asami sayaka

ハウスバード株式会社代表「人間が本来与えられている知性感性優しさ自由な心を取り戻せる場…

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ハウスバード株式会社代表「人間が本来与えられている知性感性優しさ自由な心を取り戻せる場所を日本中に溢れさせる」をミッションとし、1日単位で貸し出せる家/別荘/宿を作っています。アクセンチュア→レインボーバード幼児教室創業&売却→産業革新機構(VC投資)→現職

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  • タタターな記事たち

    タタター(tathata)とはサンスクリット語で「あるがままにある」という意味です。 出来るだけあるがままの自分を表現できる場所にしたいと思い有料にしました。尊敬する先輩の手法を真似て頂いたお金は全額NPOに寄付をします。

最近の記事

シュヴァイツァーとの出会い

昨日はほぼ丸一日1人で自由時間が取れたので、仕事を少しした以外の時間は読書に浸ることができた。そこで「わが生活と思想より」を読了。 今回この本との出会いは、娘の紹介によるもので、それも心躍るエピソードの一つ。娘が「10分で読める伝記」から彼の人生を紹介してくれ私が彼に興味を持ったのだった。 今回の本は、最近読んだ本の中では、「進みと安らい」「禅マインドビギナーズマインド」に次ぐくらいの感じで興味を持ったのだが、何に興味を持ったのかといえば、彼の思想(哲学的論考の内容)と生き

    • 秋について

      軽井沢に住み始めて2回目の秋 盆を過ぎたら秋の風ということで色んなことが少しずつ秋という季節を表現していく まずは、花が綺麗に咲くこと こちらに来て知ったのだけれど、花の季節は春にも増して、秋なのだと知った。 コスモスだけでなく、いろんな花が道を彩ってくれる。 さ そして果物や食べ物。東京でスーパーに行く時は特に気が付かなかったのだけれど旬っていうのは意外と短い。 まずは巨峰やシャインマスカットがスーパーを彩り、次に栗、さんま。栗やさんまは2週間ほどで去り、その次はり

      • 心と構造

        何事も、心と構造、その両面から見ていくこと、その両面のバランスをうまく取りながら捉えること、一方に偏りすぎないこと。 それが大事だなぁと思ったので、書き残してみたいと思う。 心 心というのは、身体性という言葉とも置き換えらえると思っている。頭(論理)で捉えられないもの、頭を超えているもの、個別最適化ではなく全体性。微分ではなく積分。頭で理解しようとすることさえがおこがましいというか、そうではなくて、全身で受け止める、といった表現の方が合うような類のもの。 構造 構造という

        • ブッタは幸福をどう定義したか

          今日はブッタが幸福をどう定義したかについて書きたいと思う。 キリスト教の聖書と違って、仏教には「この一冊を読んで握りしめて頼りにすればいい」みたいな成典がないと思っているのだけれど(それがまた東洋思想っぽくて好きなのだけれど)あえていうならば、「ブッタのことば」「真理のことば、感興のことば」(中村元訳)がそれに当たると思っている。その中で短いけれど釈尊の幸福論をまとめている部分があるのでその部分を引用し、自分なりの解釈をまとめてみたい。 (参考:「ブッタのことば」第2章4節こ

        シュヴァイツァーとの出会い

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          3本
          ¥1,000

        記事

          今年のゴールデンウィーク

          ゴールデンウィークも明日でおしまい。 今年もどこにも出かけず軽井沢で過ごした。 軽井沢の春は東京より少し遅れてくる。ゴールデンウィークはちょうど冬から春へのトンネルを潜っているような、そんな期間なのだと思う。 つらつらと振り返ってみよう。 畑の始まり ゴールデンウィークはちょうど苗を植えて良くなる時期、それより前に植えると霜でダメになってしまうことがあるらしい。私たちも今回ご近所の方に教えてもらった小諸の小林農園という苗屋ハウスに苗を買いに行った。 こんな色んな種類の苗を

          今年のゴールデンウィーク

          本との出会い方や相性について

          本を選ぶ時、私は割と著者で選ぶことが多い。面白いと思った本があったら、その人の過去の本を色々と買って深掘りしていくいうパターン。人ドリブンで本を選んでいるとも言える。そういうような本との出会い方をしていく上で、著者によって大きく傾向が分かれることがわかった。今回は自分の頭の整理のためにそれをちょっとまとめてみようと思う。 また前提としては、すぐに使えるノウハウ本やビジネス本は今回の考察には入れていない。数百年前くらいからの名著やその解説本、その弟子や友人がまとめた本などを対

          本との出会い方や相性について

          道についての考察

          道についてもここで少しまとめておこうと思う。 道の必要性について

          道についての考察

          運動をして幸せになる

          運動は体のためではなく、心のためにするもの? 村上春樹さんや松浦弥太郎さんがマラソンを心の拠り所にしていたり、尊敬する経営者の先輩が過酷なレースに出ていたりするのをみて、「きっと社会で活躍する人はマゾヒシズムがあり、それが故に運動にも力を入れて挑戦を続けるんだろう、私はそこまでストイックにはなれないなぁ」などと考えていた。 私は、運動が体によい、ということは知っていたけれど、頭に良い、心に良い、というのは知らなかったのだ。これはあまり知られていない真実なのではないだろうか。

