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【知育×人生観】人生を主体的に生きること。子どもも…そして大人も。

この記事では「主体的」の定義を
(1)自主的に行動する。
 自らの意思や判断を尊重して実行する。
(2)他に強要されず、
 また嫌々や衝動的でもなく、
 自らの意思決定で自発的に行動に移ること。
(3)自覚や意思に基づく行動で、
 他人の関与や影響がない。

としています。

🧩先日のつぶやきで

とつぶやいたところ
QOLアゲアゲ星人さんから
コメントをいただきました。

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という内容をいただいたので、
経緯と思考を言語化して
記事にしてみました。

🧩『保育に正解はない』と言われるが…

様々なかたと交流して、
様々なかたの本を読んで、
様々なかたの意見を聞いていると、

今の日本人の子どもへのかかわり方で
足りない部分が見えてきた。

「保育に正解はない」と、
この業界ではよく言われている。

そして、学校教育においても
「教育に正解はない」と言われているそうだ。

「正解はない」
この言葉は、
正解がないなら何をやってもいいとか、
あなたも私も正解だよね、
という意味ではなく

子どもにとって
より良い環境とはなにかを
目指し続ける姿勢のことを指すのだと思う。

今回はそんな「正解のかけら」
見つけたような気がしている。

それは、
【子どもの願いをかたちにして、
 大人の社会のなかで実現しうる機会を
 援助すること】


…いや、まだ足りない。
【子ども自身が
 社会に影響を与えられた経験をし
 それが当たり前に感じられるように
 生きること】


それが、
今の日本には足りない
そう思うようになってきた。

子どもが社会に影響を
与えるのはどうしたらいいのかを考えるなかで、
”子どもの主体性”という言葉が
キーワードになります。


🧩【生まれてから高校まで】ずっと課題の”主体性”

保育士の手引書となる
保育所保育指針には
「子どもが主体的になるように」

と書いてある。

先日、小学校の先生と対談したとき、
「子どもの主体性を育てるには…」
という言葉があがった。

高校の校長の話を聴いたときも
「子どもの主体性が課題」
という内容だった。

…いずれもずっと課題のままだ。

0歳から18年間、ずっと解決せずに
課題のままであり続けている。
これはひょっとしたら教育に携わる大人の
根本的な方針が違うのかもしれない。


保育園の後半から
小学校にいって
45分間座ることを想定し、
椅子に座る時間を長くしていく。

小学校では
45分間座って教師の話を聞いて
黒板に書かれたものをノートに書く

高校では
「いい大学に入れるように」と、
習ったことを頭に刷り込んでいく。

大学では
「いい就職先に入れるように」
早くからインターンで働き始める。

そして社会人になっていく。

これらは本当に
子どもから湧き上がってくる”主体性”なのか?
どこか大人は
社会を”そういうものであたりまえ”として
認識していないか?

子どもはいつ、
大人の仲間入りをするのだろうか。


🧩大人は主体的に生きているのか

では、そのように育った大人は
主体的に生きているのだろうか。


主体的でない大人が育てるから
主体的でない子になるのか。

主体的でなく育った子は
いつ主体的な大人になるのだろうか。

決められた就職場所について
決められた業務内容をして
身を粉にして働いて
疲れ果てて帰って寝る。
これは主体的に生きているのか。

もちろん、その業務に対して
生きがいや、心からのやりがいを
感じているのならば、
それは主体的といえる。

私たち大人は
今、欲しいもの。
やりたいこと。
望む人生。
どのように生きていたいのか。
それをまっすぐに持ち続けているのだろうか。


こういうと
「お金がほしい」
「もし、お金があるんなら」

答える人も多いと思うが、

お金は空から降ってくるものではない。

何かしたいこと
願いごとが自分のなかにあるのならば、
自分の人生なのだから
自分のやり方で稼いで
自己実現していく必要がある。


その自分のやり方が分からず
経験もなく、
結局『できたらいいな』
終わってしまう。

でも、
ここに、
子どものころに
行動で社会が変わった経験を持っていたら

それが自分の魅力や
能力や長所だと気づけていたら。

彼らも、私たちも、
なにか変わるかもしれない。

🧩【答えのヒント】たち

【答え】になりそうな
ヒントを4つを挙げますので
ここから一緒に答えを考えてください🍀✨


🌱ヒント1:『かつて聞いた講義』

10年以上前に加藤繁美さんの講義で
『5歳児の協同的学びと対話的保育』
実践を聴いた。

”新潟中越地震の新聞の切り抜き”
持ってきた園児から物語が始まる。

被害にあった保育園があり
そこになにかできないかという話になり、

単なる募金活動…ではなく、
散歩コースにある銀杏拾いを始め、
銀杏を食べられる状態に加工し、
バザーを開き、銀杏を売って
その収益を保育園に届ける実践が載っていた。

