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sakinouchubeya
長野でのとある夜
長野駅から徒歩5分くらいの、遅くまで営業しているカフェにいる。店内はわたしだけ。ぴとりぽつんとコーヒーを飲んでいる。
『博士の愛した数式』をついさっき読み終えた。店内にひとりという状況に甘えて、何も躊躇うことなく涙を流した。「博士」と「私」と「息子」で育まれた特別な友情。親愛という言葉でもいいのかもしれない。ひと言では言い表すことなど到底できない、大切で愛おしい関係。
物語の中には、三者三様の優しさがずうっと揺蕩っていた。相手のことを尊重して、受け入れて、それでいて自分が損なわれることもない。
そんな、人の思いやりはどこからくるのだろう。どうして人は誰かと関わって生きることとあらゆる感情が結びついているのだろうか。
感情は厄介で、なかったらどんなに楽だろうとひねくれながら生きているが、それでも、幸福な感情は誰かの言葉だったり行動から不意に刺しにくる。その温かさが嬉しくもあるが、時々火傷しそうにもなる。ひねくれ故に好意を受け取るのが不得手だ。
なぜそんなにわたしのことを慮ってくれるのだろうかと純粋に疑問をもつこともある。人の気持ちをくみ取るのが苦手で、勝手気ままな振る舞いをするわたしをなぜ?
と、これ以上は友人に叱られるのでやめておく。その人はわたしの卑屈ゲージが溜まると、物理的にそばにいなくても、脳内でわたしの頬をビンタしては現実世界に引っ張り上げる。
……えっと、いつもと違う夜に、いい物語を読んで、ちょっぴりセンチメンタルになっただけです。明日はおいしいものをたくさん食べたいと思います。
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