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優等生ものがたり2. 「勉強の意味と、300冊の本」

こちらの続きです↓(全5話)


高校生。

進学校の、進学クラスに入りました。

そこには、私よりも真面目そうな、大人しそうな子が多かったので、ちょっとだけ息がしやすくなりました。

高校を機に、ちょっとだけイメチェンした私。キャラをちょっと明るくして、自由ほんぽうに生きやすくなった気がしました。


1年目は、めっちゃ勉強してた。なぜなら、東大に入りたかったからです。

お姉ちゃんたちを見て、受験の大変さや準備の大切さをよく知っていた私。

入学前の春から、塾に通いはじめ、Z会などを併用しながら、四六時中、勉強に明け暮れました。

寝ても覚めても、気がつけば勉強。息をするように学習をして、暗記し、問題を解き続けていました。


なぜ、東大か。といえば、一番だから。

私にとって「いちばん」はまだ、私自身の価値と紐づいていて、数ある大学の中から、いまの私にとって最適な大学を選ぶことはできないし

でも、あとから行きたい大学が見つかって、後悔するのも嫌だから

1番を選んでおけば、間違いないか。

とりあえず、東大を目指しておけば大丈夫かな。

という具合でした。


最初のテスト。地域の進学校といっても、自分のこれまでいた中学校とは違います。

同じように結果が出せるのか、少しだけこわかった。怖かったから、自分にできることをただ尽くしました。

結果————1位。同じように進学校でも、学年で一番をとることができました。

通用してよかった。と、安堵すると同時に、母や父もとても喜んでくれたので、嬉しかったです。


そこから勉強すること、一年。

高校一年生の終わり頃、私は人生で初めて、ある危機と直面します。


勉強に飽きた。

そう、年度の始めから、エンジン全開で吹かしまくっていた私。ここに来て、だんだんと飽きが見えはじめたのです。

相変わらず、順位は1位でしたが、なんとなく周りとのギャップを感じていました。

そりゃそうです。私はひとり、東大を目指して闘っていたわけですから。


ある時の、定期テスト。

私は初めて、対策の手をちょっとだけ抜いてみました。いつもなら完璧に抜かりなくやるけれど、ちょっとめんどくさいなと思って、やめてみた。

結果————順位は同じ。変わらない。

点数は落ちても、誰も追い抜かない。


なんだ。

がんばる意味なんて、ないじゃないか。

なんとなく私は、戦意喪失して、やる気も同時に、失ってしまったのです。


勉強モチベーションが、だだ下がりとなった私。

そこで私は、生まれて初めて「勉強する意味」について、考えだしたのです。

今までは、お母さんが褒めてくれるから。できると嬉しいから。負けたくないからというゲーム感覚。

なんとなく世間的に正しいとされているし、やっておいて損はないから。という理由でした。


でも本当に、『自分にとって』意味のあることなのか。考えてみた。


そうして、見えてきたことは

勉強ってなんのためにするの?
→目先、定期テストのため。

どうして、定期テストのために勉強するの?
→受験のために、実力をつけたいから。

どうして、大学受験のために勉強するの?
→大学でいい所(東大とか)に入りたいから。

どうして、いい大学に行きたいの?
→いい所に就職したいから?

私にとって、いい所ってどこ?


ここで、立ち止まってしまいました。


そりゃそうです。当時の私は、盲目的に勉強したり、世間のニーズに合わせて求められた姿をふるまうだけで

やりたいこと。学びたいこと。好きなこと

なんて、これっぽっちも、分からなかったからです。


大学の先の、就職でやりたいことも決まってないのに、本当にむやみに勉強になんて、打ち込んでいていいのか。

それは私にとって、ほんとうに「正しい道の在りか」なのか。

ぐるぐると考えはじめました—————。


(当時をふり返って思うと、その段階でやりたいことが見つからないのなんて、別にふつうなんですけどね。)


誰にも相談できない。

誰かに聞きたい。相談したい。アドバイスがほしい。

そう思った私、でも思い浮かぶ人なんて、誰もいませんでした。


親はきっと、「勉強すれば」って、言うだろうし。

先生もただ、いい大学に行ってもらって、学校の成果として、挙げたいだけだろうし。

友だちに言ったら、何だかイヤミみたいだし。

どうしよう。


田舎で育った私の知っている職業なんて、

先生やお医者さん、弁護士、保育士、看護師、公務員。。とか、それくらいしかいません。

その「目に見える職業」の選択肢の中から、選びとりたいものがなかった。

だから、周りにある職業の人からは、答えが得られないだろうな。と思う


そこで私は————本に頼ったのです。

読書家だったし、唯一のゆるされる娯楽(と勝手に考えていたもの)が、本でした。

近くの本屋さんや図書館に行って、片っぱしからそれらしい本を、読みはじめました。
(※計300冊以上)


