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自分の人間関係の特徴と反省点:「二極化」と「対決」(ほどほどの相手を増やしたい)

少数のとても仲の良い人と、多くの興味がない人に二極化させたがる傾向がある。

これは別に悪いことだとは思っていないけど、最近はさすがに極端になりすぎてきていると思っている。

中間くらいの人をもう少し増やさないと、とても仲の良い人に対して重くなりすぎて、その関係を壊してしまう。

そしてとても仲の良い人がいなかったり、いてもあまり連絡がとれない時期もある。そうなると、気持ちが不安定になってしまうことがある。これもなんとかしたい。


僕は男女を問わずとても仲の良い人に対しては、もう「大ファン!」って感じになる。

そして他の人に対しては、消極的だったことを反省している。もう少し親切にしておけばよかった。余裕がなくてうまくできなかったけど。

それでもやっぱり興味がもてない人とは距離を置きたいし、多くの時間を割くつもりはないけど、もう少しその間をなだらかにしておけばよかった。


いまは『十年来の親友との付き合い方に、驕りや甘えがあったんじゃないかと反省している。』という、前の記事で書いた友人と近いうちに会う約束が「心の支え」になっている。

心の支えというのはオーバーな表現かもしれないけど、自分としては本当にそれくらいの気持ちがある。

この人に対してもやっぱり「大ファン」って感じで、むかしは彼のミクシィの日記を何度も読み返したりしていた。それはさすがに重たすぎたと思うし、その感じが自分の話し方とか関わり方にも出ていたと思う。


関係が破たんする二つのパターン

パターンとしては大きく分けて二つある。

一つは、ご想像の通り、自分が重すぎて相手に嫌われる。

自分が少し受け入れられただけで、徐々に依存的な傾向を強めていくから。

全人格的な深いコミットメントへと向かっていこうとするから。相手もそれを求めているならいいけど、必ずしもそうではない。


もう一つは、自分が相手に甘くし過ぎるあまり、相手が思い上がって横柄な態度をとるようになり、こちらが嫌になるというパターン。

良い顔をしようとするだけでなく、言うべきことははっきりと主張していかないと、やっぱり関係は成熟していかないんだね。


人の成長のダイナミズムを感じていたい

それでも上述の友人との関係が壊れずに10年持続しているというのは、自分の力というよりは、相手の力や相性の良さが大きいと思っている。

彼はかなりハードな家庭で育った人で、昔は他人からするとよくわからないポイントで怒りを爆発させていた。数々の「事件」を起こしていた。

周りの人が傷つくこともあったし、僕が傷つくこともあった。でも彼自身が一番苦しんでいたんだと思う。


しかし長いトンネルを潜り抜けてからは、すごく穏やかでフェアな人間になっていった。同じ人物とは思えないくらいに。

もともと秘めていた、爆発的なエネルギーの扱い方を洗練させていったようにも見える。相変わらず思考のレベルは常人離れしている。


また、彼はマウントを取ることに興味が無く、自分が上であれど下であれど、上下関係ができること自体に抵抗感をもっているように見える。

それとは少しポイントが違うけど、自分も自分なりに鍛えておかないと、彼についていけなくなるんだろうなと思っている。

実力に大きな差があって、一方的に教えてもらうみたいな形になってしまうと、「つまんない奴だな」って思われそう。

そう思っても口に出さないんだろうし、だとしてもその場でできることを彼なりに工夫して楽しもうとするんだろうけど、それでも自分にできることではしっかりと貢献していたい。親しき中にも礼儀あり。


付き合いが長いと、このような人の成長のダイナミズムみたいなものが感じられるところも楽しい。


関係を長い目で見る? 損切りして探索を重視する?

自分は誰かと一度関係が悪化しても、一年後・三年後・五年後……のお互いだとまた違った形で関われるんじゃないかと思っているので、あまり関係を切りたがらない傾向にある。

良く言えば長い目で見ている、悪く言えば損切りができずにこだわりすぎるというところか。


一度お互いの関係性の枠組みが定まると、それを変化させたり更新することが苦手な人もいるみたいだけど、自分の場合はそれをかなり柔軟に変えていくことができると思う。だからこそこだわる。

でも逆に諦めることの大切さを痛感することも多い。無理があると続かない。歩み寄りの努力をするなら、他をあたった方がいいってことも現実的にあると思う。


そんな風になっていることにも理由があって、自分が興味を持てる人ってとても少ないから。レアな存在なんだよね。

そして自分が興味を持つ人は、だいたい変わった人であることが多い。普通の人と普通に仲良くしたいとはあまり思えない。自分自身が変わった人だしね。

(余談:余暇として外出するにしても、「何をするか」を重視するタイプの人と、「誰とするか」を重視するタイプの人がいるという話を聞いたことがあるけど、自分の場合は圧倒的に後者だ)


