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時間に対する概念の違い 都市のそれと地方のそれ

よく沖縄時間とか、軽井沢時間とか言って、時間の流れる速度が都市と地方では違うというような表現をするけれど、軽井沢に住んで4ヶ月以上経って、時間の概念を捉え直している。

時間がゆっくり、というよりは、
時間に数字をつけなくなった、という表現の方が的確なのではないかなと思う。
数字で測り足したり引いたりする時間ではなく、日の陰り具合とか気温とかお腹の空き具合とか、そういうもので時間を感じている気がする。当日にご飯に誘ったり誘われたり、それが心地よく感じるようになった。仏教的に言えば、今にフォーカスして、今を生きているような感じがする。

時間以外に関しても、数字をつけたり、言葉で名前をつけたり、そういうことを一旦外してみると今まで見えなかった感覚とかが現れてくるんだなという気づきがあった。数字や言葉で社会を発展させてきたことを否定したいのではなくて、数字や言葉を外した世界というのがとても美しかったと言いたいだけなのだけれど。

こんなにも美しい世界で生きることができて本当に幸せだなと身体中で感じながら時間を過ごしている。

追記
時間について本川達雄先生の講義がとても秀逸だったのでメモ
時間には絶対時間と相対時間があり、絶対時間は生物の大きさ(心拍数、呼吸数等)によって異なり、時間と時間あたりエネルギーをかけた総エネルギー量はどんな生物でも一致している。
それが資本主義で時間あたりエネルギー量を増やすことが善とされ、利益につながるという構造になると、時間も速くなり、生物としての身体の時間との間のギャップが広がってきている、とのこと。
生物×仏教思想×社会という知識の幅と広さがやばい
https://youtu.be/su8RlGXm7vw

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