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遺伝子と宿命

 怒鳴り声が苦手です。それは幼児期の記憶を呼び覚まし、私の身体を硬直させます。

 父方の祖先は、辿れるところまで医者でした。それを教えてくれたのは祖父です。小学生の頃、古びた一冊の本を渡して祖父は言いました。

「古事記。ちょっと古い言葉だから読みづらいかもしれないけど、面白いから読んでごらん。」

 絵本とか現代語訳とかではありません。流石に漢文ではありませんでしたが、口語訳ですらなくて、書き下し文でした。
 ふつう小学生が読む本ではありません。
 読み終わるのに何年もかかりましたが、なんとか読了してから本を返すと、祖父は大層嬉しそうに笑ってくれました。

 私は医者家系に生まれました。強いられわけではありませんが、私も医学を志しました。
 この家系の長男は代々「癇癪持ち」です。これは揺るぎない事実であり、曽祖父から祖父、父、私、そして息子に引き継がれています。

 曽祖父は例えば魚の食べ方が汚いといって突然激昂し、以来祖父は生涯、魚を可哀想なくらい綺麗に食べていましたから、それはそれは怖かったことでしょう。祖父自身は若い頃に職場でしばしばスタッフにも患者にもあたっていたようで、恐らくそれに起因して人間関係のトラブルに巻き込まれ、職場を転々とした経験もあったようです。

 怒るというのは期待するということです。

 コントロールし難い「癇癪持ち」たる性質の対処に難渋したことでしょう。
 父は祖父をみて何か思ったのか人にあたることはごく稀でしたが、よく物にあたっていました。自分が直接怒られているわけではないのに、怒鳴り声をBGMに家のものが壊れる様子は、恐怖の記憶です。しかも怒りの理由は「癇癪」ですから、いつ、何がきっかけで激昂するかわからない。普段温厚な分、突然キレるのがものすごく怖いのです。怒りの矛先が自分に向いたときなど、生きた心地がしませんでした。心を無にして、自分ではない誰か別な人が怒られているのだと、そういう心の防衛が働いたのかもしれません。

 私はそういう性質を厭だと思っていたから、人にも物にもあたらないように心掛けました。しかし「性質」は「体質」です。精神論で我慢して、それで済むわけがありません。結果、行き場を失った「怒り・癇癪」は東洋医学的な解釈としての「肝」の失調をきたし、私の身体と心に不調をきたしました。
 
 今から15年以上も昔のことですが、私の周囲や生活、親族関係を含め、主に人間関係の強いストレスが複数重なる時期がありました。なんとか問題を解決しようと苦心して、怒りの感情を抑え込みながら生活していると、いよいよ異変が隠しきれなくなっていきました。

 数日動けなくなる腰痛を幾度か経験し、片頭痛発作の頻度も増して、記憶の抜け落ちる時間が増えました。記憶の抜け落ちた時間にも、私は行動していました。ただし、それは私ではありませんでした。

 解離性同一症です。

 解離性同一症、或いは解離性同一性障害は、かつて多重人格障害と呼ばれた精神障害です。
 フィクションでは時々題材にされますが、現実に遭遇することは稀でしょう。
 端的には、主に幼少期の強いストレスによって「ひとりの人間の中に全く別の人格が複数存在するようになる」状態です。当然、性格も異なり、性別も年齢も様々です。人格ごとに記憶は独立していますから、性格が変わるとかではなくて、「複数の人間が私の身体を交代で使っている」という恐ろしい感覚です。

 根本的な身体の不調は東洋医学的アプローチにより軽快し、精神的な不調は専門的なアプローチによって徐々に快方に向かいました。
 診断から7年以上の時間をかけて、完全な人格の統合には至らずとも、概ね協調性を保ち、コントロールできるようになりました。

 もう長らく日常生活に支障はありません。医師として働くことにも全く問題のない状態です。それどころか、結果として周囲に驚かれるほどの強靭な精神を獲得したようです。
 お世話になった関係者の皆様には、感謝の言葉を尽くしても足りません。


 私が社会に感じるのは、精神疾患に対する偏見と先入観です。

 嫌な思いもしましたし、無理解で無責任な同情も、それはそれでひどく気持ち悪く感じました。私にとってはひとつの特性として、ひとつの不調として、そうなんだねーくらいに流してもらえた方がずっと気楽です。

 世の中に、心も体も全く正常・教科書通り、なんて人はいないでしょう。なにかしらの特性・個性をもっていて、不調も抱えているでしょう。それを当たり前に捉えて尊重し合える社会であったら、どんなに気持ちが楽だろうと想像します。

 私は寛解していますから、外から見たら「普通」です。今なら鑑定を受けても全く正常に振る舞うことのできる自信があります。そうやって生きていけば、なにも支障はありません。しかしそれでは、問題を隠して見ないようにしているだけです。私の思い描く理想の世界とは異なります。

 それ故に私は、私の「不調」を記します。

 実生活での公表には勇気が足りませんから、まずはnoteという自由な発信の場から、カミングアウトさせていただきました。

 恐怖や嫌悪感を抱かれた方、申し訳ありません。どうか恐ろしい言葉は残さずに、そっと画面を閉じていただけますでしょうか。私は私の内面を書くとき、ひどく臆病なのです。

 興味を抱かれた方、ありがとうございます。
 今しばらくお付き合い頂けますと幸いです。感想や質問、疑問点などコメントいただけましたら、主観になりますが可能な範囲でお応えいたします。
 
 ネタかなと思って頂いた方、すみません。マジなやつです。ただ、私個人としてはネタにしていただいて一向に構わないと思っています。それがある種の啓蒙になるかもしれません。まぁ…特にネタにしづらい領域であることは重々承知しておりますから、無理はならさぬよう。(真顔)
 


 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、疾患や障害(不調)に対する偏見が消え去り、温かい社会が実現しますように。



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#現実はフィクションとは大きく異なります

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