自分は人間関係に、どこか「対決」を求めているのかもしれない

でもそういう変わった人には、他人の目からは奇妙に思えるような「強いこだわりやポリシー」があることが多くて、それが原因で関係が悪化することがよくある。

そしてその内容を簡単には教えてくれなかったり、そもそも本人でもその全貌を把握していなくて、言語化できていない場合も多い。

正直、難しさも感じる。心底、嫌になることもある。


だとしても、普通の人との関係の中で、相手の「普通」の枠組みの中でうまく振る舞っていれば、その友好的な関係はある程度続くのかもしれないけど、それだけじゃどこか満足できない自分がいる。

そういうのって寂しいし、なんだか疲れてしまう。

一度「この人はこういう人だ」という型で理解してずっとそのままになるんじゃなくて、お互いの未知の人間性を理解していこうとする気がなければあまり面白みを感じられない。


無味無臭で清潔な人間関係より、自分はどこか血みどろな「対決」を求めている部分があるのかもしれない。

たとえそれで苦しんだり、傷ついたりしたすることになるとしても。これまでの人生を振り返ってもいくつもの心当たりのある話だ。

そして「対決」するからにしては、相手が弱すぎるとつまらないのかもしれない。自分を丸めている人よりも、刃を研いでいる人との対決のほうが魅力的だ。もちろんその分リスクだって大きくなる。真剣勝負だ。

ただ、その真剣勝負はお互いの合意で行われるものであり、その暗黙のルールや枠組みを壊そうとされるのは苦手だな。そこを攻撃されるとどうしようもなくなってしまう。信頼と安心が大事。じゃないと成立しない。


ほどほどの相手を増やしたい

でも、真剣勝負だけじゃすぐに精神的に不安定になって生きていけないので、ほどほどの相手を増やしたいっていうのが今回の話ね。

というわけで、その「ほどほどの相手」になることに興味がある方も、そうでなくただ眺めていたい方も、今見ている僕のnoteアカウントをフォローしていってねw 宣伝ww
(少し元気がでます、もうしてくれている方はいつもありがとう)


あと『友達だけに話したいことを書く秘密基地』という、月額でなく一回の買い切りの有料マガジンもやってます。

これは宣伝だけど、自分の知名度ではまとまった収益なんてあがる見込みは全然なくて、ここでいただいたお金を「収益」という言葉で表現することにも違和感も覚えている。

これは自分なりの人間関係の一つの形なんですよ。人間関係って言っても、眺めていてもらうだけで全然いいので、警戒しなくても大丈夫ですけど。

喫茶店のコーヒーをおごるくらいの金額を自分に与えてくれる人がいる、そういうことを感じたいんですよ。それはただのお金じゃなくて、別の意味を感じているからこそ、やる意味があると思ってます。

あとは、僕の人生におけるいくつかの重要なエピソードを知ってもらうことで、例えば同じ記事を読むにしても、よりエモーショナルに、より厚みを持って感じられるんじゃないかと思います。

(もうしてくれている方々は、本当にありがとうございます)

*次の更新まで早割価格の250円、マガジンの詳しい説明はこちら。


そしてこの「ほどほどの人を増やしたい」という考えは、『認められなかったので、認められたかった。愛されなかったので、愛されたかったんだと気づいた。』という以前の記事の地点から、思考を進めた現時点での進捗です。

あと、これまでに言った「普通の人」っていう言葉自体に馬鹿にしてるようなニュアンスを感じさせているかもしれないけど、彼らも彼らでこの世界で重要な位置を担っているのだと思う。変わった人だけじゃきっとうまく回らないから。


エンターテイナーや娯楽に関わる人へのリスペクト

少し話が変わるかもしれないけど、自分はエンターテイナーなど、娯楽に関わる人もリスペクトしている。だってこんな深刻なことを考えている人間すら、笑わせることができるんだから。

その中でも、自分の欠点やコンプレックスを笑いに変えられる人は本当にすごいなと思う。馬鹿にされることもたぶん多いんだろうけど、ものすごい人格的達成に見えるな。

誰もがピエロになれるわけではない。そこは幾つもの夜と涙を越えてきた先にある地点だ。きっと。


あるいは、お笑いでも技術的なレベルが高いとある意味恰好がつくみたいなところがあると思うんだけど、どうしようもない下ネタでも何でも使ってなりふり構わずに笑いを取りに行く姿勢にも、一種の人格的達成を感じる。敬意を払いたくなる。いや、ここは笑ったほうがいいのかもしれないけどww


今回はこれでおしまい。じゃあ、またね。

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha