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中学生、私はカルト二世を自覚した。(1)何かが違うと思った日

この社会で、自分が何者なのかを迷い、葛藤し、泣きそうな、かつての私のような人がこれ以上増えないことを祈って文を起こす。


思い出したこと

「ネトウヨ」「パヨク」「フェミニスト」…今日もネットで飛び交うこれらの言葉たち。どちらがいいとか悪いとか。加担するとかじゃなく、ふと、自分のひた隠しにしてきた過去がよみがえってきた。

今、私はこの社会にごく普通(?)に存在する大学生だ。先日成人した。いわゆるミレニアムベイビーの世代である。

コロナが社会を飲み込む前は、派手ではないが普通に大学生活を送り、バイトをし、サークルに入り、恋愛・失恋を経験し、友情面も不自由なく過ごした。

周りから見ても、一つの充実した大学生活の形を送っているようにしか見えないだろう。

でも、私には極々親密な親友にすらあまり話していないことがある。それは自分が「カルト二世」「新興宗教二世」である。ということ。

この手の話は嫌厭する人も多く、まず話しても、まともに聞いてもらえない話題であることは間違いない。

この情報社会でも、同じような経験を持つ人がどのくらいいるのかなんてわからない。

個人的な希望を言うなら、足りないといわれる性教育と同じくらい、信教の基本情報くらい、みんなが学ぶ機会があってもいいのにと思う。グローバル化をあんなに叫んでいたのに、変なの。と思う。

私とカルト

私とカルトの話をしよう。私が二世たる所以は母だ。

熱心に信仰しているのは、岐阜県高山に本部を置く、手をかざして神からの光を業とする教団だ(以下”崇〇真〇”、”〇教〇光”とする)。

物心つく前からその場に通い、それが普通だと思ってきた。

母はママ友と呼べる存在を、教団関係以外では積極的に作らない人であったので、最初の”友達”はたぶん教団内での子だったのだろうと思う。

ふわふわで鮮明な記憶

私が”異変”に気が付いたのは小学3年生だった。発熱し、保健室で寝かされていた私に、担任が声を掛けに来た。

家に電話がつながらない、両親の携帯にもつながらないと言う。

どこか心当たりはないか。と訊く先生に、私は

「お父さんは今日出張で…お母さんは…道場かなあ」と言った。

専業だった母が行く場所の心当たりは ”道場” ― 教団の拠点が一番に思いついたのだ。もちろん、担任は教団のことなど知らない。

無邪気な私は、「自分の知っていること=大人はみんな知っていること」だと思っていた。

最初は「空手とか剣道とかの?」と聞かれた気がする。もちろん違うと言った。

しばらく考えた先生は「…宗教的なもの…?」と聞いてきた。

方言じみたイントネーション、何かいけないようなものを探るそうな、少し怖がるような目…。

担任はよく褒めてくれる人で、近所のおっちゃんのような親しみを感じていたからか、幼いながらに「なにか、違う」と思った。

火照る体でふわふわしながらも鮮明に残った記憶だ。

物心着いた時には習慣化している”それ”をまわりの人たちは知らないという事実。衝撃だった。

大好物だったのに腐ったバナナを口にした瞬間、トラウマとなり大嫌いになった3歳以来かもしれない。

誰も教えてくれなかった

小学4年、”崇〇真〇”では10歳から三日間の研修を受けると「おみたま」というペンダントのようなものを得、それを持つものは神の御業をなすことができるというシステムがある。

教団に反対姿勢の父を酔ったタイミングで説得し、私はなんの疑いも嫌味も後悔もなくその研修を受けた。

母や、その場にいる大人が期待してくれているのがうれしかった。

幼い心に熱心な信仰など形だけ。ただ、自分の存在価値を感じていたかった。と、今は思う。


これはもう一つの、私のはなし。




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