友人の結婚と出産を、私はいつまで喜べるだろう
私にとって結婚や出産はそれほど重要ではない。
そうは思っていても、世の中には結婚式のキラキラ広告や幸せいっぱいな子供のいる家族像が溢れている。とうとう私のインスタにも、結婚式場の広告が入るようになり、やはり一般的にターゲットとされる年齢になったのだと実感する。
「多様性」という言葉が闊歩するようになったところで、目や耳に否が応でもでも入ってくる情報というのは、どうしたってマジョリティに基づいていて、それらは(特に20代~30代の女性に対して)幸せな家庭像に集約しがちだ。
参ったな。いつか私も、道を歩けば当たる広告たちや周囲の「良い人いないの?」攻撃、いわゆる”スタンダード”として扱われる幸せの形に押しつぶされる日が来るんじゃないだろうか。
自分自身や人生、これからの未来に対して無根拠な自信があった20代前半から一転、そんな不安がよぎるようになった20代後半戦。幼馴染が結婚し、地元の友人が妊娠、海外に移住した友人はママになった。
私はというと、アロマンティックを自認し肯定しながらも、これからをなるべく寂しくないよう生きるにはどうすれば良いのかを考えている。
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こんなことを言っているけれど、友人たちの結婚は素直に祝福できた。自分ゴトのように嬉しかったし、美しく貴いものを見るような気分だった。
けれど妊娠・出産は、聞いたときにどこか暗い影が一瞬よぎった。
なんとなくだけど、結婚した子どものいないフレッシュな夫婦はカップルに近くて、結婚前と後の大した変化を感じなかった気がする。
ところが、子どもが加わると途端に家族という形態が出来上がるような感覚があるのだ。(もちろんDINKsを選択した友人もいるけれど、今回はあくまで私の感覚の話)
それは、私にとって(彼ら彼女らの人生を思えば当然の話なわけだけど)友人たちが遠のくことを意味していた。
ここで初めて気が付いた。恋愛結婚ができない私はこのままだと本格的にひとりになるぞ、と。こんな世の中をひとりで生きていかなければならないなんて怖すぎるじゃないか。
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今はまだ、友人の結婚や出産を素直に祝福できる。けれどいつか、世の中のスタンダードや自分自身の黒い影に押しつぶされるときが来たら、そのときはサクッと日本から逃避しようと思う。10年くらい海外で過ごして、また日本へ戻ってこようか。そうすれば、私は私の思う嫌な人間にはならずに済むかもしれない。
世のみんなはどうやってこういう気持ちを処理しているのか、だれかに聞いてみたい。
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