せぽさん

インスタアカウント せぽさん(@seposan)です。男の料理系で現在フォロワー360…

せぽさん

インスタアカウント せぽさん(@seposan)です。男の料理系で現在フォロワー3600超。インスタに書ききれない長文や雑文、料理以外では自身のうつ病を完治させた体験記、広汎性発達障害の子供が受けた壮絶なイジメを学校を休まず克服させた体験記などを紹介して行きたいと思っています。

最近の記事

会社員の男が30年料理を作り続けて思うこと

今回は料理系の話題です。 インスタに書いた記事の再掲になります。 最近強く感じているのは、やっぱり料理作れるって最強だなと。 コロナ禍でも食料品だけは買えるし、物価高でも出費を抑えながら美味しく栄養豊かに食べ続けることも出来る。災害や不況にも強い。 SNSに投稿すれば料理仲間との交流も出来て、社会問題化している中高年の孤独解消にもつながる。 出費も生活に必要な食材を買う程度で額も知れているし、購買欲も満たされて浪費も抑えることが出来ます。同時に家族もハッピーになれま

    • うつ病完治への道(15)〜回復への道筋(クレイグブロード著テクノストレス)〜

      うつ病を泥沼化させたのも、絶望の淵から引き上げてくれたのも、結局は本でした。 話を30年前へと戻します。 うつ病を患っていた僕は出張や残業が禁止されていることを会社に伝え、会社では社内業務を細々とこなし、毎日定時に帰る生活を送っていました。 そんなある日、会社の本棚に、たまたまあったクレイグブロード著「テクノストレス」を、たまたま手にしたのです。 そこには、僕がうつ病を発症させた原因でもある、深夜でも容赦なく呼び出されるIT関連の調整作業をはじめ、どれもが身近に感じる

      • うつ病完治への道(14)〜転院(神経内科その2)〜

        ここまでのカウンセリングや催眠療法、自律訓練法、森田療法のサークル参加と言った民間療法が、症状の進行をやや遅らせることはあったとしても、症状改善や減薬の決定打に至るものではありませんでした。 そんなある日、近くに神経内科が新しく開院したので、早速転院することにしました。 飲んでる赤いデパスを見せたところ、「こんな薬飲んでるの?!やめよ、やめよ」と減らしてくれました。 抗うつ剤も「これは胃薬にもなる薬でね」と、丁寧に教えてくれました。 デパスは「これはベンゾジアゼピン系

        • うつ病完治への道(13)〜民間療法(森田療法)〜

          思いつくこと何でもやりました(笑) ある意味「なんでもやってみる」姿勢が、回復への道筋を探っていく上で重要だったように思います。 色々試した結果から、その中で最も効果のあったものだけを実行すれば回復するというものではなく、失敗も含めたひとつひとつのチャレンジが回復の過程そのものであったようにも思います。 それが、この森田療法そのものなのかも知れません。 さて、森田療法ですが、実際に施術を受けたのではなく、愛好家のサークルに参加しただけでした。 サークルが始まると病歴

        会社員の男が30年料理を作り続けて思うこと

          うつ病完治への道(12)〜民間療法(自律訓練法)〜

          大阪の催眠療法では、自宅で行うための療養向けにカセットテープも渡されていました。 そこに収録されていたのが自律訓練法です。 自律訓練法自体は確立されたものであって、決して怪しいものではありません。自己催眠で行う立派な催眠療法です。 独自に単行本も買って勉強もしました。 最初は気が散って上手く行きませんが、次第にコツがつかめるようになり、時々深いリラックス状態に入ることもありました。 ただ、自律訓練法自体が回復や減薬へと直接繋がることはなかったように思います。 後で

