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人生初の「責任」は吹奏楽部で出会った

わたしの人生に大きく影響を与えた人物のひとり。


それは、まぎれもなく中学校の部活の顧問F先生だった。

今の自分の考え方や価値観のベースには部活から学んだことが大きい。

仲間と協力して何かを創り上げる難しさと達成感、1人でもお客さんがいるならプロ意識を持って物事に取り組むこと。努力が必ずしも結果に結びつくわけではないけど結果を出すには努力が必要なこと、物事を継続することの難しさや常に勉強することの必要性…などなど。

今も、人生のあらゆる場面で辛い状況に陥ったら、クールで厳しかったあのF先生のメガネの奥の鋭い眼光と言葉たちを思い出す。



わたしは中学生の3年間、吹奏楽部に所属していた。
楽器はオーボエを担当。

1年生の頃はフルートを吹いていたけど、あまり向いてなかったのとオーボエの先輩が卒業するからという理由で、中学2年生になる前に先輩に頼まれてオーボエに転向した。

「吹奏楽部」というとわたしの中では華やかで、大人しいイメージだった。


わたしは単純に「運動部に入りたくなかったから」という理由で楽譜も読めないのになんとなく入った部活だった。フルートに決めた理由も「なんとなく楽器が可愛いから」という理由。

そのときのわたしは何も知らなかった。安易な考え方だったと今は思う。
大人しいどころではない。

忘れることのない、とても厳しくて運動部なみのハードな3年間になった。


13歳、中学校2年生。わたしはコンクールの曲でソロを任されていた。

県大会である夏のコンクールに向けて部員達は、真夏の暑くて、埃くさくて狭い音楽室で汗だくになりながら毎日練習をしていた。タオルを首に巻き、汗を吸い取りやすい体操服を着て練習。

水分補給には十分気を付けていたけど、熱中症になる人もいた。厳しい先生の言動や休みなしの過酷な練習についていけず、辞めてしまう部員も数人いた。


ある日の合奏練習。


あ、やばい。フレーズの音が上手く出なかった…と思ったのも束の間。

「そのフレーズ、なんでそうなるんじゃ!!」

すかさずF先生の怒号がわたしに向かって飛んできた。こちらを見るメガネの奥の鋭い眼光がギロリとわたしを睨む。怖い。

泣きそうになりながら目をそらして涙目になりながら「すみません」と言う。

あー…やってしまった…。

皆の前で、恥ずかしい。悔しさと恥ずかしさとみじめさでいっぱいになる。

2年生から始めたオーボエ。
途中で楽器を変更したこともあり、慣れるのが大変だった。

こっそり今、言い訳をすると、楽器はボロ楽器で吹きづらい。教えてくれるオーボエの先輩は卒業してもう誰もいない。独学で試行錯誤して練習する日々。

だけどソロがある。超責任重大。中学3年生の先輩たちにとっては中学校での人生最後のコンクールになる。間違えるわけにはいかない。

泣きだしたくなる。なんでわたしのパートにソロがあるんだろう…。

たった2小節だけど、わたしにとってはとても重い2小節だった。
音階が1オクターブあがるところがあり、いつもスムーズにできなくて難しかった。

「できるまでやれよ」

そう言い残して、合奏は終了した。

数学のF先生は、普段は冷静で考え方も合理的だったけど、音楽となると別だ。とても情熱的で感情的になり、妥協を許さなかった。一言で言うと厳しくて怖かった。

ひとつの音楽を作り上げる難しさ。何度も練習しても、納得のいく曲に仕上がるまで音楽には終わりがないこと。だから日々追及や練習が必要なこと。

舞台に乗ればみんながプレイヤー。吹奏楽は補欠がなくてみんなが主役になれるが言い換えると、間違えると皆に迷惑がかかるのだ。観客からすれば先輩後輩も経験年数も関係ない。

…練習をしていくうちに様々なことに気付いた。キツイ。これは責任が重い…。

あの日、安易に吹奏楽部に入った自分を恨んだ。



幸いにも周りには恵まれて、先輩たちや同級生が優しく支えてくれた。自分に負けたくなくて、毎日早起きして朝練に行き、練習に参加して必死に練習した。

がんばりたい。毎日夏休みの間、お弁当を作って送り出してくれる母親のためにも。

だけどなかなか上手くいかない…。

オーボエは、ギネスブックにも載っているほど難しい楽器だ。
その分、オーケストラでは必要不可欠な楽器で、ソロが多い楽器だ。楽器は知らなくとも、実は必ずと言っていいほどテレビや店などで誰でも聞いたことがある楽器の音色。

