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小学生のラブレター

初めてバイトをしたのは高校1年の夏だった。

内科のクリニックで看護師をしていた母親が、
「あんた夏休みどうするの?どうせヒマならアルバイトしなさいよ」
と言って私に見せたのは小学校のプール監視員募集チラシ。

クリニックへ受診しに来た小学校の事務員さんが、息子(私)がそこの小学校出身と知りバイトを勧めて来たのだという。
どうせヒマ、という言葉にカチンときたけど、小学校のプール開放期間である夏休み1ヵ月間だけのバイトで日給も良かったから、結局私は引き受けることにした。



夏休みが始まり、毎朝チャリで5分程の距離にある小学校へ向かう。

職員室で鍵を受取りプールの門を解錠すると、最初の仕事はプール浄水装置の点検だ。
装置のスイッチを入れ、同僚と2人で正常に作動しているかを確認する。
その後プールサイドを歩いて一周し危険な物が落ちていないか調べ、プール水の残留塩素濃度を計測し、洗体槽に水と塩素剤を入れたり救助用具と救急医薬品を揃えたりする。

開場時間になる頃にはプールの周りを小学生が行列で待ち続けている。
開門して順番に子供たちを入れ、着替えが済むとプールサイドで準備体操。
洗体槽とシャワーを通り、やっとプールで遊泳となるのだ。
子供たちは嬉々として飛びこんで行く。

子供たちが遊んでいる間は溺れている子や体調不良な子、危険な遊びをしている子がいないかを常に監視している。
でもあまりに暑い日は私たちもプールに入って子供たちと遊んだりする。

午前の部が終わると一旦家に帰って昼食と休憩を取り、午後も大体同じ流れで仕事を行なう。
午後3時過ぎにプール閉門。
後片付けと最終確認をして業務が完了する。


監視員の1日はこんな感じだ。
思っていたよりする事が多く責任も伴うので楽ではなかったが、結構向いていたと思う。
8月になる頃には、私と同僚は真っ黒に日焼けしていた。



ある日、バイトが終わり校内の駐輪場へ歩いていると、10メートルほどの背後を2人の女子がついてくる。
2人は毎日プールに来ており、確か姉妹のはずだった。

私は振り返って「どうしたの?」と訊いた。
姉のほうの女の子が、
「おにいさん、お名前教えて下さい」
少し恥ずかしそうに言った。

私は戸惑ったが、子供の相手をするのもバイト代のうちだと思い直す。
「おにいさんはケイ(仮)で、もう1人はヨシキお兄さんだよ」
同僚の名前も一緒に教えてあげる。
すると、姉は妹を見てニッコリ笑い、
「ありがとう!ケイお兄さん、またあした」
2人は私にお辞儀して走り去った。


翌日、プールに来た姉妹の名札を確認すると、姉は5年生でクミ、妹が4年のマリと判った。
クミマリはいつも二人でプールで遊んでいて、たまに私と目が合うと手を振るようになった。
私もなるべく振り返してあげた。

ヨシキお兄さんには「ずいぶん小さいファンが出来たな」とからかわれたが、私にしてみればビジネスといえる。
言うことを聞かないガキも多く来るプールで、素直に私の指示に従ってくれるなら少しくらいサービスしても不公平ではあるまい。
味方は1人でも多いほうがいいのだ。

夏休みが終わるまで姉妹は帰りに後ろをついてきては、私に手を振り帰って行った。


こうして私の最初の夏休みのバイトは、事故もなく無事に終了した。



翌年の夏もプール監視員のバイトを続けた。
6年生と5年生になったクミマリも昨年同様にやって来た。

昨年とちょっと違っていたのはクミマリは相変わらず2人でプールに来ていたが、水遊びだけではなく泳ぐ練習もしていたことだ。
クミに聞くと、夏休み明けに行われる学校の水泳大会で少しでもいい順位になりたいらしい。

それならと私は姉妹に手が空いている時間で泳ぎを教える約束をした。
すると2人は毎日とてもよく練習し、夏休みの終わる頃にはクミは平泳ぎ、マリはクロールがずいぶん上手になって喜んでいた。


夏休みも終盤となり、バイトが終わって帰ろうとするとその日もクミマリが私についてきた。

私と話すのは大抵クミのほうだ。
姉らしく、マリの代わりとばかりによく喋る。
マリはクミのうしろで俯いて、はにかむような笑顔で見ている。

この日も私に声をかけてきたのはクミだった。
「お兄さん、泳ぎを教えてくれてありがとう」
そう言って持っていた紙袋を私に差し出した。
私が受け取ると2人はいつものように手を振り走って帰っていった。

