還暦を迎えた父を見て、わたしは親のことを知らなかったと気付いた
「お父さん、お誕生日おめでとう」
先日還暦を迎えた父に、そうシンプルな文面のLINEをポチポチと打って送信する。
3歳の息子の「ハッピーバースデーの歌」の熱唱動画を添えて。
孫からのおめでとうの歌は、さぞ喜ぶだろうな……と、口元を緩めながら送信する。
数時間、父から自撮りの写真と、ファンである「ももいろクローバーZ」スタンプが送られてきた。
(え、自撮り?父が?)
そして、スタンプを使うのは珍しい。
というか、スタンプを使う人だったんだ。
ちょっと、びっくり。
色々と、衝撃を受けた。こんな人だったっけ?
父の知らない一面が、LINE一つで見えた。
うん。
でも、よかった。
わたしと、孫からのメッセージ。
喜んでいるらしい。
*
出産して、親になってよかったな、と思うことの一つに、両親のことを「身近に感じるようになったこと」がある。
「家族だから身近に感じるはずでしょ」って、思うかもしれない。確かに物質的にはそうだ。近くにいる。
だけど、わたしは必ずしもそうじゃないと思う。
「目の前に近くにいるんだけど、なんか遠くにいる感じがする人」っているのだ。
家族とかって、近くにいるからこそ、そういう「なんか遠くにいる感じ」のときは、より顕著に感じる現象ではないだろうかと思う。
わたしにとって、かつての両親とは「そんな感じ」だった。
上手くいえないけど、わたしにとって「よく理解できない人達」だったのだ。
*
わたしの父と、母は正反対の性格。
基本ポジティブで仕事がよくできるけど、人の気持ちを深く理解するのがちょっと苦手な理論的な父親と、
基本ネガティブで傷付きやすくて感受性が豊かだけど、ひらめきや思いつきで行動したり、喜怒哀楽の感情のまま表現する、直感的な母親。
「なぜ、この人達は一緒に暮らしているのだろう?」
と子どもの頃のわたしは、何千回も感じていた。
それくらい全然噛み合わなくて、
よく夫婦喧嘩をしていたし、(今も)
よく分からないところで、わたしや妹に逆ギレしたり、
かと思えば2人で仲良く出かけていたり…。
とにかく、よく分からなかった。
子どものわたしからすれば、
2人の大きな感情の波の間を、上手く波乗りしたり、溺れたり、止むのを怖がりながらやりすごして生きている感覚だった。
そのときは、息を深く吸えた感じはしなくて、気持ちがいつも落ち着かない……。
2人の顔色をいつも伺って、困らせない、怒らせないように無意識に発言していたような気もする。
そんな子ども時代だった。
わたしだけじゃなく、どの家庭でもあることなのかもしれないが。
愛されて育った感覚はあるけれど、
怒られた記憶と、悲しませた記憶とのほうが大きい。
仲が悪くて離婚の危機が何度もあって、当時は大変だったのを思い出す。
だから、
「わたしは、絶対に将来はあんな風にならないようにしよう」
「早く家を出て、穏やかに平和に過ごしたい」
「人が言い争いするのはもう見たくない」
と強く思っていた。
両親達の同じ過ちを繰り返さないように、「何がなぜ、どうなったのか」を両親達を観察して、感情の仕組みを、本や心理学や考え方を勉強していた……そんな子ども時代だった。
だけど結局、両親のことは「よくわからなかった」。
よく分からないまま、そのまま自分は結婚して、家を出た。
けど、自分が出産して親になったここ数年、最近は両親のことをようやく分かったような気がする。
「あぁ、そっか。父も母も、わたしと同じように悩んで、つまづいて、試行錯誤して生きている、人間なんだな」
とシンプルに感じたのだ。
同じ、人間。
ただ、生きてきた年数や、経験が違うだけ。
頭では分かっていた「つもり」だったんだけど、心の中でスーッと浸透していくように、感じた。
*
それからは、少しずつ父や母と話をするようになった。
息子のことを相談しつつ「わたしが小さい頃ってどうだった?」って聞くことが増えた。
すると、
「大変だったよー」
といいながらも、
愛おしげに、懐かしげに、けど、どこか誇らし気に孫を見ながら過去を語る父や母を見て、
わだかまっていたことが、理解できないと感じていた両親がなんだか身近に見えたのだ。
そっか。
親だって、完璧じゃない。
同じ人間なんだ。
迷ったり、怒ったり、悩んだりしながらも、一生懸命、わたしと妹を愛情を持って育ててくれたんだ。
と、ようやく腑に落ちた。
「理解できない」
と「子どものサイド」のわたしから見たら感じていたことも、
「親サイド」になって、ようやくそちら側の気持ちが分かったのだ。
振り返ると、わたしだって日々、主人や息子に色々な想いを抱えて過ごしている。
