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風に遊ぶ

僧侶の方が、修行を通じて今は常に「気付いている状態」である、と言っていたのを聞いて、坐禅していない世俗に生きているときにも気付いているってそんなことってあるのかなと疑っていたのだけれど、私も最近、なんでもない時もたまに「気づけている状態」でいられる時間が増えた。

空が綺麗だなと心を空に委ねられたり、自分の存在が薄くなって風の一部になっているような感じがしたり、木に親近感を感じたり

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now hereがとてもクリアになり、時間の感覚がなくなる。すごく時間が経ったように思うけれどほとんど時間が経っていない。

私は子供の頃ボーッとしていることが多かったそうで両親から「ぼーぼーさん」と呼ばわれていたらしいけれど、自然の美しさに心を委ねたとき、本当に口を半開きにしてボーッとしてしまう。

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レイチェルは、センスオブワンダーの中で、こんな言葉を残している。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

子どもに対してだけでなく、大人のためにも、そしてその大人の中にちゃんと存在している幼かったときの自己自身のためにも、感じること、がどれだけ大切か、それがどれだけ感謝と幸福に満ち溢れていることか、気づかされる。

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