半透明

ストレス耐性が強すぎて、知らぬ間に限界の向こう側にいることが発覚し、ドクターストップを…

半透明

ストレス耐性が強すぎて、知らぬ間に限界の向こう側にいることが発覚し、ドクターストップをかけられた大人。休職という名の人生の夏休み中。

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はじめに〜仕事楽しい人間、休職を告げられピンチ〜

熱があるのに気づかず、楽しさ第一でケラケラと遊びまわる子どものように。疲労の蓄積に気づかず、忙しさに夢中になった大人は医者に「休職」という診断書をだされてしまった。 ことの始まりは、7月。健忘(記憶喪失)による会話の辻褄の合わなさを何度か人に指摘された。ド忘れを超える言動に「あれれ〜?何かおかしいな?」と思い始め、そういえば最近言葉を聞いて話して、考えるのに時間がかかることに気づき、あれよあれよと精神科行き。 「何か心当たりありますか?」 「いや、それがないんですよね〜〜

    • 終わりに

      長いようで短い休みだったけど、「夏休み」は得てしてそういうものだったなと思い出す。 復帰初日を終えて、今このアカウントでは最後になるだろうなと思いながら書いている。今回は自分の体感に鈍いことも一因ではあったので、なるべく新鮮にできるだけ素直に残しておこう。 この三ヶ月は、幾度となく自分の深淵を覗き見したような気がする。なんというか自分が思っていたよりもはるかに繊細で傷付きやすく、まだまだ知らない部分がたくさんあるらしい。 なんと面倒くさい!!!正直あまりの面倒くささにポ

      • 社会復帰決定✌️!(ただし、ゆるゆると)

        今月末に復職することが決定し、お休みもそろそろ終わりが見えてきた。約3ヶ月。長かったような気もするし、あっという間だったな~とも思う。 正直、体感としては「まだよくわかってない」。医者に回復傾向で復職可能と言われただけで、自分の中でどこまでが可能で、どこからが駄目なのか。手応えゼロである。 病名も便宜上はあるが、強いて言えばということらしい。発達障害系のテストもしたが、グレーゾーンでもないし、結局薬が処方されることもなかった。 逆に何でもいいから名前があったほうが周りにも

        • 【11月末まで】休職延長決定🫠🫠🫠

          休職して約1ヶ月が経った。旅行にいったり実家に帰ったりしたので、体感的にはあっという間だったな~と思う。 ↓休職決定の経緯はこっち そんなこんなで9月末まで休職の予定だったのですが、経過観察の通院で延長が決定した。 なんと11月末まで! ※取り急ぎ、症状が悪化したということではないのでご心配なく!! というか症状的に「悪化」とか「回復」とかいう概念に当てはまらず、すでに心身ともに「通常」状態ではあることは医者もわたしもしっかり認識済なのだ。 ただ通常ではあるのだけ

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        はじめに〜仕事楽しい人間、休職を告げられピンチ〜

          「わたし」という国を運営する面々との会合

          三連休が明けた。が、変わらず今日も何をするでもない時間を過ごしている。 この連休では15年の付き合いになる友人たちと会った。それぞれの「わたし」をどのような方針で運営していくか、自治に務める面々だ。「わたし」が抱える資源(体力や財力)をどのように配分していくのか。何を信じて、何を疑うか。言葉にならない靄を掴むために何が必要なのか。 5時間ノンストップで行われたそれは、お茶というよりも首脳会談と言ってもいいかもしれない。各国の政策における情報交換。鋭い質問に答えるべく言語化

          「わたし」という国を運営する面々との会合

          昨日のわたしについての弁明

          昨日の日記を今朝読んだら「白黒つけたがる面倒くさいやつだな~!」と思った。散歩が嫌いであるという事実は間違いない。だけど、なんでもかんでも答えを求めたがるのかといわれるとそうではない!という弁明がしたい。 本当は、曖昧なものこそが好ましいと思っている。「好き」とか「嫌い」とかたったふたつのもので分断させたくないのだ。「好き」の反対は「嫌い」ではないし、本来もっと混沌として両立するものだと思う。 本当は好きになりたいのに上手く距離感が掴めず、そのもどかしさを以て「嫌い」と言

          昨日のわたしについての弁明

          散歩がこの世でいちばん嫌い

          散歩が嫌いだ。 そもそも歩くという行為が好きじゃない。 足を持ち上げて、前におろして、次は逆の足を持ち上げて…という繰り返しが好きじゃない。。当然歩くのも遅い。その上ですり足で歩くからよく躓く。昔やった捻挫が癖になってるからよく捻る。靴底の減りもはやい。シンプルに歩くのが下手なのかもしれない。 目的地に向かっていくための歩き、は全然平気だ。徒歩は手段に変わり、何の意味もなさない。ただ「ちょっとそのへん歩いてみようよ」という散歩が「目的」になったときに、「歩いて何を…?」と混

          散歩がこの世でいちばん嫌い

          今週の反省と来週

          今週はずっとだらだらと過ごしていた。なんにも考えず、動物のように気まぐれに行動してみたらどうなるだろうと思った、実験的な1週間だった。 好きなことする → ずっとスマホで漫画よむ 食べたいときに食べる → 食べなくなった 寝たいときに寝る → 数時間単位に細かく寝る → うまく疲れがとれない 気持ち的には最高の生活だったが、身体的には振り回されて大変だった。まあでも平日に友人とランチしたり、遊びにという予定をいれていたので、社会的な人間の意識をギリギリ保てていたとは思う。

