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NewsView #6 企業に政治的責任はあるか?

noteをご覧のみなさん、こんにちは。毎週日曜は、今週のできごとからテーマをひとつ選んで、そのテーマをViewする(観る・考える)記事をお届けします。

今回のテーマは「企業の政治的責任」。
ピックアップ記事はこちらです。

____こんにちは。

こんにちは。最近は気になるニュースが多いですね。

____そうですね。どんなニュースが気になってますか?

日本の各府県の緊急事態宣言にはじまり、仮想通貨ビットコインの急落もありましたからね。

ただ、いちばん気になるのはどれかと聞かれたら、迷うことなくアメリカの連邦議会議事堂の事件。なぜか日本ではあまり報道されていないみたいですが、民主主義を揺るがす非常に歴史的な事件だと思うんですね。

まだ抗議デモは予定されてるそうですから、このまま収束できず悪化することになったら、それこそ9.11並みにアメリカ史に刻まれる事件になると思います。

____議事堂の暴動では5人亡くなっていますよね。

はい。そのうちのひとり、アシュリー・バビットさんがSPに撃たれて亡くなる瞬間の動画が公開されてましたが、かなりショッキングな動画でした。

ぼくのイメージする民主国家アメリカの姿とかけ離れすぎていて、何が起こってるんだろうと。ちょっと怖い動画ではありますが、何が起きているのかを肌で感じられるので、一度見てほしいです。動画の掲載された記事を貼っておきますね。

https://courrier.jp/news/archives/228114/

____アシュリーさんは35歳女性で退役軍人。4人の子どもが残されたようです。

いたたまれないですよね。連邦議会議事堂には国家レベルの機密もあるはずなので、そこに暴力的に不法侵入する行為という意味ではSPの発砲がわるいと一概に責めることもできないし、かといって、乱入したから殺されて当然だと、故人を批判するのもそれはそれで違うと感じます。

この問題はもっと大きな視点で考えないと見えてこないんだと思います。その意味ではSNSで見つけたCIGSの記事が参考になりました。

____ふむ。

ただ、この問題の原因探しに本気で踏みこんでしまうと、本当に観点が多すぎてぼくも迷子になる予感しかしないので、ぼくとしては今回は「ビジネスセクターの反応」という切り口からこの事件を眺めてみたいと思います。

どういうことがを説明するにあたっては、さきほど紹介した記事にわかりやすい記述があるので、関連する部分を引用してみます。

今回の出来事に衝撃を受けて、アメリカのビジネス界も前代未聞の訴えかけを行った。昔から共和党支持者であり、2017年にトランプ氏を演説に招いたアメリカ製造業の最大業界団体であるNational Association of Manufacturers(NAM)は、同日驚くべき発表を行った。
それは、ペンス副大統領に直ちにトランプ大統領を解任すべきだという意見書を提出したというものだった。 これは憲法修正第25条を根拠としたもので、大統領が病気や義務遂行が不可能な状態に陥った場合、副大統領が大統領を解任してその職を引き継ぐというものである。この修正第25条が発動できる条件には、反逆罪やその他重大な犯罪などの場合が含まれている。
アップル、グーグル、フェイスブック、セールスフォースやJPモルガンのCEOたちも同日様々なメディアでこの暴動を非難した。

____企業も政治的な主張を出すくらいに、危機感が高まっているということですね。

そのとおりなんですが、さすがに行き過ぎた暴動が目に余るから企業たちも政治的な発信をせざるをえなかった、というふうにこれを捉えるのは、一つ見逃している本質があるなと思っていまして。

____ほお。

例えば、この連邦議会で起きた暴動問題を受けて、FacebookやTwitterがトランプ大統領のアカウントを停止したり、保守派が利用するParlerというSNSのサーバをAWSが停止したりと、彼らははっきりとした行動で、その意志を表明してるんですね。

____ここまでするのか、と少し驚きました。

そうですよね。

今までの資本主義には、民間と公務の間には大きな隔たりがあって、お互いに過度に干渉し合わない暗黙の了解みたいなものがあったと思うんですが、今回はある意味で、かなり”過度”な行動をとることで、テック企業が自らの政治意志を示しています。

____たしかに。

トランプが当選した2016年の選挙に、ロシアがfacebookやInstagramのアカウントを利用してフェイク広告を配信し、大統領選挙に介入していた疑惑があがったことがありましたよね。facebookが政治広告に対してファクトチェックをしない姿勢であることが問題視されました。

一方でTwitterは、ジャック・ドーシーの「政治的メッセージのリーチは、獲得すべきものであって、金で買うべきではない」という主張に従い、政治広告は全部禁止となっています。

____何もしないfacebookと全面NGのTwitter。両社、真逆の方針ですね。

ぼくもそう思っていたのですが、この件に関して述べた2019年11月のヤフーニュースの記事に、面白い考察があったので引用してみますね。

ツイッター、フェイスブックの対応は、政治広告を掲載するかしないか、においては真逆の方針だ。だが、両社に共通しているのは、政治広告についての判断を放棄しているという点だ。
ツイッターは政治広告の全面禁止によって、その内容を判断する手続きに入る必要がなくなる。フェイスブックは政治広告をファクトチェックの対象から除外することで、やはり内容判断の手続きを回避している。

____なるほど。

引用をつづけますね。

2016年米大統領選以来、フェイクニュースの拡散をめぐっては、コンテンツに関するソーシャルメディアの責任について「ソーシャルメディアは、メディアか、単なるプラットフォームか」という議論が続いてきた。
そこには、フェイスブックの場合、ユーザー数24億5,000万人超という膨大な情報発信サイトとして、そのコンテンツにどんな責任を持つのか、という社会的な問いかけがあった。

これを読んで、何か違和感ありませんか?