          うつ病完治への道(12)〜民間療法(自律訓練法)〜

          うつ病完治への道(11)〜民間療法(催眠療法(2))〜

          どのような経緯で決心したのか思い出せないのですが、大阪は通うことにしました。 テレビで知った「年齢退行」で劇的に症状が改善されるのでは?と、大きな期待があったのは事実です。 確か10〜15回パックになっていて、前払だったこともあり、回数は全て通いました。 値段は忘れましたが、確か1回5000円ぐらいだったでしょうか。高くも安くもない微妙なところが通う決め手だったのかも知れません。 治療内容を簡単に紹介すると、まず簡単なカウンセリングのあと、身体の力を抜いて床に座ります

          うつ病完治への道(11)〜民間療法(催眠療法(2))〜

          うつ病完治への道(10)〜民間療法(催眠療法(1))〜

          カウンセリングには速効性がないこと、病状も治るどころか減薬すらも見通せない状況に、焦りと苛立ちが募るばかりでした。 そんなある日、テレビで催眠療法が紹介されていました。 精神が不安定なのは過去に受けた心の傷が原因であって、催眠術による年齢退行で当時の記憶に戻り、深く受けたショックを改めて見つめなおすことで症状が改善されていくとのこと。 簡単に言えば、今不安定であるのは過去につけ違えたままのボタンがあるためであり、そのボタンを過去に戻って正せば、症状が改善されると言ったと

          うつ病完治への道(10)〜民間療法(催眠療法(1))〜

          うつ病完治への道(9)〜民間療法(カウンセリング)〜

          神経内科に通っても「治らない」ことに気付き始めた僕は、次に民間療法へとその糸口を探そうとし始めます。 神経内科に通い始めた時に、会社には残業と出張禁止されている旨を伝え、上司からは産業医のカウンセリングを受けてみてはどうかと勧められていました。 神経内科で話を聞いてもらえないことに不満が募っていたこと、産業医は無料と言うこともあり、受けることにしました。 カウンセリングの印象をざっくり言えば、「ふんふん、そうだね」と相づちを打って話を聞いてもらえる程度でした。 それでも

          うつ病完治への道(9)〜民間療法(カウンセリング)〜

          うつ病完治への道(8)〜泥沼化(ハウツー本(3))〜

          「精神安定剤は甘えであり、飲むのをやめなさい」 確かに、一理ある言葉かも知れません。 少し眠れない程度で安易に眠剤に手を出すのは「やめた方がいい」と、僕も言うでしょう。 安易な気持ちでの服薬は「依存心に繋がる」と言うかも知れません。 ただ、個々の事情で眠剤や安定剤を服薬している全ての人に対し、用いる言葉であるかは疑問の残るところです。 それを言うのであれば、無責任に安っぽい精神論をかざして終わるのではなく、減薬や断薬した結果のエビデンスを示すべきでしょう。 向精神薬

          うつ病完治への道(8)〜泥沼化(ハウツー本(3))〜

          うつ病完治への道(7)〜泥沼化(ハウツー本(2))〜

          笑え、前向きでいろ。 うつ病で笑えない時は、どうすれば良いのか、どこにも書かれていません。 ちなみに当時、記憶に残るところで少なくとも一年間クスりとも笑うことが無かった時期がありました。「俺、いつ笑ったんだろう?」って記憶が無いんですね。大変ツラい時期でした。 親や親しい人が亡くなった時、深い悲しみに打ちひしがれるている状況で、どうやって笑い、前向きな気持ちになれば良いのか、どこにも書かれていません。 親が亡くなった時など、本に書いている通りに頑張って笑ったとして、そ

          うつ病完治への道(7)〜泥沼化(ハウツー本(2))〜

          うつ病完治への道(6)〜泥沼化(ハウツー本(1))〜

          出口を完全に見失った僕は、本屋さんで見かけた「○○の方法」とか「○○の法則」といった、いわゆる「ハウツー本」に、その糸口を見つけ出そうとし始めます。 これが後に病状を長引かせ、泥沼化させた大きな原因になった事実には間違いありません。 藁をもすがりたい気持ちと、そこにすぐ答えがあり、今すぐにでもこの苦しみから解放されるような強い誘惑と錯覚。 著者や出版社も心の弱い部分に結びつきやすい言葉を選び、売上に結びつけたい意図があるのかも知れません。 ちなみに「○○の方法」などの