深い学びになるためには、
自発性や偶発性が
大きな影響をもっている。

子どもからの
自発性と偶発性を待っていると
大きなプロジェクトが出ない年もある。

全員に経験してほしいと
カリキュラムの一環で組むと
自発性と偶発性はなくなっていく。


なにか良い手立てがあるはず…。


🌱ヒント2:『敬語のない社会』

敬語は日本の美徳のようでいて、
なかなか厄介な側面もある。
生まれた年が1つ2つ違うだけで、
敬語を話さなければならない
のは、
なかなか興味深い文化だ。

生まれてから生きている時間と
その人に敬意を払えるかは
実際は比例していないことが多い。

先輩と同じ感覚を共有したいとき、

自分よりも後輩に
敬意を払うとき、
この敬語が邪魔をしているように感じる。

年寄りは優遇されるべきと主張する老人
お客様は神様だと主張するなども
この年功序列の社会のシステムが
作り上げているのではないだろうか。

一方で、
英語には、
基本的なやりとりに日本のような敬語がない。
年下も年上もいわば”タメ語”で会話をする。

そこに尊敬がないかと言われたら
そうではない。
相手に敬意を払いながら、
タメ語で会話をする。


大人は子どもの提案を聴く姿勢があり、
子どものジョークに大人が笑う。


そして大人は
ときどきレクレーションに本気になる。
年寄りだって、若者に負けじと
ジョークを言って若者を笑わせる。

この敬語がない社会
子ども→大人の垣根を低くして、
大人→子どもの垣根も
低くしているように感じる。

そう考えると、
逆にSNS”全員が敬語でやりとりする”環境は
日本人にとって、
相手との垣根を低くさせる
良い環境なのかもしれない。

ここにもなにかヒントがありそうか。

🌱ヒント3:"カーウォッシュ(洗車)”という選択肢

グアムに在住してたころ、
現地のバレーボール仲間が
「”体育館の改修費用が足りない”ということで
 お金が必要だ。
 そこでカーウォッシュをしようと思う」

と、言う話があがった。

グアムには助け合いの文化や
寄付の文化が発展していて
お金を工面する際に、
このカーウォッシュという手立ても
その一つになる。

洗車をしたい人は、
街中で「car wash」のプラカード
掲げている人のところへ行って
洗車をすると、
洗車代は目的達成の寄付に使用される。

1台5ドルで子どもも大人も協力し合い
プラカードを掲げ「car wash!!」と叫び
やってくる車を洗い、
から拭きしきれいにしていく。

子どもが大人と一緒に社会につながり、
体育館改修プロジェクトの一端を担う。

それが、一大決心ではなく、
ごく当たり前の感覚で行われている。


ここからも
なにか持ち帰れるものはないか。

🌱ヒント4:ユダヤ人大富豪の教え

年明けにこの本を読んでから
行動の範囲が少しずつ広くなっている。

人生に必要なのは、人生を楽しむこと。
好きなことを考え続けて実行すること。
好きなことを実行しているとお金が増える。
自分とよく対話をすること。
自分の才能を社会と分かち合うこと。
嫌いなことはしないこと。
両親、兄弟、政府、会社に依存しないこと。
小さなワクワクを見つけ実行すること。
魂を打ち込める何かを見つけること。
そうした姿勢を子どもに見せること。

生かされているのではなく、
自分で生きている。
そう認識させてくれた本だった。

🧩”行動したら社会が変わった”という経験

『ユダヤ人大富豪の教え』のなかで
気になった文言がある。

ここも主体的に生きることへのヒントになる。

【好きなことを実行しているとお金が増える】
というもの。

この文を読んだときに
「ホントか?」と思ったが、
自分の経験を思い直すと
確かにそうだという場面が思い当たった。

🌱例1【カード大会】

中学生のころ、
トレーディングカードが好きで、
毎日のように友達と遊んでいた。
周りも盛り上がっていくうちに、
カードのトーナメント戦をするようになり、
参加費を取って大会を行うようになった。

「好きなこと」→カード
「継続」→トーナメント費用
🌱例2【和太鼓サークル】

大学の頃、
和太鼓サークルを立ち上げた。
最初は上手くなることを目標にして
活動していたが、
実習園などでその話をすると
公演の依頼を受けるようになり
営業を続けるなかで、
毎月講演料が入ってくるようになった。

「好きなこと」➡和太鼓
「継続」➡公演料
🌱例3「かるたの販売」

同じく大学のころ、
「ボードゲームをつくりたい」という目的で
無理を言って講師にゼミの担当をお願いした。
カードゲームは紆余曲折あり
”食育かるた”という形に代わり、
企業にプレゼンをかけ、タイアップし
全国に公募をかけながら、
作品は書店にならぶことになった。

「好きなこと」➡ボードゲーム
「継続」➡全国販売

学生のうちまでは
色々とフットワークが軽く
いろいろ自由に動いていた気がする。

就職してからは、なぜか
”この仕事で稼がないといけない”という
固定概念にしばられていった。

おそらく今
主体的に生きられていない大人も
子どものころに
楽しんでいったことを継続したことで、
何か社会を巻き込むものに変わった経験が
大なり小なりあるのではないか。

こういう
”社会を変えた”という感覚を得たときに、
近くで、
「あなたは今、すごいことをしたんだよ」
と、言ってくれる人間がそばにいたら、

社会人になったからといって、
行動することにフタをすることなく、

その人にとって、
大きな力になっていくに違いない。

社会に子どもが影響を
与えやすい環境づくりが、
今後、子どもが主体的に生きるうえで
大切になってくると感じる。

🧩おわりに

子どもが主体的に生きるためには、
まずは大人が主体的に生きること。

主体的に生きていない人間が、
子どもを主体的に育てられるのか。

なかなか難しいことだと思う。

一人ひとりの大人が、
「自分の幸せのために生きている」
胸を張って言えるようになったとき、
子どもがもっと輝きだす日がくる。

大人になったら誰かのために働く。
それが社会人になるということではない。

自分のために、
好きなことを継続して
自己実現していくことを
続けていくことで、
周りが変わっていく。

子どもにそういう環境を用意する手立てを
考えていくとともに、

自分自身のために
好きなことを考え続けて
実行していきたい。

この記事が
誰かのなにかの
きっかけになることができたら
幸いです。

経緯と思考にお付き合いいただき
ありがとうございました。

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