見出し画像

人生は「ガチャ」で決まるのか

外国人の友達を連れて日本へ帰ると、「ガチャガチャ」(カプセルトイ)をみんな珍しがって驚く。日本の文化って、ミステリアスに映るらしい。

一方、世間で流行ってる「人生は〈ガチャ〉で決まる」という考え方。これはもはや、ブラックジョークと解釈されてしまうらしい。

自分の力だけではどうにもならない、「運要素」の事柄を、何が出てくるかわかならい「ガチャガチャ」に例えた表現で、「親ガチャ」「配属ガチャ」「友達ガチャ」などと表現する。


引用:NewsPicks

NewsPicksの記事によると、いまや学生の間では「親ガチャ」が行動しないための口実として使われているらしい。”何をやってもムダだという「慢性的無気力」を生んでいる”と記事は告げている。

果たして人生は「ガチャ」で決まる傾向にあるのだろうか。

引用:NewsPicks

これに対して様々な読者がコメントしている内容が興味深い。
例えば「国ガチャ」については、

生まれた時の親と場所では勝負できない、ならば、親は変えられないので、場所を変えるしかないでしょう。 「地元」の呪縛から抜け出せない人は日本にも、世界中にもいるし、むしろ人類の大多数です。 地方から東京に出る、くらいで逆転できる時代は終わりました。明治時代とか、せめて昭和前半ならそれでもけっこういけたのですが。

今や、日々、世界中で何千万人という人々が、生まれた場所から移民や難民として離れようとして、虎視眈々と機会をうかがっています。成功するのは一握りです。 地中海をボートで渡ってヨーロッパに入るとか、メキシコ国境のフェンスを越えて米国に入るとか、彼らにはそれしか逆転のチャンスは無いのです。

静岡県立大学 塩崎准教授 

引用:NewsPicks

確かに、生まれた国や親が「ガチャ」という度合いについて言えば、日本は他の国に比べてずい分格差のない社会だと考える。

例えば筆者が30年近く住んでいるアメリカでは、アイヴィー・リーグやスタンフォード、MITの大学に行くためには、経済的な難関をクリアしなければならないし(例えばコロンビア大学やスタンフォード大学の年間授業料+学生寮は日本円にして1千万円)、ファイナンシャルエイドを受けるにも、様々な条件が要求される。

医療費や健康保険費用は日本の8倍ぐらいは軽くかかるし、人種や学歴にしてもオモテから見えるよりもずっと大きな差別や格差が社会に存在している。

引用:NewsPicks


親ガチャというものが本当にあるとして、その親を変えることはできないけれど、国を変えることならできる。

今後は日本を脱出して、自分の持っている「ガチャ」がどう出るか、
試してみようという日本人が増えていくのではないだろうか。







サポートは株式会社スクーンジャパンおよび米国スクーン社が乳がんのNPO団体(LBBC)に寄付する資金に利用させていただきます。