年末に、例のあの娘と5年ぶりに再会してきた話!
あけましておめでとうございます。新年早々、心が挫かれそうだ……。
(こういうこと言うのも、もはやそういう芸風になりつつある気もする……ギャグ感出てきた……)
年末年始は、このnote上でも話したことがある、自分の人生にとって重要なある人と5年ぶりに再会してきたのですが、その時のことについて書いていこうと思います!
2年弱続けたこのnoteに、ついに新展開が!
局面はネクスト・ステージへ……
少し時はさかのぼり、2018年末――
僕は追い込まれていた。
この底辺から抜け出すためのあらゆる試み(ブログとかnoteとか)が不発に終わり、未来も希望も見えない状態になっていた。
*福本伸行「アカギ」第1巻、冒頭のアカギの登場の直前のシーンより
精神的にも不安定になっていた……。
自分という人間はどこにも繋がっていない、
今までやってきたことは間違っていたのかもしれない、
ただただ無為に時間を消耗してしまったのではないか……
そんな霧のような想念が薄く、しかし拭いがたく漂っていた。
(いや、自分はそれなりに積み重ねてきたはずだ……。
ニコニコ生放送のあの配信者はこの前、オンラインゲームのドラクエ10のプレイ時間が30000時間(=1250日)になっていた。
それに比べれば……って比べる意味はあるのか?)
(ちなみに僕は1000時間の地点でドラクエ10を引退しました)
寂しい。率直な感情がこれ。自分一人が取り残されているような気持ちだ。結果が出せなかった。みんな先へ行ってしまった。
あの日あのとき同じラインに立っていた人たちとは、もう背中も見えないくらい差がついてしまったように思える。
(いつまで「途中」でいられるんだろう?
いつまで夢を掴むための序章を続けるんだろう?
いい加減、結果が求められている。
Day-Dreamingみたいな戯言とか御託とかじゃなくて。)
年末にスマブラSPで何度か遊んだ友達がいたが、そろそろ忙しくなるらしく、当分の間会えなくなる。
この人がいなくなると、本音の本気で話せる相手がいなくなるので、とても寂しくなる。自分にとってかなり重要な人物だった。
ちなみに彼は、2017年11月に書いた「人生の二つの後悔。その一つは、友人の死の前後の自分の振る舞い。」の最後で再び連絡を取るようになった人。
このnoteは今回の話ととても関連があるので、良かったら読んでみてください。
昔の投稿だから読みにくさがあるけど、この後で補足もしてます。
序盤と中盤以降で違う話をしていて、
関連があるのは ”タイトルでも書いた、二つ目の「後悔」” 以降
になります。
2017年11月に書いたこのnoteについて、振り返る。
「人生の二つの後悔。その一つは、友人の死の前後の自分の振る舞い。」
1年1か月前なのに、このnoteをいま改めて見ると書き方が下手に見える。
そのことに自分の成長を感じるし、まだまだ成長していけそうだと感じた。
また、他人に見せる予定のない紙の日記のような文章になっていることや、
どうにか言葉を絞り出すような筆の重さに、
この時の自分が心に抱え込んでいる激しい傷つきを感じる。
たださすがに具体的な情報がなさすぎて、状況をイメージしにくい。
書き足すとすれば、例えば、
・どこで出会った人なのか(→高校の同級生です。母体はアニメ漫画研究部で、半分くらいの人がそこに所属していた。自分は帰宅部だったので、友達の友達という形で巡り合った)
・何歳くらいなのかとか、男女比(→この話の当時は全員二十歳過ぎ。同い年。比率は男:女=7:3くらいの8~9人グループだった。その中でもまたグループに分かれていたし、どこで区切るかにもよるけど)
・どんな風に仲良くなったのか(→始まりはオタク趣味の共有だったと思う。アニメや漫画などのサブカルチャーは、2019年現在とは違い当時、世間から厳しい視線を向けられていた。
僕らの付き合いは高校卒業後も続いた。進学校だったので、全員が大学へと進んでいた。浪人した人もいたけど。
付け加えるなら、メンヘラ感のある人が多かった。しかし、最も先に自殺という形で亡くなったのは、とても安定感があるように見えた彼だった。)