____あーなるほど。これだけ政治色を出すのを嫌っていたfacebookとTwitterが、今回トランプのアカウントを停止した、というのが、たしかに不思議ではありますね。

まさにです。

FacebookとTwitterが連邦議会議事堂での事件を受けてアカウント停止という政治的判断をするに至ったのは、今回の事件があまりに悲惨だったことに対するザッカーバーグやドーシーの憤りももちろんあるかもしれないし、暴動を助長したツールとして企業責任を問われるかもしれないというリスク回避の目的も、もちろんあるのかもしれない。

ですが、それよりも長い目で見たときに「企業はそのサービスが政治利用されたときにそこに責任を持つのか?」と問われ続けてきたIT企業が数年かけて出した結実として、今回「両社は一定の責任を請け負う決意をした」と捉えることもできると思うんです。

____企業の政治的責任が、ついに認められたと?

ちょっと乱暴な議論であるとは思いますが、そういった意味での転換でもあるんじゃないかなと。

そしてこのいわば「企業の政治性」は、両社のような大規模なプラットフォームを展開するグローバル企業が、徐々に「国家」というものに近づいていることの表れかもしれないと思うんです。

____ははあ。

「サピエンス全史」でハラリ氏は、人間が集団で行動できるようになった理由として、共通の虚構、共通の神話を信じることができるようになったからだ、と述べているのですが、要するに企業も、国家も企業も、数ある神話のひとつにすぎないんですよね。少し引用してみます。

近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根ざしている。(第2章 P43)

今回ここまで企業の政治性が如実化した理由は、両社がプラットフォーム企業だったからなんです。

____ふむ。

例えばfacebookの社内には独自の文化があり、固有のナラティブを持っていると思いますが、どんなにfacebookが大きい企業とはいっても、社員数は52000人程度しかいません。

企業の社員52000人の信じる神話と、アメリカ国民3.2億人の信じる神話と並べてみれば、5万人程度の神話ではまったく影響を与えられなくて当然ですよね。

一方で、facebookのユーザー数は何人か知っていますか?

____いえ、わかりません。多そうですね。

ええ、これがめちゃくちゃ多くて、27億4000万人だそうです。

____そんなにも。

この27億人がすべてアメリカに影響しているというわけではないですし、同じナラティブで団結しているわけではないのですが、純粋に数の力だけから可能性として考えたときに、27億人の信じる神話が、3.2億人の信じる神話に大きな影響を与えたとしても、不思議に感じませんよね。

実際に、2016年の大統領選挙でロシアがとったとされる戦略が、この27億人のうちの一部の人間になりすまして発信することで、アメリカの3.2億人に影響を与えたというものでした。

____そうでしたね。

この2つの神話の決定的な違いは、27億人のプラットフォームには特定の旗振り役はおらず、参加するユーザーが最終的に正解を選ぶはずだという市場主義に基づいているのに対して、3.2億人の国家には大統領という旗振り役がいて、特定の方向に全体を促していこうと働きかけるということです。

そして、このプラットフォーム的な新しい共同体のありかたは、良し悪しはさておき「ポスト民主主義」と呼べるかもしれないと思うんです。リベラル度合いが右にいくほど高まるとすれば、

社会主義(ソ連) → 民主主義(アメリカ) → ポスト民主主義(プラットフォーム企業)

とも表現できるんじゃないかなと。

____これからはポスト民主主義のほうに移っていくと?

今はそうなりかけているんじゃないか、とは思っています。

ただ、未来がそう進んでいくかというと、そうも単純には思っていません。だってあんまりうまくいく感じがしないじゃないですか。誰も旗振り役がおらず、完全にマーケットに支配された共同体なんて。

____あれ、それってもう、ポピュリズムじゃないですか?

あ、たしかに。

市場メカニズムによる富の配分が民主主義による意思決定が目指すものと一致するとは限らないのですが、そこを認めず、市場メカニズムにさえ任せておけばいい、と考えて人気取りに走ってしまうのが、大衆迎合主義、つまりポピュリズムでした。

____今回はまさにそれに近い状態に思えます。

ポスト民主主義なんてカッコつけて議論してみましたが、アメリカがポピュリズムに向かっているという現状をただ表しただけだったのかもしれません。

実際にトランプはfacebookのフェイク広告で当選し、Twitterで影響力を強めたという、まさにポピュリズムを代表選手みたいな人ですからね。

____そう考えると、今回の議事堂事件は、ポピュリズムに傾倒する人々の暴動だったのかもしれませんね。

もし本当にそうならば、これからのアメリカはこの揺り戻しの方向に動いていきそうですよね。右に行ったり左に行ったりするのが歴史の習性ですので。

その視点から今回の事件を整理すると、大規模化したグローバルなプラットフォーム企業がポピュリズムを助長しつづけた結果、行き過ぎた暴力事件に発展してしまい、facebookもTwitterも、これ以上ポピュリズムを野放しにはできないとして、結果的に政治性を持った姿勢を示すこといなってしまった、と言えそうです。

ポピュリズムが助長された背景には市場メカニズムを盲信した市場原理主義がありますので、それを否定された以上、もはや企業には政治性を獲得するしか道が残されていませんから。

____そう言えそうですね。

もしかしたら、グローバル企業が国家になるかどうかのボーダーラインは、ここにあるのかもしれませんね。

市場原理主義という信仰のもとにスケールしつづけてきた大企業が、ある一定の境目を超えると市場メカニズムがポピュリズムを過剰に助長しはじめ、最終的に市場メカニズムそのものを否定せざる得なくなる。

その「市場メカニズムを否定する瞬間」こそ、「企業が政治性を獲得する瞬間」であり、もっと言えば「グローバル企業が国家の世界観に足を踏み入れるボーダーライン」なのかもしれません。

(おしまい)

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