見出し画像

【短編小説】交代日記《mode:S》

本記事は実験的な文章です。
本文の内容は人格交代した状態で記載しています。
本記事へのコメントはなるべく記載した人格が返答いたします。複数の人格について、主に活動する五人のイニシャルからA、T、C、H、Sと表現いたします。
ご理解いただける方のみ、先にお進みくださいませ。
詳細について御興味のある方は下記内容もご参照いただけますと幸いです。
【短編小説】交代日記《mode:A》
【短編小説】交代日記《mode:T》
【短編小説】交代日記《mode:C》
【短編小説】交代日記《mode:H》


「解離性同一症」とは何か。


 最も有名な作品をひとつ挙げるなら、『ジキル博士とハイド氏』でしょうか。面白い作品ですが、モデルとなった人物は解離性同一症ではありません。

 解離性同一症、あるいは解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder: DID)は、多重人格というキャッチーな表現と、そういう登場人物を組み込むことで複雑化する物語性の魅力から幾つもの作品に取り上げられる現象です。しかしながら多くのフィクションがそうであるように、実際の症例とは異なる点が多く、誤解を招くこともあるでしょう。

 根底に存在するのは心の防衛反応で、解離性同一症の理解には、まず精神医学的に「解離」とは何かということを理解する必要があります。

 解離とは、分解され離れることです。具体的には「私の体験(感覚、思考、記憶)がほつれて統合性を失うこと」と表現されます。
 まとまるべきものがまとまらないという状態といえば統合失調症という疾患概念もありますが、それは「脳の様々な働きをまとめることが難しい状態」を背景として幻覚や妄想が中心的な症状を呈しますから、構造も結果も異なります。

 解離それ自体は、正常な心理作用としてヒトに備わっている防衛反応です。
 コリン・ロス先生やヒルガード先生の主張を参考にすると、例えば退屈な授業中に空想を膨らませて授業の内容を覚えていないのは、日常的かつ正常な範囲の解離に分類しうる現象です。例えば近しい人が急死するなど強い心的外傷を受けたときに目眩を起こして気を失うのは、日常的ではないものの正常な範囲の解離といえましょう。限界を越える苦痛を体験して部分的な記憶喪失になった場合、それは解離性健忘と表現しうるものですが、やはり正常な防衛反応の範疇です。

 では何処からが障害あるいは疾患になるかというと、線引きが難しい無段階のグレースケールな可能性はあるものの、一般的には「解離を引き起こす状況が慢性化することで解離が恒常的に発生し、コントロール不能に陥り、そのことで苦痛を生じたり日常生活に支障をきたす状態」にあれば、それを解離性障害と表現します。

 解離性障害には、大きく分けて三つの段階があります。
 まず、記憶が欠落する解離性健忘かいりせいけんぼう。これが発展して全ての記憶を失って蒸発し、例えば別なところで別な人生を過ごし始めるような状態を解離性遁走かいりせいとんそうといいます。
 次に、自分が自分でないような感覚、まるで自分を見下ろしているような現実感の薄い客観然とした主観、すなわち離人感りじんかんが頻繁に或いは持続的に出現することで日常生活に支障をきたす離人症性障害りじんしょうせいしょうがい
 そして、解離性健忘によって欠落した記憶を核にして、離人感の要素が絡まった結果、やがて明確に区別可能な自分とは別の人格が複数存在するようになって、その複数の人格が交代して本人の行動を支配するようになります。これが解離性同一性障害あるいは解離性同一症です。

 したがって、記憶の欠落が先で、人格は後です。典型的には必ず想起不能な、つまり思い出すことができない記憶が存在するはずです。

 すると状況に応じて自分を演じ分けたり、苦しい状況の中で自分とは違う人格をイメージするような防衛方法は、能動的で自覚的であるという側面から根本的に解離とは異なる構造であることが分かります。

 
 A、C、T、Hの四人は解離によって出現した制御不能な人格でした。治療の過程で部分的に統合されたのか、今では不完全ながら概ね協調性をもって日常生活を送ることができています。
 比してS、すなわち私、渡邊惺仁は彼ら四人から「旦那」と呼ばれる主人格が能動的に創り出した分身です。概ね本人と表現するのが妥当と考えます。これは私が自分を防衛しながら必要なことを表現するための方法であり、他人格と分身の違いを体験するための方法でした。

 note登録時点の渡邊惺仁と、今の渡邊惺仁は様相が異なってきています。それは私が私に近づいてきたことの傍証で、また私自身も好ましい方向に変化してきていることの証左です。

 noteという特殊な環境が齎した変化、貴方がいることで成立する奇蹟かもしれません。
 だから私は貴方に至上の感謝を込めて、今日も祈りを捧げます。

 

 …全て嘘かもしれません。
 フィクションと言い換えてもいいでしょう。
 表題に【短編小説】と銘打ったのは臆病な私の逃げ道です。気味が悪ければそっと閉じればいいし、事実にみえるならそれもいい。原理的に確認しようのない領域ですから、どう捉えるのも読み手である貴方の自由です。

 文献から症例を調べると、まことしやかに書かれているものの決め手に欠けることが多いのも事実です。有名人の中には、後年になって「すべて演技だった」と公言した人もいます。すべて嘘だったのか、その発言が嘘だったのか、今となっては確認する術はありません。

 
 確かなことなど何もない世の中ですが、幾つか自信をもって言えることがあります。

 ひとつ、私はここにいます。
 ひとつ、私はこれからも文章を書くでしょう。
 ひとつ、私は貴方のことを忘れません。


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、すべての疾患に対する偏見や先入観の払拭された、あたたかい人間社会が実現しますように。



#眠れない夜に #noteでよかったこと
#解離性同一症 #実験的記事 #交代日記
#解離性同一性障害 #多重人格 #解離 #解離性健忘 #解離性遁走 #離人感 #離人症 #離人症性障害 #PTSD #複雑性PTSD #境界性人格障害 #精神疾患 #メンタルヘルス

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

眠れない夜に

ご支援いただいたものは全て人の幸せに還元いたします。