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ベネチアの涙(フランス恋物語82)

偽装夫婦

私は、北原さんの谷原章介似の爽やかなルックスや、優しい物腰に元々惹かれていた。

北イタリア旅行3日目のベネチアで、私と北原さんはナンパオヤジを諦めさせるため偽装夫婦を演じた

北原さんはそれに乗じて私にキスをした。

このキスをきっかけに、旅の同行人だった二人の関係に変化が生じた。

北原さんに抱きしめられながら眺めたベネチアの夜景は、とても美しかった。

彼と親密になることでロマンチックな思い出もできたので、それは決して悪いことではない。

夜、同じ部屋で過ごすかどうか聞かれた時は、迷いながらも断ったが・・・。


明日は旅行最終日で、私はパリに戻り、北原さんはミラノの自宅に帰る。

燃え始めた二人の恋は、これから一体どうなるんだろう?

Mattina

10月8日。

9:30のサン・マルコ寺院の開館時間に合わせ、9時にはホテルのチェックアウトを済ませる。

「おはようございます。」

ホテルのロビーで、私を見付けた北原さんは他人行儀な挨拶をした。

昨夜はエレベーターの中でキスして別れたのに、何事もなかったようだ。

どうして、キスまでした仲の人に、元通りな態度を取られると寂しく思うのだろう?

男の人はそういう時、どんな気持ちになるのだろうか。

「やっぱり昨夜北原さんと一緒に寝なくて良かった」と、私は思った。

Campanile di San Marco

私たちはサン・マルコ広場に着くと、まずはベネチアの景色を眼下に眺めようと、サン・マルコ寺院の向いに建つ鐘楼に昇った。

【Campanile di San Marco】(サン・マルコの鐘楼)
高さは98.6mあり、サン・マルコ寺院の前の角に単独で建っている。
下半分はシンプルなレンガ造りになっており、その上部にアーチ型の鐘架があり中に5つの鐘がある。
鐘架の上にはヴェネツィアを象徴する歩行中のライオンと女性の形が象ってあるレンガ造りの壁があり、さらのその上にピラミッド型の尖塔が乗っている。
この尖塔の頂上にある金色の像は大天使ガブリエルを模したものである。
鐘楼は1514年に現在の形で完成しているが、1902年に崩壊したため現在サン・マルコ広場に建っているのは1912年に再建されたものである。
ベネチアにある観光名所の中でも特に有名であり街のシンボルとされている。

鐘楼の入口は全然混んでおらず、私たちはすんなりとエレベーターに乗ることができた。

鐘楼から眺めるベネチアの景色は、霧が濃くてあまり良くなかった。

それはまさに、今のモヤモヤした自分の心境を表しているようだ。

「うわ~、ショック。

すごく期待していただけに残念。」

私が嘆いていると、北原さんは前向きなことを言った。

「まぁ『霧に包まれたベネチア』もなかなか幻想的だし、趣があると思えばいいんじゃないかな。」

北原さんは、今の私たちの微妙な関係にモヤモヤしていないのだろうか。

Basilica di San Marco

鐘楼を出ると、今日一番の目玉であろうサン・マルコ寺院へ向かった。

【Basilica di San Marco】(サン・マルコ寺院)
福音記者マルコにささげられた、ベネチアで最も有名な寺院。
ビザンティン建築を代表する記念建築物であるとされるが、その当時、コンスタンティノポリスで500年以上も前に流行した形式を採用している。
Piazza San Marco(サン・マルコ広場 )に面して建ち、ドージェ(総督)の館であるPalazzo Ducale(ドゥカーレ宮殿)に隣接し繋がっている。
建物内は、黄金に煌く壁や天井と、祭壇には2,000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の衝立がある。