          今週の反省と来週

          絵を飾ったらご機嫌になっちゃった

          何の気なしに商店街を歩いていたら「閉店セール!」と乱雑にデカデカと書かれた文字が目に入った。どんな憎しみを込めて書いたんや?と思うくらい、インクが飛び跳ねてかろうじて読めるくらいだった。 店内に目をやると「2000円!」「この箱すべて1000円」というこれまたホラー映画のポスターのような赤い文字で殴り書きされていた。そこに詰め込まれていたのは「絵画」だった。 作品がこんな安くていいわけねーだろ!!!作家が命削って描いたものを…!!待ってろ!!!買うぞ!!!と意気込みながら、

          絵を飾ったらご機嫌になっちゃった

          集中力(遺伝)×オタク(気質)によるかもしれない説

          実家への1週間の帰省を終えて、東京に戻ってきた。何事もなく普通に生活している姿を親に見せれたので少しは安心したかなと思う。 医者曰く「通常の復職条件(たくさん寝て、食べて、仕事に前向きになる)はすでにクリアしている」ので、すごく正気で元気なのだ。 なのに、わたしがわたしのことを把握していないばかりに「元気モリモリな休職」という謎の状態に至る。 とはいえ、急いで仕事に戻りたいかと言われるとそうでもない。自分でコントロール不可な領域に支障がでてしまったので、いまの状態で復帰する

          集中力(遺伝)×オタク(気質)によるかもしれない説

          父と、娘のわたし

          これから父と二人で映画を観に行く。 ほかの親子関係がよくわからないので、断定はできないけれど父との関係を話すと「仲いいね~」と言われることが多い。たしかに仲が良いのかもしれないが、逆に仲の悪くなりようがなかった、が正しいのかもしれない。 父とは性格が似ている。新しい物好きで自分が欲しいと思ったら後先考えずに買うし、あまり他人に興味がなく、本当に極端に言ってしまえば自分が良ければ良しというところがある。 なので実家にいた頃は特に「勉強しろ」とも言われたこともないし、強いて言え

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          『西の魔女が死んだ』を読んだ

          『西の魔女が死んだ』を読んだ。木の匂いに惹かれて入った本屋が推していた夏の一冊だった。これも何かの縁だということで、冒険心で手に取ってみた。 結果、長野からの帰りの新幹線でめちゃめちゃ泣いた。声も出さずにただ勝手に涙が流れるだけみたいな泣き方で心底良かったなと思った。 わたしは小学生まで二世帯同居で、祖父母にたいそう可愛がられ育てられた自覚がある。なので「おじいちゃんおばあちゃん系」の話には大層弱い。本当に弱すぎて避けてるまである。 ある日突然、祖母の死の知らせを受けて、

          『西の魔女が死んだ』を読んだ

          長野でのとある夜

          長野駅から徒歩5分くらいの、遅くまで営業しているカフェにいる。店内はわたしだけ。ぴとりぽつんとコーヒーを飲んでいる。 『博士の愛した数式』をついさっき読み終えた。店内にひとりという状況に甘えて、何も躊躇うことなく涙を流した。「博士」と「私」と「息子」で育まれた特別な友情。親愛という言葉でもいいのかもしれない。ひと言では言い表すことなど到底できない、大切で愛おしい関係。 物語の中には、三者三様の優しさがずうっと揺蕩っていた。相手のことを尊重して、受け入れて、それでいて自分が

          長野でのとある夜

          本棚には癖がでる

          癖は「くせ」ではなく「へき」だ。「偏りのある好み」「性癖」(ここでいう性癖は性的嗜好ではない)をそのままそっくり反映しているのが、本棚だと思う。 10年間使っていたテレビ台兼本棚を捨てて、コンパクトな木箱を本棚とすることにし、並べる本たちの整理をした。数年前から電子書籍に移行しているのもあり、実際の物としての本は少ないけれど「電子で買えるのに、本として物理的に手元に置いときたい」という意味では、濃縮された癖が詰め込まれていた。 漫画は「スラムダンク」「ジョジョ」「キングダ

          本棚には癖がでる

          集中しすぎるなと言われても

          気づかないのだから、仕様がない。 「過集中による脳のオーバーヒート」 色々なテストや問診を経て、今日改めて医者に告げられた暫定の結果だ。「集中するとほかすべてがどうでもよくなる」という傾向は自覚しているが、そのどうでもよい事柄に「自分」を置いてしまったらしい。 そんなことある!?と思ってしまうが、まあそうなっちゃうのもわかると後方腕組みしながら頷く自分もいる。恥ずかしながら、その証拠とも言えるエピソードが(人から語られるのも)幼いころから多々ある。 とはいえ困るどころか

          集中しすぎるなと言われても

          演奏会にて

          友人に誘われたクラシックの演奏会。音楽の知識も教養も一切ないので普段なら遠慮するところだけど、久しぶりに友人と会える機会と全く違う世界に触れてみるのもいいかもしれないという好奇心で行ってみた。 結論から言うと、半分寝た。 オーケストラの生音による微睡みがとても気持ちよかったので、許してほしい。決してつまらなかったわけではないことを弁明しておきたい。 もっと音楽に明るければ、指揮者によって変わる演奏や曲の解釈にまで踏み込めただろうけれど、知らないものは仕方がない。音楽に耳を澄

          演奏会にて