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息子への愛

彼の父親ではない男性を「ツインソウル・魂の伴侶」である、と書くのはどうなのだろう?

と、わたしの自我の部分では何度も疑問に感じていました。

でも、そのたびに浮かんでくる答えは、

息子にも真実の愛とはどういうものなのか、ということを知ってほしい

と願う心でした。

そうすると、息子にとっては、自分の両親は真実の愛で結ばれていなかった、

そういう関係のもとに自分が生まれてきたのか、

と疑問に感じてしまうかもしれません。

それも考えました。

正直に言えば、答えは「YES」。

だからこそ、離婚したのですから。

本当の愛でつながっていない両親のもとで、私は一体何を彼に教えてあげられるというのか?

本当に正直に、その気持ちが離婚の決め手になったことは間違いありません。

そして、いつか息子には本当の愛とは、真実の愛とはどういうものなのかを母親の私が身をもって見せてあげることができたらどんなにいいだろう、と思っていたのです。

それは、わたし自身が育った家庭からの影響もあります。

とても幼いころから、自分の両親は愛情で結ばれていないということに気づいていました。

お互いに対する不信感ばかりが家庭では提示され、罵詈雑言、暴力はしょっちゅう、そして何よりその関係のなかで家庭を維持していくために子供(私や兄)を利用する・・・

それが本当に嫌だったのです。

私がいるから別れられない、そう母は何度も私に言っていました。

わたしはその言葉を聞くたびに、なぜ自分の心を偽ってまで、我慢して家庭を維持しようとするのか不思議でならなかったし、別れて一人で生きていく勇気のなさを私という存在のせいにするのか、といつも憤りを感じていました。

両親は、私にとって反面教師にしかならず、ポジティブに愛を学べる材料は一つもありませんでした。

なぜ私はこの両親のもとに生まれてきたのだろう?

なぜ本当の愛で結ばれている男女のもとに生まれてこなかったのだろう?

なぜ私は・・・

大人になっていくにしたがって、自分の存在価値を探すのに必死になっていきました。

だから、わたしはずっと本当の愛で結ばれる相手を探し続けていたし、愛を知らないからこそそれを知る術を探し求めていたのです。

そんな中、前夫と知り合い、この人なら、と結婚し、とても仲の良い夫婦として過ごし、8年後に息子を授かりました。

人生で最高に幸せを感じたし、このままずっと3人で幸せに生きていくのだと信じていました。

でも、愛に未熟だった私は、だんだんと自分のエゴを大きくしはじめていきました。

そして、エゴは彼や息子を支配しようと試み始めるのです。

妻や母として、「こうしてもらって当然」、「愛しているなら~なはず」、などと彼らの愛を天秤にかけたり、計ったり・・・

そして、自分を悲劇のヒロインに仕立て上げ、完全に被害者の立場として離婚を切り出すことに成功したのです。

もちろん、これは、ヒプノセラピーや瞑想などでじぶんと深く向き合った結果、自分のエゴというものの正体がわかったからこそ言えることですが。

前夫は良い人だったし、良い父親でした。

人としても、男性としても好きな人に違いありません。

ただ、私が未熟であったことと、私を愛の覚醒に導く相手ではなかったということが、別れに至る必然的な理由だったと理解しています。

離婚してしばらくは新しい相手を求める気持ちは浮かんでこなかったけれど、私の本質は決して眠ってしまったわけではありませんでした。

幼いころから知りたいと思い続けていた愛を、私の本質は簡単にはあきらめなかったのです。

でも、思うような相手にはなかなか出会えないまま時が過ぎ、

やがてわたしは息子を通して無条件の愛を体験することができ、それでもういい、十分に満足したと本気で思っていたのです。

息子を育てていく過程は、心から幸せと言える愛をじぶんの中に感じ続けてきました。

そして、息子が20歳を迎えた時、私の子育ては終了しました。

母親としての愛に変わりはないけれど、ここから彼に必要なのは私以外の誰かの愛に気づいていくこと。

少しの淋しさと、大きな達成感を感じつつ、これから私は素敵なお婆ちゃんになっていこうなどと考えていたのです。

もう、愛を欲することもない。

誰かに求めることもない。

エゴではない、本当の愛を知ることができたのだから。

でも、一つだけ忘れていたのです。

それは、真実の愛とはどういうものなのかを、私が身をもって息子に見せてあげること・・・

彼の父親とはそれができなかったけれど、短い人の人生の中でそれを知ることができるなら、そうしてあげたい・・・

もしかしたらそれはわたしの最大の「エゴ」かもしれません。

息子にとっては大迷惑なことかもしれません。

けれども、不思議なつながり、運命でこうして「魂の伴侶」と呼べる相手と出会ってしまったからには、それを隠す必要も、ごまかす必要もないと思っているのです。

だからこうしてすべてを書いています。

わたしたちがこれから学ぶことも数多くあるでしょう。

試練も課題もやってくるかもしれません。

それらが、正解か不正解か、真理かまやかしか、本当のところは誰にも分らない。

でも、人と人のつながり、愛やパートナーシップという最高の神秘を、わたしは息子を含めたたくさんのひとたちと共有していきたいのです。


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