箱根駅伝は来年100回大会。全国に門戸が拡大。関東以外の大学に「箱根」はどのように思われているのだろうか
今年も2日間かけて行われた箱根駅伝。来年は節目の100回大会が行われる。記念大会となるため、全国に門戸が広げられるが、関東以外の大学に「箱根」というものが、どのように思われているのだろうか。箱根に挑むのは、スポーツとしてだけではない。冒険としても挑むのだ。「箱根」の意味合いを理解することが重要に思えてならない。
今年は駒澤大学が、出雲、全日本に続き、箱根も制して、「大学駅伝3冠」の偉業を成し遂げた。史上5校目の快挙だ。
三つ制したのは立派である。そして各チームにとっては、箱根駅伝はほかの二つに比べて、より重要な大会とみなされている。
過去には、全日本を制しながら、箱根を勝つのが重要と、全日本のゴール後に監督の胴上げをしなかった大学もある。それだけ、箱根駅伝の意味合いは強いのだ。
関東の人たちにとって、「箱根」という存在は、歴史的に重い意味をもっている。夏目漱石の代表的作品「坊っちゃん」の中で、主人公は東京から西へ向かい、愛媛へと向かう。
この時、主人公は箱根の西には怪物がいるだろうと「東京目線」で思っているのだ。実際にはばあやの清さんだったら、そう思うに違いないという記述である。
箱根を境にして、東と西では文化が異なるとみなしているのだ。実際に高校野球で初めて優勝旗が関東へ渡ったときも、「箱根」を越えたという表現が使われている。
今年、東北勢で初となる夏の甲子園を制した宮城の仙台育英高校。優勝旗が「白河の関を越える」と報じられた。関東勢にとっても同様に、「箱根の関」は大きな意味合いを持っていたのだ。
それだからこそ、「箱根」を往復する駅伝大会は、スポーツだけでなく、文化的な意味を加味した冒険の要素が強いのだと思う。
来年、関東以外の大学が、箱根駅伝に挑むことは、スポーツ大会に出場する意味だけでなく、「関東の文化」をいかに受け入れられるかということが重要になってくる。たすきの重みも、それだけ増している。
現段階では、関東の大学とそれ以外の大学とでは、実力差がかなりあるという。この実力差を埋めるだけでなく、「箱根」という関東の文化をいかに受け入れられるかもマスト事項になるのだ。
江戸時代には「入り鉄砲に出女」といわれるように、箱根の関所でのチェックは厳重に行われていた。ここは東と西の重要な境目とされていたのだ。
来年、箱根駅伝に挑む関東以外のチームは、走力アップのほかに、この文化的な意味を重視する必要がある。
関東以外のチームに「箱根」は、どのようにとらえられるのだろうか。来年の100回大会が楽しみだ。
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