3回目の「国際交流ハイキング・イベント」の反省点
私の主催する国際交流を目的としたハイキング・グループの3回目のイベントで起こったハプニングについて以前の記事に書かせて頂きました。
今回はこのハプニングの顛末と反省点についてまとめさせて頂きます。
山頂で苦渋の決断
足の痛みを訴えるとペルー人のルイスさんと私は何度も小休憩をはさみながら少しずつ登山道を進み、ついに山頂に到着しました。
他の4名は既に2時間くらい前にすでに到着していて、長めの昼食をとりながら私達を待っていてくれました。
しかし足を痛めているルイスさんは十分な休息が必要です。
ここで私はある決断をします。
私とルイスさんはこのままゆっくりと休息をとって、日没までを目途に山を下ることにしました。
他のメンバーには「申し訳ないのだけれど4名決して離れないように注意して下山してほしい」と告げました。
本来は山の中でパーティーが分裂するのは避けるべきですが、私と山好きなアメリカ人のウィリアムさん以外はヘッドライトを持っていません。
そのため、このまま日没を迎えてしまうと危険だと判断しました。
下りの経路は通常3時間程かかる比較的長い尾根道です。
いくつか分岐がありますが幸い全員分の地図(国土交通省のサイトからダウンロードしたもの)を渡してあり、その地図には全ての「注意すべき分岐」を記載してあります。
メンバーには日本人女性と日本語が堪能なアメリカ人男性もいたので「漢字の標識」も読めるものと判断しました。
正直他のメンバーと別れるのは怖かったのですが私とルイスさん2人なら何とでもなります。日が暮れた暗い山道をヘッドライトを持たない6名で下るのはより危険だと判断しました。
ルイスさんの意外な復活
その後、ルイスさん以外の4名のメンバーを最初のわかりにくい分岐まで見送り、
山頂でゆっくりと休息をとった私とルイスさんは下山を開始しました。
日没まではあと数時間ですが私は既に腹をくくっていました。
日が暮れたら暮れたでルイスさんの足を気遣いつつヘッドライトを灯してゆっくりと下る予定でした。
しかし下り初めて以外な事実が判明します。
登りであれだけ苦しそうだったルイスさんですが、下りは案外平気だったのです。
私は何度も「大丈夫?休みましょうか?」と声を掛けたのですが、ルイスさんは「大丈夫!大丈夫!」といってスタスタ下っていってしまいます。
先ほどまで5メートルおきに立ち止まっていたのが嘘のようです。
これは私自身も経験があるのですが、登山で足の「特定の箇所」を痛めた場合、歩くフォームを「痛めた箇所」を使わないフォームを変えると暫くの間は平気で歩けたりすることがあるのです。
今回のルイスさんの場合は、上りで痛めた箇所が下りのフォームだと全然「使わない箇所」だったようで、多少無理はしていたと思いますが本人曰く「休んだら治ってしまった」とのことでした。
結局、我々は日没を迎える前に山を下ることができました。
下山途中も他のメンバーの安否が気になっていたので、電波が入る場所まで来たら速攻「Meetup」の機能を使いメッセージしました。
メンバーからはすぐに返事があり幸い皆さん無事に下山して帰途についたとの事でした。
今回の反省点
この日のイベントは反省点が山積みとなりました。
まず今回のような1,000メートルを超える山は危険です。
たとえ高くても近くに国道などが近くを通るエスケープルートが豊富にある道ならよいのですが、今回のような一度入ったら徒歩でした抜け出せない山中だと怪我人が出たとき困ってしまいます。
今後はなるべく低い「低山」をチョイスして、たとえ標高が高くてもエスケープルートの豊富なルートを選ぶことにします。
また、今回のような登山初心者の足の痛みは予め予測できます。
「冷却スプレー」等の応急処置グッズを所帯すべきでした。
そして、このような不測の事態に対応できるように東京防災救急協会などが主催している「救命講習」を受講すべきだと痛感しました。
登山届を提出しなかったことも大きな反省点です。
「Meetup」では初対面の外国人が多く参加します、今回のように万が一パーティーが分裂した場合、片方が万が一遭難事故が発生してしまったら私は彼らの家族に連絡とりようがありません。
まとめ
上記の他にもハイキング・イベントだけではなく「ハイキングの知識を共有するためのイベント」を企画するアイデアもこの時思いつきました。
2019年の2月から「東京ハイキング・グループ」で開催している「東京ハイキング交流会 ワンバーナーで料理教室」がそれです。
これらのイベントでは「山ごはん教室」の他に「読み地図教室」や「GPSアプリの実践会」などの遭難事故に備えた知識の共有会を企画しています。
イベントを重ねるごとにいかに安全に登山文化を外国人と共有するのかを考えさせられます。
そういった意味でこの3回目のイベントが私にとって重要なイベントとなりました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?