・集まった時は何をすることが多かったのか(→雑談する。だらだら過ごす。ゲームする。カラオケに行く。ずっとそんな感じ。)
改めて昔の自分が書いたものを読み返すと、書こうとしていることはそれなりにユニークで、そこにもったいなさを感じる。
それじゃ他人から見たらわからないだろうよ。
頭にストンと落ちてくるような文章ではないので読者からの歩み寄りが必要になるが、そこになんか推理小説みたいな面白さがあって、この人のことをもっと知りたいという気持ちになった。
この人って、自分のことだけどw
喫緊の問題は、寂しさ。
仲良しな友達と、当分の間会えなくなる――
この孤独という問題は喫緊というか、人生を通じてのことでもある。とても寂しい。
ふつう二十代後半の男(自分)が、同性の友人を相手にしてそういう気持ちにはならないはず。つまりふつうの人間ではないのだ。
孤独ほど人間から前向きな活動力を奪うものはない。何もしたくなくなる。力が湧いてこなくなる。
誰かと、何かと繋がっていたい。切実に思った。
僕にとって、世界はこちら側と向こう側に分かれている
しかし、具体的な行動案はなかなか思い浮かばなかった。
一般人の世界にはうまく入っていけないのだ。空気が淀む陽の当たらない場所でしか生きていけない。息が出来なくなる。
高校の教室でいつものメンバーと集まっていたあの頃から、自分にとっての世界は「こちら側」と「向こう側」に分かれているのだった。
合唱コンクールとか文化祭とか、そういうものを普通に楽しみ、ありがたがっていた人たちとは精神的な接点が皆無であるように感じられる。
向こうからしてもこちらが理解不能な気持ち悪い存在にしか見えないようだし、こちらとしても向こうにまるで興味が無い。水と油だ。
「みんな頑張ってるんだから、ちゃんとやってよ!」
――そっか。
どこへ行っても、だいたい同じことの繰り返しだ。
対立しているポイントが変わるだけ。
ヒトって、宗教戦争が好きな生き物だから。
なら数少ない、「こちら側」はどこの誰?
…
……
………。
じゃあやっぱり、あの場所へと戻るしかないのか。
それだけは嫌だったが。
あれだけ悪く言っておいてだが。
しかし他にツテはなかった。
今となっては自分も悪かったと思っているし、
もっと大人にならなければならないのかもしれない……。
偉そうなことを言える立場でもない……。
「人生の二つの後悔。その一つは、友人の死の前後の自分の振る舞い。」で書いたあのグループ。高校の同級生の集まり。
※イメージ画像です
(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のラストシーンより)
とどのつまり、
結局のところ、
五年ぶりに足を踏み入れてしまうっ・・・!
数々の惨劇が起きたあの場所へっ・・・!
そして当日。最寄り駅まで迎えに来てもらう
上述のスマブラSPを一緒にやっていた友人を通じて連絡を取り、事はスムーズに運んだ。
これ以降複数の人間が登場するので、この彼のことを便宜上このように名付けておく。梟(フクロウ)と。
12月31日に、鍋をすることになっていた。
これはこのグループ内で昔から行われている定期的な催しだった。しかし今や参加者は減り、規模は縮小しているらしい。
そこにちょうどいいタイミングで乗っかることが出来た。
自分が参加するのは、5年ぶり7回目くらい。
少し遅れて参加することにしていた。
そしてあまりにも悪い方向へと心が揺さぶられそうなら、すぐ帰るつもりでいた。
12月31日の20時ごろ、梟に最寄りの駅まで迎えに来てもらった。
駅を出たところで簡単に落ち合えた。彼はいつもとかわりない様子だった。
移動しながら話を聞いていると、まだ鍋は始まっていないらしかった。予定より時間がおしているとのこと。
ああそうだ、大事な話をしていなかった。
この年越しの集まりの会場は、
「大学時代に経験した5つのサークル・部活、それぞれの雰囲気とか人間関係、個人的な悩みごと等について、リアルに語っていくね。」
で書いた、不思議な関係の女の人(以下、狐火としておこう)の家だ。
