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散歩がこの世でいちばん嫌い

散歩が嫌いだ。
そもそも歩くという行為が好きじゃない。
足を持ち上げて、前におろして、次は逆の足を持ち上げて…という繰り返しが好きじゃない。。当然歩くのも遅い。その上ですり足で歩くからよく躓く。昔やった捻挫が癖になってるからよく捻る。靴底の減りもはやい。シンプルに歩くのが下手なのかもしれない。

目的地に向かっていくための歩き、は全然平気だ。徒歩は手段に変わり、何の意味もなさない。ただ「ちょっとそのへん歩いてみようよ」という散歩が「目的」になったときに、「歩いて何を…?」と混乱してしまう。
そういうと「街並みを感じるんだよ」だの「自然の音を聞くんだ」みたいなことを言われるが、「で、それが何になるの?」となにひとつピンとこない。
歩いた結果何もなかったら無駄では…?と得られる成果で物事を捉えてしまう性質がどうやら強い、らしい。(先日友人に指摘されて腑に落ちた)

むかし散歩に誘われ、上手く断れず30分程度ただ歩いたときは、なぜか途中で泣きそうになった。それは一緒にいた人には依らず、今どこにいるのか、なぜ歩いているのか、どこにむかっているのか、何もわからない状態でひとり地平線が広がる砂漠にいるような孤独に苛まれてしまった。

ともすると「目的のない行為」がひどく苦手なのかもしれない。「何のためにやっているか」が大なり小なりないと、あらゆる選択肢の中どの行動をすればいいのか、不安になってしまう。
それでも「目的なぞない(ドン!)」と言われれば「ない」という事実がわかるので、「なにも考えなくておっけ~!りょ!」と平気でできたりもする。

いちばん理解不能なのは散歩だけど、お花見とかも正直よくわからない。酒が飲みたければ居酒屋に行けばいいし、桜は直接見ずとも常に美しい。ワイワイするのが目的で場所を問わないという話で時期的にお花見になるのはギリわかる。けど、わざわざゴミとか虫とか気にしなければいけない場所で…?とは思う。


この意味や結果を求めがちな部分をちょっと控えたいなとも思うけれど、わたし個人の気質として根付いてしまっているし、周りには特に求めてはいない…と思う。

いやでも「結論、何?」「いま何の時間?」とか訊くな……。違うんです。それは回答を求めてるわけではなくて、わたしが情報を処理していく中で必要なだけで…。
知らず知らずにプレッシャーを与えていたかもしれないことに気づいてしまった。もうちょっと柔らかく特に意味なく訊けるようにしていきたい。反省の夜。

ある程度のことは飲み込めるしできるのだけど、散歩だけはマジ発狂しそうになるので、お誘いの際はぜひ目的地をお知らせの上、よろしくお願いします(?)

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