嬉しいこと、悲しいこと、苛立つこと、楽しいこと……たくさんある。
キレイとは言えない感情も渦巻く。
ムダに怒ってしまったり、泣いてしまったり、大笑いしたり…してるじゃないか。
だから、親のそれも当然だったんだ。
普通だったんだなー。
と感じた。
別に、完璧じゃなくて、いいんだな。
あの人達は、あれでも一生懸命に、生きていた。
色々あるけど、あの人達はずっと、幸せなのだ。
わたしが、なんだか色々と勝手に思い込んでいたところがあるのかもしれない。
完璧を求めると、人や自分をすごく苦しくさせる。
「なぜ、わたしは両親に無意識にも完璧を求めていたのだろうか?」
冷静に考える。
それは、わたしが色々な意味で「子どもだった」からなのだろうと最近は思う。
子どものわたしは、親や身近な人に対しては、
「分かって欲しかった」
「分かってくれるのが当然だ」
「もっと話を聞いて欲しかった」
と、相手に対して何かを常に求めていたのだと思う。
他人だったら気にならないことも、
無償の愛情があって、自分は無償のに受け取れるはずだと信じて疑わない「親だから、家族だから」こそ。
そうして欲しかったし、それが当然だとと思っていたからだと思う。
両親や、妹や、夫、先生、先輩、友人……振り返る。
そして息子にもそう思う日や、そう思われる日が来るのだろう。
けど、家族といえど、長く一緒にいたといえど、全然違う1人の人間。
仕事や、家事や、育児が、友人関係が……色々なことがあって、生きている。
強くも弱くもある、人間なのだ。
だから、自分の全て分かってくれることなんて有り得ないし、自分も相手のことを分からないのはある意味仕方がないのだ。
親でも、家族でも、親友でも。
わたしも。
よかった、気づいて。
すごく、息苦しかったから。
息子が産まれてくれて、分かったことだ。
*
還暦を迎えた父親を見て、思う。
わたしは、今年で30歳。
父が30歳のとき、わたしは生まれた。
そのとき、父はどんな気持ちだったのだろうか?
もし、そのときの父に今、会えたなら。
わたしはなんと声をかけるのだろうか?
友達みたいに、仲良くなれたりするのだろうか?
父は、若い頃から仕事で活躍していた、仕事人間だったらしい。
そのときの父を見たら、今のわたしは尊敬することや学ぶことはあったのだろうな。
そのときの父と、仕事のことや人生のこととか、話してみたいな。どんなことを話すのだろう。
何を見て、何を考えていた30歳だったのだろう。
そこから30年後の、還暦を迎えた父。
その間には、わたしが知らない、たくさんの出来事や葛藤、経験があったのだろうな。
なんだかんだ、これまで生きてきた父。
すごいよ。
単純にすごい、と思う。
昨日、両親とわたしたち家族での誕生日お祝いの会食中。
目の前で料理を美味しそうに食べる父を見て。
そんなことをぼんやり、頭の中だけで考えた。
だから。
「お誕生日、おめでとう」と伝える。
*
あなたが今、「遠くに感じる」すぐ目の前の人は、数年後は近くに感じるのかもしれない。
もちろん、逆のこともあり得るだろう。
立場や、年齢、経験が変われば人を近くも遠くにも感じるものなんだと思う。
なぜ「遠くに感じる」のか?
それは「相手のことを知らないから、もしくは、知ろうとしてなかったから」なのかもしれない。
わたしは家族なのに、近くにいることをいいことに、「分かっているつもり」だった。
でも本当の意味で、父と母を多分知らなかったし、多分、知ろうともしてなかった。
人は、最初は相手に向けていたはずのベクトルを、いつしか「自分のことを分かってくれて当たり前だ」と、いつのまにか自分にたくさん向けていて、見えなくなっていくのかもしれない。
そうして「分からなくなっていく」のかもしれない。
だから、親のことを昔は「遠くに感じていた」のかもしれない。
と、今は思う。
人間関係っておもしろいな、と思う。
今誰かに感じる距離や思いも。
これから感じる距離や思いも。
どちらも冷静に見て、大切にしたい。
そんなことを改めて考える、父の還暦の日。
「親の心 子知らず」ってよくいったものだ。
わたしは、まだまだあなた達両親のことは、実はよく分かっていないのだと思う。
だから、わたしはまた話をしたい。
全ては分からなくてもいい。
元気なうちに。まだ会って、話せるうちに。
わたしは、まだまだ何も知らない「子ども」なのだから。
あなた達にはまだ追いつけず、よちよち歩きであなた達の後ろを歩きはじめたばかり。
そう思いながら、LINEを開き、会食に来てくれたお礼と、後日実家に帰る連絡を入れた。
最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。