朝イチに来たということもあり、そんなに並ばずに入れることができた。

サン・マルコ寺院は外観も素晴らしいが、中が豪華絢爛で驚いた。 


2階のテラスに出てみると、霧はすっかり晴れていた。

正面はサンマルコ広場、左はドュカーレ宮殿、更にその向こうは・・・という、最高の眺めを楽しめて、私は嬉しかった。

「やっぱりベネチアは美しいね・・・。」

思わずつぶやくと、北原さんも頷いた。

「ベネチアは何度でも来る価値があるよ。

前回は一人で行ったけど、やっぱりここはレイコのような素敵な女性と来るに限るね。」

ここで、”夫婦ごっこ”を解除した後も北原さんに呼び捨てにされていることに、気付いた。

よく考えたら、私の言葉遣いもかなりぞんざいになってるし、お互い様なのか・・・。

Ca' d'Oro

サン・マルコ寺院を出ると、今日もヴァボットのチケットを買って、運河を移動しながら昨日行けなかった教会や美術館を見て回った。


”Ca' d'Oro”(カ・ドーロ)という美術館の建物が独特で、私はとても気に入った。

【Ca' d'Oro】(カ・ドーロ)
正式名は、Palazzo Santa Sofia(パラッツォ・サンタ・ソフィア)。
かつて外壁に金箔と多彩色の装飾が施されていたことから、カ・ドーロ(黄金の館)と呼ばれた。
1420~34年建造のゴシック建築の傑作。
1階に玄関ホール、2~3階に客間や居室を配する商館と住宅を兼ねた宮殿であったが、19世紀末にフランケッティ男爵の所有となってから修復され、1916年より美術館として公開。
展示室は2~3階で、1階の中庭では彫刻が美しい貯水槽跡が見られる。
当美術館が所蔵する、マンテーニャの『聖セバスティアーノ』は必見。

カ・ドーロは運河沿いに建ってるので、テラスから眺める景色は最高だった。

1階部分には中庭があり、突き当たりには川に面した船着きスペースがある。

今まで日本にいてもフランスにいても、運河に迫った建物というものを体験したことがないので、ベネチアはその非日常感が堪らない。

「ねぇ、この景色独特で良くない?

柵の向こうには運河が迫っていて、その眺めは美しいんだけど、洪水の時は今にも水が流れてきそうなスリル感が・・・。」

私の問いかけに、北原さんは答えた。

「言いたいことはわかるよ。

でも、今地球温暖化でベネチアも地盤沈下が激しいらしいから、このままだと冗談で済まなくなるかも・・・。」

そっか・・・。

地球温暖化のことなどすっかり忘れていた。

ベネチアの未来は心配だけど、「とりあえず今来ておいて良かった」と思った。

Basilica di Santa Maria della Salute

目に付いたイタリアンレストランで軽くランチを済ませると、私たちは観光を再開した。


ヴァポレットからの眺めの中でも、とりわけその美しさで目を惹いたのは、”Basilica di Santa Maria della Salute”(サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂)だ。

”白亜の聖堂”という言葉がピッタリなその外壁は、夕陽に照れされると優しいピンク色に染まり、昨日見たその姿に私は一目惚れしていた。

【Basilica di Santa Maria della Salute】(サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂)
一般に”サルーテ”と縮めて呼ばれる、カトリック教会のバシリカ。
17世紀にこの地を襲った黒死病(ペスト)が沈静するようにという願いを込めて建てられた。
設計を担当したのは、バロックの巨匠であるバルダッサーレ・ロンゲーナ。主祭壇に掲げられた聖マリアとイエス・キリストの彫像と、ドームの内側に描かれたティツィアーノ作の天井画「カインとアベル」「ダビデとゴリアテ」が有名。