生き方の本、ビジネスの本、心理の本。いろいろありました。

ネットの情報の渦よりも、多少、本を書くくらいの権威ある人の方が、信頼できるかな。という思い込みもありました。


最初は、成功者の人の本。本田宗一郎とか、松浦弥太郎さんとか、ホリエモンみたいな。経営者の人の本ばかりが目について読みました。

堂々と力強く、自分の生き方の論理を展開して、自由に生きている様はなんだか、とてもカッコよく見えました。

私もそうなりたいな、と漠然と思うようになりました。


そこから私は、ビジネス関係の本を読み漁っていくわけですが。

気づくと「心理学」とか、カウンセラーや『自分らしい生き方』を提唱している人の本を、読むようになりました。心屋仁之助さんとか、本田健さんとか。

そこで私は、とても大きな気づきを得たのです。


悩んでるのは、私だけじゃない。

そのカウンセラーさんの本に書いてある「生きづらさ」は、まさに私の思い悩みとぴったりでした。

ぴったりすぎて、驚いて。

自分の心を押し殺して、いい人になろうとしたり、母親の期待に応えようとして「できる人」でいようと我慢をしていることが、生きづらさの要因であるというのです。

そして、似たような人たちがたくさんいて

その考えに共鳴して、自分をうまくさらけ出せなかったり、自分のことが分からなかったり、生き悩んでいるんだということを知りました。


自分だけじゃないんだ。

このことは、私を大きく救ってくれた気がします。


心の声にしたがう。

それから私は、ないがしろにしていた自己の部分を、大事にしようとしはじめました。

心で感じていることに視点を当てて、大切にしてあげる。素直な感情にしたがう。

それまで、心を押し殺してきたことで、様々な成果を得てきたと思う私にとって、それは根本から覆す「ひじょうに恐ろしい」行為でした。


他人の声にしたがっておけば、間違いないし、自分の責任にもならない。

安全だと思っていたソレから離れて、『自分の心』なんていう、あいまいな感覚を信じることは、恐怖でしかありませんでした。

でも、色々な本を読むと、同じように悩んでいた人たちが、同じように怖さを乗り越えて自分をつきつめて行った先に、自分らしく生きられる幸せがあったみたいだし。

きっと、大丈夫だ。そう思い込むようにして、ほんの小さな一歩を踏み出しはじめました。


前回の記事にも書いた、お母さんの手伝いをしないこと。

掃除を少しだけ、サボってみること。班長を決めるように言われても、周りの空気を読んで自主的に立候補しないこと。

学校をさぼってみること。塾をやめてみること。友だちに、言いたいことを言ってみること。

とにかく、思う通りにうごいてみること。これを徹底的にやりました。

もう別の意味で「心の声に従わないとダメ」と、心に反することに、恐怖を感じるくらいにまで。


すると、案外あっけなく、周りの反応は大してありませんでした。

私が傍若無人(と思う)行動をしても、多少は驚くことがあっても、周囲の人間関係(親や友だち)に、一切、変化がなかったのです。


これにはなんだか、拍子抜けしました。

え。こうしないと私、罰せられるんじゃなかったの? 愛されないんじゃなかったの?

てね。

きらわれると思い込んで、その覚悟で当たって砕けにいった私、その先にあったのは、今までと変わりのない世界でした。


でも、そこで私は「この世で生きることに対する、安心感」みたいなものが、芽生えたなと思っています。

なんだ。よかったんじゃん。

もちろん完璧にではないですが、それでも大部分を占めていた「きらわれる恐怖」が、ここで薄らいだことは確かです。


この先、私は「自分を出す」訓練をつみ重ねながら、ないがしろにしてきた「心」を常に焦点を当てて見つめながら、生きる練習をしていきます。


ちょっとだけ、生きづらさがへって、生きやすくなった私。

それでもまだ、やりたいことを見つけたり、自分らしく生きるまでには辿りついていません。

さて、ここからどうなっていくのか。

この次が、いよいよ大学編です。


つづく(2 / 5)


長文を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。☺︎

心躍ります^^♪