子どもたちに怒りをぶつけたくない。その一心で、片づけた
車で1時間の距離にある実家から帰る車の中、突然6歳の息子が私に質問をしてきた。
「2001年ってお母さんは何歳?」
なんでそんなこと聞くのか疑問に思いながらも、眠気でぼんやりした頭を働かせて答えた。
「21年前だから、14歳。」
そう答えるのと同時に、胸の中がからっぽになり、頭の中は当時の虚しい記憶がよみがえる。
「なんでそんなこと聞くの?」
とりあえず息子に聞き返したが、その返事は私の頭には届かなかった。
私が14歳の時、父親が事故で亡くなった。
それから21年。
何度も何度も頭の中で自分の年齢を計算し直す。
何度計算しても14歳。
あれからもう、21年。
当時、中学生だった私も今は35歳。
21年の間に色々なことがあったはずなのに、どの記憶もぼんやりしている。
父を亡くしてから、私の時間は止まっていた
「心の中に生き続けている」とはこのことなのか?
いや、ちがう。
これは「執着」だ。
ハッキリとそう思えた。
私は父を亡くしてから、全てがうまくいかなくなった。
生きづらさを感じるようになったのも、その頃からだ。
今思えば、全ての原因をそこに求めていたような気がする。
毎日、当たり前のように日が昇り、新しい1日が始まる。
地球は回っていて、過ぎた時間は絶対に戻らない。
それなのに、私はずっと過去に囚われていたのだろうか。
どんなに悲しく、辛いことがあったとしても、時間は止まってくれない。
父の死に「執着」していた私は、21年間という長い歳月、「自分」を「今」を蔑ろに生きてきたような気がする。
「自分を大切にしたい」「今を大切にしたい」
ありきたりの言葉だが、ここ最近になってようやく自分の中に落とし込めるようになった。
父の死後、生きづらさを感じるようになった私は、自分の考え方や捉え方を変えなければと自分を否定し、もがいていた。
そんな当時の私が、生きづらさを隠して「普通」に生きるためには、自分の感情に蓋をするしかなかった。
自分の感情に蓋をして過ごすうちに、「楽しい」「嬉しい」「悲しい」といった自分の感情が分からなくなり、「怒り」の感情だけが自分の中に蓄積されていった。
子どもたちに「怒り」をぶつけたくない。その一心だった
5年前、夫の転勤先の狭小住宅で、当時2歳の長男と生後4か月の次男の育児を一人でこなしていた。想像を上回る育児ストレスに、私の中に長年蓄積されていた「怒り」の感情が溢れ出した。
自分の子どもに対して、憎しみにも似た「怒り」を感じる自分が嫌でたまらなかった。
当時の私は、子どもたちにイライラする原因は自分の気持ちに余裕がないからと考え、時間を生み出すために片づけを始めた。
子どもたちに「怒り」をぶつけたくない。その一心だった。
疲れていても、「これくらいならできる」と思える程、簡単に片づく仕組みを考えた。
その結果、自分が穏やかでいられるような空間に整えることができた。
自分に合う片づけの仕組みを考え、物を手放す過程では、自分と向き合い、自分のことを知る必要があった。
そのとき初めて、自分の判断基準で決めていいのだと感じ、気持ちが軽くなったのを覚えている。
片づけをして、自分の価値観や判断基準がはっきりとしたことで、「自分がどうしたいのか」を大切にした選択ができるようになり、生きていくことが楽しくなった。
そのとき、子どもたちへの「怒り」は軽減したものの、根本的な解決にはつながらなかった。
片づけを始めてもうすぐ4年。
昨年、体調を崩したことをきっかけに、もう一度、自分と向き合うことにした。
幼少期の記憶や父の死、家族との関係性などこれまでの自分の人生を振り返った。
私にとって、それは刃物でお腹をえぐられるような、辛くて逃げ出したくなるような時間だった。
そして、やっと自分が自分の感情に蓋をして生きていたことに気づいた。
しかし、長い間、自分の感情を無視してきた私には、自分の感情を大切にする方法が分からなかった。
私のすぐそばで子どもたちが教えてくれていた
楽しいときに見せてくれる、キラキラした笑顔。
嬉しいときには、飛び跳ねて喜びを全身で表現している姿。
悲しいときや悔しいときには、全力で泣き叫ぶ姿。
怒っているときには、闘志むき出しで襲いかかってくる力強い姿。
「これが感情なのか」
当たり前のようなことに、今さら気づく。
それからは、自分の感情を大切にすることを意識して過ごした。
自分の中から湧き上がる感情を否定することなく、分析することなく、そのままを感じる。
自分の感情を認めていくうちに、自分自身のことも認められるようになった。
今まで完璧を求めて、何かを監視するように自分や子どもたちに向けていた自分の厳しい視線が、だんだんと優しいものに変わっていくのを感じた。
それと同時に、子どもたちに向けられた強い「怒り」の感情も落ち着いたのだ。
5年前、育児をきっかけに溢れ出してきた、憎悪にも似た強い「怒り」。
その感情を子どもに向けたくない一心で、「空間」を整えた。
そして、それまで色々なものに埋もれて気づけなかった、自分の「感情」を整えた。
私を生き苦しい世界に閉じ込めていたのは他でもない私自身だった
「もっと早く気づけていたら」そんな風に考えることもある。
しかし、きっと私は人から言われても理解できなかっただろう。
人は、自分で気づかなければ変われないのだ。
私は「整える」ことで「自分を」、「今を」大切にできるようになった。
息子の言葉を聞いて、私はもう変われているんだなぁ。
心からそう思えた。
「自分を大切にしたい。」「今を大切にしたい。」
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