          うつ病完治への道(6)〜泥沼化(ハウツー本(1))〜

          うつ病完治への道(5)〜神経内科〜

          30年前の当時、精神疾患に対する理解や認知度も低く、専門医へ通うことには正直抵抗がありました。 一方、専門医なのだからすぐに良くなるだろうとの寄せる期待があり、病状も切迫していたことから通うことを決心したのです。 専門の先生だから僕の症状や心の悩みを親身に聞いてくれて、適切な治療を受け、すぐ良くなるに違いないと思い込んでいました。 通院も「今日は先生にこんな話をしてみよう」と、大変心待ちでした。 最初の頃だけは。 ところが、僕が熱心に伝えても話半分、来る日も来る日も、

          うつ病完治への道(5)〜神経内科〜

          うつ病完治への道(4)〜発病〜

          広島県は福山の工場に出張していた時のこと。 終わりは工場のラインが正常に動くまで。 動かなければ徹夜してでもプログラムを修正しなければなりません。 この日も深夜近くまで働き、ホテルに戻った時のこと。 なんとなく窓を見ていると、自分の意思とは関係なく、衝動的に飛び降りたくなりました。 さすがにこれはマズいと思い、咄嗟に部屋の電話帳で精神病院を探したりもしました。 ただ、真夜中でもあり、電話帳を繰ってると幾分落ち着きも取り戻したので電話をかけることはしませんでした。

          うつ病完治への道(4)〜発病〜

          うつ病完治への道(3)〜ジアパックス〜

          薬は出張中の眠れない時だけと決めていました。最初は。 1週間の出張であれば、3,4錠持っていけば充分な量でした。ごくごく最初の頃は。 そのような取り決めも、深夜を過ぎてホテルへ戻り、翌朝ホテルからタクシーで現場に直行、窓もない計算機室で深夜まで働く毎日に、堤防が決壊するよう薬量はたちまち増加。 眠れない時だけだった薬が毎日に、そして出張から帰っても眠れない、翌日が休みでも。 気がつけば薬を飲まずに眠れない身体となっていました。 出張から戻ればかかりつけ医に直行、処方出

          うつ病完治への道(3)〜ジアパックス〜

          うつ病完治への道(2)〜予兆〜

          僕の仕事はいわゆる「IT土方」 海外を含め全国各地の工場を飛び回る日々で、地元に戻る日の方が少ないぐらいでした。 会社に戻ると空席が目立ち、それが有給休暇なのか、出張で不在なのかがわかりません。 労働環境も大変劣悪で、残業200時間超えはザラでした。 時計が「2時」を指していた場合、それが昼の2時か夜中の2時かも分かりませんでした。 ある日、交代でホテルに戻って休むことになり、丁度飯を買いに出たタイミングでトラブルが発生し、連絡が付かず怒鳴らこともありました。 当

          うつ病完治への道(2)〜予兆〜

          うつ病完治への道(1)〜プロローグ〜

          53歳。会社員。男性です。 20代前半にうつ病を発症、診断名は仮面うつ病でした。 ネットも無い時代。 知りうる情報は限られ、薬を飲んでも一向に収まらない病状。 何年も飲み続ける得体の知れない薬に焦りと不安が募り、途中何度も自己判断で断薬を試みるも、更に病状が悪化し薬が強くなるだけでした。 もがき苦しみながら約3年近い投薬治療を続けていたある日、突然病状が全て消失。 以来、今現在に至るまでの約30年間、更に厳しいストレスも経験しましたが、当時の経験を生かすことによっ

          うつ病完治への道(1)〜プロローグ〜