終わりに
長いようで短い休みだったけど、「夏休み」は得てしてそういうものだったなと思い出す。
復帰初日を終えて、今このアカウントでは最後になるだろうなと思いながら書いている。今回は自分の体感に鈍いことも一因ではあったので、なるべく新鮮にできるだけ素直に残しておこう。
この三ヶ月は、幾度となく自分の深淵を覗き見したような気がする。なんというか自分が思っていたよりもはるかに繊細で傷付きやすく、まだまだ知らない部分がたくさんあるらしい。
なんと面倒くさい!!!正直あまりの面倒くささにポーン!と遠くに投げ捨ててしまいたくなる。そっぽ向いてしまえれば楽なのになあ。
どうして自分からは逃れられないのだろう。嫌いな食べ物も苦手な人も、嫌だという感情ひとつでいくらでも遠ざけることはできるのに。
でも「もういいや」と捨ててしまうには、愛しているものが多すぎることも知っている。
すべてが半透明で、基準もよくわからないぐにゃぐにゃな中でもなんとか形を保っていられたのは、確固たる〝好き〟があったからだと思う。
小説、エッセイ、詩。漫画にアニメ。映画。コーヒーとチョコレート。意味があるようで何の意味もない会話。時にはひどく偏った主義主張を語り合うのも馬鹿みたいに楽しかった。
いつも通りに徹してくれた人。めちゃくちゃ心配してくれた人。変わらずに、だけどそっと心配してくれてた人。面白がってくれた人。わざわざ復帰の今日に連絡をくれた人。
数え切れないほどのたくさんが私を留めてくる。それは自分を諦めて投げ捨てるより、とても大事で。一等優しく抱えていたいなと思う。
結局のところ面倒くさいままで、考え続けるしかない。非常に苦しい。だけど、苦痛を抱えながらもなんとかやっていくことはできる。
どちらかというと思考放棄して、この苦痛を感じなくなってしまうほうが怖い。
本来なら「愛!!!感謝!!!」だけでいいはずなのに、最後にでてきた感情が「怖い」だった。弱くて、とても素直で良い。
如何せん自分のことに鈍い。もしかしたらこれから先でも同じようなことになって、この日記を読み返すかも知れない。その時の自分がこれまでの内容に頼りすぎなければいいと思う。
嘘を書いたつもりはないけど、決して本当のことを書いているわけではない。
格好つけで見栄っ張りな私の主観によって書かれている、ということを念のため文字に起こしておこうと思う。
というわけで、みなさまご心配おかけしました!これからもどうぞよろしくお願いします!
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