使ったコミュニケーションである場合「あれ」は非常に危険です。

また、これまでは
「あれ」を文脈から読み取ることもできたし、
文脈から読み取る時間がありました。
しかし、今文脈は途切れる傾向が強く、そして
読み取る時間がなく、切り取られます。

「あれ」を感じる時間や環境がないわけです。

そんな中で「あれ」を使ってしまう癖がもし付いていると
そして、お互いが「あれ」で会話ができてしまうと、
「あれ」はどれ?ってなるのです。
隠語に近いものになり、他が入れないことだってあります。

他が入れないのであれば、
閉じられたコミュニティとしてはいいでしょうが、
同じコミュニティであっても「あれ」は発する人と受け取る人で
色合いが変わってきます。

もう一度言いますが、
今の時代は読み取る時間がなく切り取られる時代です。

「あれ」を使ったコミュニケーションは
意識して減少させていかなくてはならないと思っています。

自分の発言においても「あれ」には気を付けますし、
後輩がいう「あれ」に関しては指摘をします。
先輩や目上の人が使う「あれ」には必ず「どれですか?これですか?」と
確認するようにします。


時々「わかれよ」という顔をする人がいますが、
ほとんどの場合、そういう顔をする人たちは
「あれ」を説明できない人です。
つまり説明できない言葉で会話してるんです。

もう一度きつい言葉でいえば、
「あれ」を使うコミュニケーションは怠慢だと思っています。
伝える気がないとさえ思います。


僕も僕でいい歳なので、気を付けていますが、
最近若い人にも多い気がする「あれ」。

お互い気をつけて誤解のないコミュニケーションを築きましょう。

PS
「あれをあれして」なんて・・・んもう!論外さ!


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