聞くと心が癒される、なめらかな音色なのだ。

だけどわたしは全然上手くできない…。
どうしたら先輩のように上手く吹けるのだろう。不思議だった。

刻々と近づくコンクールの日。プレッシャーに押しつぶされそうになっていた。幸いいつも先輩や後輩が支えてくれたからがんばれた。

だけど思うように合奏で吹けず、とうとうF先生から「お前は1人で練習しておけ」と合奏から追い出された日があった。

遠くで鳴り響く合奏を聴きながら、シンと静まり返った廊下で1人で譜面に向かっていると、次第に譜面が滲んでいった。


なんで、上手くできないんだろう…。


練習する手を止め、泣いていたとき。

遠くで聴こえていた合奏は聞こえなくなっていた。

いつのに間にやら、F先生が側にやってきた。

あぁ、また、なにか怒られるのかも知れない…。

そう思ってこれから言われるであろう、厳しい言葉を予想して心の中で備えていた。

「おまえは、○○(卒業したオーボエの先輩)よりも音色はキレイなんじゃがな…音階が難しいか?まぁ、教えてくれる先輩もいない中で大変じゃうろな…」

言葉を選んでいるのか、少し歯切れが悪くそう言った。意外にも優しい言葉だった。
その後、具体的なアドバイスをくれた。


不器用ながらも、先生も少し気持ちに寄り添ってくれているんだな…。
そう気づいたとき、嬉しい半分、悔しい半分でぽろぽろと涙が止まらなくなった。

先生は厳しくもわたしのことをよく見てくれていたのだと思った。黙って見守るのも色々と大変だと思う。

「もっと上手くなりたい…!」

そのとき心に強く思って、その後の練習にはげんだのは覚えている。


県内大会である夏のコンクールがやってきて、ソロ演奏が無事に終わった。
ステージのたくさんのライトで火照った頬や胸の中で暴れていた心臓が、ロビーに戻りの冷房で徐々に落ち着き、冷やされていく。

心底…ホッとした。

「ソロ良かったよ!お疲れさま!」
「よくがんばったね」

一緒にステージにのった先輩方が声をかけてくれたけど、わたしは合奏後独特のあの達成感や余韻にひたる余裕は全くなく「あぁ、無事にやり遂げた…。これで解放される…」

正直そんな気持ちでいっぱいだった。

とにかく、音を楽しむという余裕が当時はなかった。
だけど、根性や責任感、努力することはこの部活動で自然と身についたと思う。

部活動での思い出は?というと決まってこのシーンが頭に浮かぶ。
人生で最初に責任もって物事をやり遂げた瞬間だったからだ。

F先生はあのとき、どう思っていたのだろうか。10年以上経った今のわたしにはもう知る術がない。
だけどその機会を与えていただいたことにとても感謝している。

本当に辛かったけど…。



「体調管理も実力のうちじゃ!」

「できるまでやれ」

「学習能力がないのう…自分の頭で常によく考えて改善しろ」

数々のF先生の口癖たちは、人生で行き詰ったシーンでひょいと顔を出す。甘い考えの自分を正すかのように、ピシッと背筋を正したくなる言葉達。

なかでも、「ゆとり世代」のわたしたちに向かってF先生はこう言っていたのが印象的だ。「ゆとり教育」で、勉強内容などが簡略化された影響を見てF先生は、

「おまえらは、ある意味社会の被害者なんじゃ。そのうち自分より若い下の世代にどんどん抜かされて、自分の居場所がなくなるかもしれない。だから常に考えて行動して、勉強しておけよ」

といつの日か言っていた。

そうか、常に勉強して学ぶことが大事なんだな、と学生ながらに危機感を感じた。
今でもその危機感や「学ぶこと」と「常に勉強すること」は意識している。

F先生は厳しかったけど、常に私たちの将来を考えての発言をしていた。本当に愛のある言葉をわたしたちの心に残してくれたと今になって痛感する。

だから、厳しかったけど練習に、先生に着いていけたのだと思う。

そんなF先生だったが、わたしが中学3年生に上がる春休みの頃、F先生は4月から他校に転勤が決まった。

春休みも終わる頃、数日後が転校日だというギリギリまで、何食わぬ顔で音楽室でわたしたちの夏のコンクールの合奏の指揮を振ってくれた。

合奏が終わると、

「お前ら、がんばれよ」

いつもより少し優しい声色でそう言い残して、まるで明日も私たちの演奏の指揮を振りに来てくれるかのように、普通に音楽室を去っていった。

こんなにカッコ良く、去っていく大人の後ろ姿はこのとき以降、見たことがない。

あの後ろ姿は今も忘れられない。

これだけ信念や情熱があって、本気の大人がいるのだな…。

当時14歳のわたしから見て、その姿から学ぶことがたくさんあった。大人になったわたしはどうなのだろうか?…まだまだ先生には敵わないだろう。

もちろんそれからは、二度とわたしたちの前で姿を現すことも、指揮を振ることもなかった。



「音楽は心の友だ」


先生はいつの日か、そう言っていた。

今もあの頃に演奏した吹奏楽曲たちを聴くと、一瞬にしてあの夏の暑い中で必死に練習した仲間の顔や先生との日々を思い出す。

その経験や言葉達が「音楽と共に」にずっとわたしの心に残っている。

もしかすると。「友」は「共」だったのだろうか?


「音楽は心の友だ」


音楽は、ずっとわたしを支えてくれている。友達のように。きっと人生が終わるまで、曲を聴くたびに思い出とともに寄り添ってくれるのだろう。



ねぇ、F先生。

お元気ですか?

大人になって、あの頃の先生の言葉たちの意味がよく分かりました。

あれから、たくさん厳しいことも辛いこともありましたが、先生や部員と過ごした厳しい日々や学びがあったから乗り越えられたことがたくさんありましたよ。本当に感謝しています。

あと、大人になった今もわたしは吹奏楽を続けています。
人生で最初に買った高額なものは、実はオーボエです。

吹奏楽はあれからも、音と共にたくさんの経験や人を私の元に連れてきてくれました。

ちなみに吹奏楽を続けて出会った人と結婚して、子どもは音楽にちなんだ名前を付けました。

音楽は本当に、人生に、そしてずっと心に寄り添ってくれますね。

まだまだ未熟なわたしですが、いつかお会いしたときは恥ずかしくないように今日もわたしは今できることをがんばります。

だから先生も、音を楽しんで、お元気でいてくださいね。


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