プライベートな度合いが高いので課金ウォールで囲ってあるけど(興味があればぜひご購入を★)、このことが何を意味しているのかということを簡単にだけ説明しておこう。
まず、自分はメンヘラ的人間なので、依存的な関係を作りたがることが度々あった。
視界にはごく一部のとても関心がある人間と、大多数のあまり関心がない人間が映っていた。
狐火には数年単位のかなり長い期間、依存的になっており、自分の人生に大きな影響があった人間だ。
彼女とは小学校から高校まで同じところに通った。
といっても、中学まではあまり深い交流はなかったし、3回くらいしか同じクラスになったこともない。
だとしても、小学生の頃から現在の二十代後半までの姿を見ているということに、不思議な感慨を覚える。
人ってこんな風に変わっていくんだ。
あるいは人ってこんな風に変わらないんだ、みたいな。
狐火と5年ぶりに再会するということは、自分という人間の5年間が試されるということをも意味する。
人として成長することはできているのか、
自分を癒し満たすことはできているのか、
伝えるべきことをうまく伝えられるようになっているのか、
相手のことを理解することができるようになっているのか。
そして、精神的に独立して生きていけるようになっているのか。
こういうことが為されていないならば、また昔と同じ繰り返し。
傷つけあうだけで終わってしまうだろう。
この5年間、彼女のことは共通の友人には全然意識してないふりをしていたけど、本当は離れていてもときどき思い出していた。
しかし終わったことで、もう会うことはないだろうと思っていた。
だがこういう日が訪れた。
買い物してから、あの人の家へ
鍋に必要な材料で、少し買い忘れたものがあるらしく、
その買い物を狐火は梟へ頼んでいた。そこに自分も同行した。
狐火の買い物の指定の方法は細かく(この人変わってないなと思った)、
梟は少しでもその指定とのずれがあると、
一つ一つスマホで写真を撮って送信し、確認を取っていた。
そうしないと、狐火はすぐ不機嫌になるから。
まぁでもね、普通の人には大差ないと感じられることが、この人の中では大きなことに感じられているのだと思う。
食べ物の好き嫌いが全般的に、かなり激しい。世の中の食べ物の98%くらいは嫌いなんじゃないの、ってくらいに。
自分は食べ物の好き嫌いはほとんどないけど、普通の人が気に留めないことが問題と感じられるというところには共感する。
そういう風に捉えれば理解しやすいことのかもしれないと思った。
ま、自分も世の中の人間の98%くらいが嫌いだからな。
今はそれほどでもないかもしれないけど。
スーパーで、絹ごし豆腐と、丸餅と、なんか珍しいイモ(忘れた)と、なんか珍しいニンジン(忘れた)を買って、レジを済ませた。
梟は急いでいる様子だった。
遅くなっても、狐火が機嫌を損ねるらしい。
やれやれ。(村上春樹的なアレ)
僕らは足早に店を出た。
さて、この年越し鍋の会場へと踏み込む時は近いようだ。どきどき。
(つづく)
*投げ銭(サポート)も募集してます
近頃はみんな辞めていくけど自分はまだ踏ん張ってます。
今年も力を入れてやっていくつもりです。
お金をただ投げるだけだと面白くなさそうなので、
読者参加型の遊びにします。
この話は全3~4回程度を予定していますが、
終わりまでの期間中に頂いたサポート(or 有料コンテンツのご購入)は、
この話に出てくる友人たち等へ普段はしないような
何か面白い事・良い事をするために使おうと思います。
なるべく面白い事を起こして、その時の話をこの場で書きたいです。
(ただ、うまく出来なくても怒らないでください……こちらとしても新しい試みで模索中なので……)
例えば300円だったら、もう時期はずれだから一例だけど、何人かに年賀状を送ってみるとか。
例えば1000円だったら、誕生日プレゼントなどの形で(このグループには以前そういう風習があったので復活させてみる)、何か選んだ本を渡してみるとか。
そんなイメージ。
ではまた次回。僕は生き残ることが出来るか。
頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha