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綿帽子 第三十五話

「先生、それでは鎮静をかけて抜歯をお願いします」

「分かりました、それではこれで手術の予約も取れましたので、次回の受診日にまた診させて下さい。詳しい説明が看護師の方からありますから、それまで待合室でお待ち下さい」

「はい、有難うございます。よろしくお願いします」

結局俺は鎮静剤を使って、抜歯と抜歯後の周囲をケアする手術を受けることにした。

相談に乗ってくれた精神科の先生には申し訳ないと思いながらも、釈然としない何かが俺をそうさせたのだった。

原発になっている歯を抜歯すると同時に、他の危なさそうな歯もチェックして抜いた方が良いと判断すれば抜くらしい。

原発になっている歯を抜くと、恐らく上顎の歯と頬との間の骨の部分に穴が開くと思うので、開いたところから水を流し込み頬の空間の中に溜まっている膿を全て洗い流すと言う。

その時に鼻から水が出て来るから気にしないようにとのことだ。
上顎から管を通して頬を洗うと鼻から水が出て来るとは。

「そりゃあやっぱり麻酔かけるか鎮静かけなきゃ無理だよな」

待合室のソファに腰掛けながら考える。

手術日は決まったが4月に入ってからだとは、二ヶ月以上先だ。
その間ずっとカミキリムシの夢に悩まされるのか。

カミキリムシの夢に関しても電話した際に聞いてみた。
やはり、敗血症を患ったことを含めて原発が歯にあるのではないかという不安が大いに関係しているらしい。

それだけだ。

それだけしか分からない上に、二ヶ月待って手術を受けても敗血症再発の可能性が拭えたわけではない。

歯からというのも可能性が非常に高いというだけで、原因不明には変わらない。
その事実がより一層俺を不安に落とし込み、困惑させていた。

全身が自分の物とは思えないような感覚が続いている中で、次々とこういうことが起こるのか。

嘆いても対処しなければ前には進めない。

やがて、看護師さんが出てきて別の部屋に案内された。

内容は同じだ。

一通りの説明があってから、手術の同意書にサインをして持参するように促された。
その場でできる物には全てサインをしてから病院を後にした。

自宅に戻ると、廊下にある親父の本棚が妙に気になって目をやった。

親父は何かあると、ここから一冊ずつ本を取り出しては書斎に持ち込んで読んでいた。

それが親父のストレス解消法というか、むしろこの家ではそれしか方法が見つからなかったのかもしれない。

「親父の残像に心を寄せて、それを唯一の頼りとする男」

情けない話だ。

この家に居ると、親父の仕草や所作の全てが思い出されるようで、それがまた俺をダメにしているようにさえ思えてくる。

最近我が家で変化があったことといえば、日課にしている散歩に朝だけお袋がついてくるようになった。

家を出て右に曲がり『木から飛び出す婆さんの木』の手前を左に曲がり道沿いを歩いて行くと牧場跡地に出る。

そこで大銀杏を眺めながら一服して、更に進んで行くと中途半端な林が右手に見えてくる。

そのまま行くといよいよ山の中を進むことになるのだが、そちらには行かずに斜め左に道を横切りそのまましばらく進む。

クネクネとしたS字状のカーブを道なりに歩くと、やがて公会堂なる建物が見えてくる。

目的地はここだ。

公会堂の脇に数体の石仏がある。
屋根が付いている御堂の中に収まっている物もあれば、そうでない物もある。

観音菩薩像に弘法大師像、お地蔵様がそれぞれ一体ずつにあともう一つ、記憶に定かではないが何かがあった。

毎朝ここまで歩いてきて、お参りをするついでに敷地内を掃除して帰るのだ。

元々はお寺があったらしいのだが、今は公会堂と言う名に建物は変わり、この地域の夏祭りの神輿などの保管場所になっていた。

「この辺汚いな、掃いて行こうか」

お袋のこの言葉がきっかけとなった。
それだけ御堂の前が荒れていて、管理されていないのだ。
これには素直に従うことにした。

それから毎日公会堂に来ては掃除を繰り返している。

御堂の前に行き、賽銭箱代わりに持参した皿の上に10円玉を置く。
それから手を合わせひたすら拝む。
一週間に一度は持参した花瓶に水を注ぎ、花を供える。

御堂の脇や周囲に溜まっている枯葉やゴミを外に掻き出す。

時にはお地蔵様の汚れていると思われる部分を、持参したタオルで拭って綺麗にする。

公会堂の軒下に竹箒が置いてある。
それを一本はお袋に、一本は自分で手に取り、敷地内を履いて回る。

公会堂の向かい側は庭になっていて、得体の知れない石仏じみた物や、正体不明の墓石みたいな物まである。

噂では、ここを管理していたお坊さんが、その下に眠っているという。

オカルト的な物に耐性のある俺も、流石にそれは気持ちの良い物ではないのだが、一度始めたからには初志貫徹のつもりで墓石の周りも掃いて回った。

ある時は水道の蛇口の下にあるポリバケツの中に、何やら動いている物を発見した。
不思議に思って覗き込むと、溜まっていた水の中に回虫が泳いでいた。

恐らく、イタチか何かの野生動物の排泄物が原因だったのだろう。
これは流石に汚い、俺は感染症患った後だぞ。
と、思いもしたが何かに突き動かされるように、毎日この場所に通った。

掃除をするとやはり少し気分は良くなる。
だが、掃除をしたからといって特別良い変化が起こったわけではない。
むしろ、かなりのハードワークですらある。

そして、俺は奇妙な体験をするようになる。

掃除を始めてから3日くらい経った頃、敷地内に人の気配を感じるようになった。
それも一人二人ではない。

まるで『木から飛び出す婆さん』がバージョンアップされたかの如く、江戸時代の町人風の格好をした男の人やその時代の服装をした女の人達が何十人も周囲を行き交っているように見え始めた。

「見えそうで見えないような、しかし見えているような」

いや、上手く説明はできないのだが、幻覚と呼ぶにはあまりにも実感があり、明らかな汚れを纏ったエネルギー体みたいな物が俺の側を何度も通り過ぎて行く。

多分見ようと目を凝らせば見えてしまうので、恐怖心がそれに歯止めをかけていたのだろう。

分かっていたのは、薄汚れた何かが多数俺の周りに居たと言う事実だけ。
そして、それに何らかの反応を示せば、もっと過剰に向こうも反応しただろうということ。

想像でしかないのだが、ここはやはり、かつては人の出入りが多かった場所で、祭りなどのイベントが行われる度に人が集まっていたのだろう。

そして俺はやはり過剰に弱ってしまっている。

それに、困ったことにその日を境に御堂の前で拝んでいると、御堂の後ろの方から無数の視線を感じるようになった。

人ではない。

明らかに低い位置から無数の光る目に見られている。

およそ野生動物か「小人の国の住人」としか考えられない様な低い位置に無数の目があるのだ。
光の点と言っても良いのだが、視線を感じるのだからやはり目なのだろう。

それが、家に帰ってからも延々と続くのだ。

部屋の中から窓越しに外を見ると、無数の光る目が常に中を覗き込むように存在している。

日中は見えなくて、夜になるとはっきりと分かるのだから、夜になると彼等はやって来るのかもしれない。
夜行性動物の何らかの何らかなのかとしか表現できないのだが、こんなことを精神科医に言ったら、いよいよ俺の扱いが加速するに決まっている。

この二点の摩訶不思議な現象が俺に更なる精神的負担となって行ったのは言うまでもない。

ただまあ、薄汚れた町人さん達はあわよくば話しかけようと近づいて来たりするのだが、この光る目の持ち主達は常に一定の距離を保ち、それ以上は近付いてこようとはしていないので、むしろ感じの良い何らかの何らかだったのかもしれない。

味方?とまでは言い切れないが、敵意を持っているようにも感じない。

しかし、気を抜くことはできない。

そんな得体の知れない何かだった。


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