床のモザイクは鮮やかだが、柱や壁はシンプルな配色で、すっきりとしている。

シンプルでも厳かさや気品の高さを損なっていないのが、まさに”大運河の貴婦人”という言葉通りでいいなと思った。

堂内を一通り見て回ると、私は感想を言った。

「私、ここの教会の清廉さが好き。

いつもなら華やかなものを好むんだけど、ここは別格だと思う。」

北原さんは、私の言葉を気に入ったようだ。

「”清廉”っていい言葉だね。

ここはペスト救済を目的に建てられたから、昔から疫病終焉を願う人々の救いを求める気持ちが込められている。

だから、レイコはそう感じたのかもしれないね。」

北原さんとの会話が楽しくて、「やっぱりこの人と一緒に旅して良かった」と思った。

Vaporetto

「最後にヴァポレットで1周して、水上からのベネチアの眺めを見納めにしない?」

まだ街を出るまで時間があったので、北原さんが提案した。

「うん、すごくいいと思う。」

そう言って、私たちは”サルーテ”前に止まったヴァポレットに乗り込んだ。


ベネチアの風を感じたくて、私たちは甲板に立ってその眺めを楽しんだ。

私は隣の北原さんを見ながら、最後のお願いをしようと決心した。

「北原さん・・・。」

風に髪をなびかせた彼は、いつも以上にかっこよく見える。

「なに?」

旅の終わりを感じて名残惜しくなった私は、思いきって言ってみた。

「最後だから、甘えていい?」

彼は嬉しそうな顔をした。

「なんだそんなこと。

言ってくれれば、ずっとそうしてあげたのに。

レイコは僕にとっての”姫”なんだから、望むことは何でも言っていいんだよ。」

そう言うと、昨日よりも愛情たっぷりに後ろから私を抱きしめた。

嬉しさと寂しさで、私の目から涙がこぼれる・・・。

北原さんは何も言わず、優しく頭を撫でてくれた。

「私ね・・・北原さんとイタリア旅行できて本当に楽しかった。

ミラノで出会った日に、『一緒に行きたい。』って言ってくれて本当にありがとう。」

北原さんは私の頬にキスすると、耳元でつぶやいた。

「僕の方こそ、一緒に旅できて嬉しかったよ。

レイコのことは一目惚れだったけど、一緒に過ごすうちにもっと好きになった。

今、こうやっていられて、本当に幸せだよ。」

私は涙を拭い、ベネチアの美しい景色を忘れないよう目に焼き付けた・・・。

Aeroporto

北原さんに空港まで見送ってもらうことになり、もう私たちは距離を置くことはなく、恋人のように接した。

でも、私は「好き」という言葉や、「今後のこと」については言及しなかった。

お互い、”この旅の間だけ”というルールの中で一緒にいるのだから、ここで完結させなければと思っていたからだ。

私より一回り上(昨日、42歳だと聞いた)の北原さんは、私以上にクールに捉えているだろう。

そう思っていたのだが・・・。


出発ゲート前での最後の挨拶の時、北原さんは私に言った。

「パリに行ったらまた会ってくれる?

仕事の都合は付けられるし、1週間くらいならそっちにいられると思う。

もっとレイコと一緒にいたい。

すごく大人で割り切っていると思っていた北原さんにそう言われ、私は驚いた。

「気持ちはすごく嬉しいけど・・・。

私、10月11日から25日までマルタ島に英語留学に行くし、パリに戻ってからは帰国準備で忙しいから、会うのは難しいと思う。

私、10月末には日本に帰国するの。」

そのスケジュールを聞いて、北原さんは諦めたようだった。

「そっか・・・わかったよ。」

さすがに、日本に帰る私と遠距離恋愛をする気はないようだ。

それは、大人の彼らしい賢明な判断だと思った。


そろそろフライトの時間だ。

「これっきりになってしまうのは寂しいけど、いい思い出をたくさん作れて良かった。

北原さん、ありがとう。」

私は彼にキスをすると、振り返らずそのままゲートへと歩いて行った。

Chez moi

こうして、その日の夜には私はパリの自宅へ戻った。

北イタリア旅行はたった4日間だったが、北原さんとの出会いでとても濃いものになったと思う。

しかし、10月は予定を詰め込みすぎて、旅の余韻に浸っている暇はあまりない。

マルタに出国する11日まで数日あるから、その間に留学の準備をしないと。

持っていく物の準備だけでなく、仲介エージェントとの最終確認などやることはたくさんあった。


久しぶりにパソコンを開くと、とても懐かしい人からメールが届いていた。

それは・・・去年の年末の渡仏直前までお付き合いをしていた、東京の元カレ・智哉くんからだった。


彼とのやりとりにより、私の帰国後の展望が開けてくるのである・・・。


ーフランス恋物語83に続くー


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