私とあなたではなく、私と私たちについて

自然/仏教とビジネスでは分野がだいぶ離れているため、自然/仏教から学んだことをビジネス分野に適用させようと思うととても抽象度が上がってしまうのだけれど、今日は最近自然や仏教から学んだ「私と私たちについて」ビジネスにどう活かせるか書いてみようと思う。

私はずっと長い間、私とあなた、つまり、自と他、という発想のもと色んな物事を捉えていたように思う。二元論的な考え方は、近代では馴染み深い。そこから敷衍して、自らが動いて他(会社や事業や社会含む)を変えていこうという情熱とか、自分が成長すればもっと会社もよくなるという努力の方向性とか、色々なことの起点が自分とあなたという考え方だったように思う。

今まで私は、私と私たち、についてはあまり向き合ってこなかった。というか、私たちという概念は知らないうちにどこかに置いてきぼりにされいて、いつの間にか忘れてしまっていた。今まで自と他の概念で色んなことが説明がついたし、私たちに関しても、結局のところ"自"でないものは"他"であると考えていた節がある。

自然の中で生活をして、また仏教を勉強して、体感としても、また思想としても"私たち"というものが"わかった"ことによって、今私は、家族や会社における私たちについても今後少し違った見方で正しい方向性で向き合っていけそうな気がしている。

自然の中で、四季が巡り日が巡り多くの生き物の生死が繰り返されその中の一部として自分が存在しているという世界観の中で、"私たち"を捉えるということは、生態系/宇宙/世界の不可思議を捉えるということにあたる。それは、自分というものから一歩離れて自分を含む大きく遠く及ばない存在(用語的には、神とか、空とか、理とか言ってもいい)を捉えるということになる。"私たち"は、私の力が及ばないようなものだから、私たちを変えていこう、良くしていこう、と思った時の効果的なソリューションは、私を良くするというものではない。もっと、ただ受け止める、とか、信じる、とか、待つ、とか、方向性を失わずに自分にできる範囲のこと精一杯する、とか、そういうことのように感じる。

この学びを人間社会に引き伸ばして考えてみると、"私たち"にあたるものは、家庭だったり会社だったりするのだけれど、上記のような考え方で共同体と向き合ってみるのが良いのではないかなと最近考えている。
家庭も会社も小さな組織なので、自の影響力も大きく、自分が頑張れば、自分がもっと成長すれば、結果的に家庭や会社も良くなる、という思考法で動きがちなのだけれど、きっとそれは驕りだったんだろうな。自分を含む共同体というのは自分とは別に存在していて、その共同体自体がどうすれば良くなるのか、をきちんと考えてみる必要がある。そう考えてみると自分の動き方も変わるし、お金の使い方も変わるし、時間の使い方も変わるかもしれない。

具体的に言えば、会社(という複数人で構成されている共同体)が社会というもっと大きな存在にとってどんな役割を担い、どんなプロダクトを提供し、どんな影響を、そしてどれくらい大きい影響を与えたいのか。そしてその共同体がどんな思想で集まり、どんな行動指針を持ち、またそれぞれの命を持っている個人がもつどんな側面を活かせたら良いと思えるのか。

こうやって書いてみるとすごく有り体な内容なのだけれど、自分を超えた存在をデザインし、そこに貢献する、そしてそれを育てる、というのはどういうことなのかということを考えるきっかけを自然や仏教からもらった気がしたのでした。ちゃんちゃん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?