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『西の魔女が死んだ』を読んだ
『西の魔女が死んだ』を読んだ。木の匂いに惹かれて入った本屋が推していた夏の一冊だった。これも何かの縁だということで、冒険心で手に取ってみた。
結果、長野からの帰りの新幹線でめちゃめちゃ泣いた。声も出さずにただ勝手に涙が流れるだけみたいな泣き方で心底良かったなと思った。
わたしは小学生まで二世帯同居で、祖父母にたいそう可愛がられ育てられた自覚がある。なので「おじいちゃんおばあちゃん系」の話には大層弱い。本当に弱すぎて避けてるまである。
ある日突然、祖母の死の知らせを受けて、かつて祖母と暮らしたひと月を思い出す。という冒頭が自分の体験と重なって早速ひと泣きした。
年長者からこの世を去る、というのは大きな人間の流れだ。身体機能は衰え、精神はそのぶん成熟していく(はず…と信じたい)。
健在の親にもそして自分自身にもいつかその日はくるのだ。そのときに後悔がないように、というのは生きている以上難しいとは思うけれど、納得して迎えればいいなと思う。
そして最近すごくびっくりしたんだけど、人類皆うっすらでも常に生き死にについて考えてると思っていた!「そんなことないよ」とやんわり言われて、「マジ!?!?!?!?!?」って大きな声だしてしまった。
その人だけが違って、他人類は常にうっすら考えているという説をまだ捨てていない今日この頃。(希死念慮とは違うので誤解なきようにね、念のため)
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