紙袋の中を覗くと、お菓子と手紙が2通入っていた。

家に帰って見てみると手紙はそれぞれクミとマリから一通ずつで、クミのほうの手紙には、水泳コーチのお礼と今度勉強を教えて下さい、といった事が書いてあり、花のイラストのようなものも手書きしてあった。

マリからの手紙も大体似たような内容だけど、手紙の最後のほうに
”ケイお兄さん大好きです”
と小さく書かれていた。

小学生から貰った初めてのラブレターは、嬉しいけれどどこか照れくさく、くすぐったい気持にさせる手紙だった。



夏休みが終わって最初の休日。
クミからのお願いに応え、2人に勉強を教えるため姉妹の家を訪問した。

姉妹の母親はとても恐縮した様子で、居間を借りて2人に教える私へ必要なものはないか、お腹はすいてないか等々気を使ってくれた。
「仲の良い姉妹ですね」
「それだけがこのたちのいい所なんですよ」
クミマリの母は続けて、
「娘たちはプールから帰るとよくケイお兄さんの話をしていたので、御迷惑をおかけしているんじゃないかと心配でした」
「そんなことないです。片付けとか手伝って貰ったり、助かりました」
そう答えると、母は
「これからも娘たちをよろしくお願いします」
そう言って私に頭を下げた。



高校最後の夏もプール監視員だった。
私は結局、高校の夏休みを全てプール監視に捧げたことになる。

クミマリの姉クミは中学生になり、泳ぎに来るのは妹のマリだけになった。
それでも、クミは週に一度くらいマリの様子を覗きに来る。
マリは1人で泳いでいる時もあったが、同級生らしい女子達とも遊んでいたので、私はあまり心配してはいなかった。

ところがある日、マリはプールから上がって来て、気分が悪い、と小さな声で私に呟いた。
顔色が真っ青なのでプールサイドにバスタオルを敷いて寝かせ、少し落ち着いたら帰らせるつもりでいた。
けれど、暫くすると震えだしたのでこれはよくないと感じて、プールの外を見たがこの日クミは来ていない。
私はマリを着替えさせ、あとを同僚に頼み少女を背負ってプールを離れた。
思っていたよりマリはずっと軽かった。

クミマリの家は前に行ったので判っていた。
玄関で姉妹の母に事情を説明してマリを預け、私はプールへ引き返す。
そのとき、母親に抱えられたマリが私を見て少し笑顔になったのをいまでも覚えている。


数日後、クミがプールへ容態を話しに来た。
マリは風邪を拗らせ寝ていたが、だいぶ回復し母と自分もほっとしているという。
私もそれを聞いて少し安心した。

「マリが元気になったらまた来るね」
クミはいつも通り手を振って帰っていった。


けれどその夏、姉妹はもうプールに来ることはなかった。





高校を卒業して家を出ていた私は、大学4年の冬に就職準備のため実家へ戻っていた。

母親と地元のスーパーへ買い出しに行く途中、通りかかったバス停の前でふいに「ケイさん」と声をかけられた。

高校の制服姿のクミが私に笑顔を向けていた。

私は母に先に行ってもらい、クミとそこで立ち話をした。
クミは懐かしそうに私を見て、
「久し振りだね、何年ぶりかなあ」
「クミが中1でマリが小6の時以来だから4~5年は経ってるんじゃない」
「わたし、いま高2よ」
「見違えたよ。元気そうで良かった」
マリはクミと違う高校に入ったそうだが、今も仲は良いらしい。

やがてクミが待っていたバスが来た。
もう少し話をしたかったが、そういうわけにもいかない。
「じゃあ、元気で」
停留所から立ち去るとき、クミが「ケイさん」と私を呼び止めた。

「私より、マリに会わせてあげたかったよ」

クミはバスに乗り込み、歩道側の席に座って窓から私に手を振った。
小学生のころのそれとは違い、控えめな手の振り方だった。


姉妹の『お兄さん』から、ただの『ケイさん』になったのを少し寂しく感じながら、私は停留所から離れていくバスを見送っていた。


私と2人の姉妹の話はここで終わる。
あれから年月が過ぎ、彼女たちはどんな大人になったのだろう。

ふたりが今も仲の良い姉妹でありますように。




koedananafusiさんの記事から回想しました。
ありがとうございます。



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