          運動をして幸せになる

          幸せになるために何をしたら良いか

          自分の人生における"成功と幸せ"の定義は何か

          幸せになるために何をしたら良いか

          幸福と道について

          幸福について、ちょっと前からだらだらと考えてきたことをまとめておこうと思う。 よく会話の中などで「幸せになるために生きているんだから, xxxxなんて大事ではない、どうでもいい」みたいな話が出ることがある。xxxxには、お金とか昇進とか、そういう社会的なキーワードが入るケースが多い。 そこで、多くのシーンで人生の目的として使われている「幸福」って、そもそも、何だろうということについて5年前くらいから考えることが多くなった。 自分の中ででた結論としては、幸福とは、目指すべき

          幸福と道について

          家の中からできるだけ出ること

          最近自分の(仕事ではなく)個人的なKPIは、外にいる時間を増やすことだ。外と言っても、外出とかではなくて家のテラスにいる時間を増やすこと。そのために、ワークマンで作業着っぽい防寒着を買ったり、電気毛布や湯たんぽ(座布団がたとソックスがた)も活用している。 そこまでして外にいる時間を増やしたい理由は、気づきがとても多いからだ。気温が少し違うだけで感じる肌感覚が違ったり、木が風になびく様子、鳥の声、自分の五感から始まり集中していけるような感覚になる。 スマホに集中したあとに現実世

          家の中からできるだけ出ること

          私とあなたではなく、私と私たちについて

          自然/仏教とビジネスでは分野がだいぶ離れているため、自然/仏教から学んだことをビジネス分野に適用させようと思うととても抽象度が上がってしまうのだけれど、今日は最近自然や仏教から学んだ「私と私たちについて」ビジネスにどう活かせるか書いてみようと思う。 私はずっと長い間、私とあなた、つまり、自と他、という発想のもと色んな物事を捉えていたように思う。二元論的な考え方は、近代では馴染み深い。そこから敷衍して、自らが動いて他(会社や事業や社会含む)を変えていこうという情熱とか、自分が

          私とあなたではなく、私と私たちについて

          風に遊ぶ

          僧侶の方が、修行を通じて今は常に「気付いている状態」である、と言っていたのを聞いて、坐禅していない世俗に生きているときにも気付いているってそんなことってあるのかなと疑っていたのだけれど、私も最近、なんでもない時もたまに「気づけている状態」でいられる時間が増えた。 空が綺麗だなと心を空に委ねられたり、自分の存在が薄くなって風の一部になっているような感じがしたり、木に親近感を感じたり now hereがとてもクリアになり、時間の感覚がなくなる。すごく時間が経ったように思うけれ

          風に遊ぶ

          初心の技術の宿題(1)

          今年の9月から藤田一照先生の「初心の技術」という三ヶ月のワークショップに参加しています。そこで毎回宿題が出るのですが、こちらに書き留めておこう。 課題図書は、鈴木俊隆著 松永太郎訳『禅マインド ビギナーズマインド』鈴木俊隆著 藤田一照訳『禅マインド ビギナーズマインド2 ノット・オールウェイズ・ソー』(2冊ともサンガ新書) 読みやすいのに内容が濃いというとても良い本だった。

          有料
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          初心の技術の宿題(1)

          時間に対する概念の違い 都市のそれと地方のそれ

          よく沖縄時間とか、軽井沢時間とか言って、時間の流れる速度が都市と地方では違うというような表現をするけれど、軽井沢に住んで4ヶ月以上経って、時間の概念を捉え直している。 時間がゆっくり、というよりは、 時間に数字をつけなくなった、という表現の方が的確なのではないかなと思う。 数字で測り足したり引いたりする時間ではなく、日の陰り具合とか気温とかお腹の空き具合とか、そういうもので時間を感じている気がする。当日にご飯に誘ったり誘われたり、それが心地よく感じるようになった。仏教的に言

          時間に対する概念の違い 都市のそれと地方のそれ

          「ブッタが教える愉快な生き方」書評

          草薙先生の本を読み交流させていただいて以来、仏教に興味が湧いている。自然の中でぼーっとするときの感覚を仏教的に解釈すれば的確に言語で表現できる気がして、気に入っているだけなのかもしれない。森の中の生活と宗教的な勉強はとても相性が良い。 この本はとても読みやすく、超初心者向きで誰でも楽しめる本だと思う。 面白かった内容/文章は下記 ・頑張らずに(doingせずに)身をまかせる(beingする) ・私たちは「縁起」として存在している(縁起とは宇宙の全ての存在が無量無辺の因縁に

          「ブッタが教える愉快な生き方」書評