さんごの暮らし相談室

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    心と社会について、様々な角度から書いています。書く文章は、ひとりごとみたいなもの、エッセイ的なものから学術的なものまで、幅広く。

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    カウンセリングって、私も受けて平気? 日本では、カウンセリングやセラピーへの敷居がまだ少し高いようですが、どうぞご安心を。暮らしのそばにある、そのお悩みをお聞かせください。

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初めの炎を保つこと――「直線としての時間」と「円環としての時間」

先日、ある子が学校で読んで「すごく面白かった」というお話が、ミヒャエル・エンデの『モモ』だったそうです。子どもたちにとって、「時間どろぼう」は、どんな風に映ったのでしょう? 社会化の只中にある子どもたちを見ていると、良くも悪くも、大人社会の写し鏡のように感じることがあります。子どもという鏡を通して、大人たちは自分たちの姿をしっかりと見ることができているのか、ふと、疑問に思うことがあります。 自分より弱き者や若い者、自分とは異なる文化にいる者、つまり、自分が馴染んでいる当た

    • 女が女を分断するとき

      第二派フェミニズムのムーブメントの中では、「女」というカテゴリーだけで、女たちが連帯することができました。 けれども、現代は状況は異なってきていて、女同士が分断を生み出すこともままあります。 そして、女同士の分断は、女と男との間を、また、女を取り巻く様々な関係を対立させたり、分断することもままあります。 なぜなのでしょう? これについて、禅僧で医療人類学者のジョアン・ハリファックス博士は、「水平方向の敵意」と述べています。 私は水平方向の敵意が放たれる場を、たくさん

      • 〈メタ合理性〉という精神――見えない糸を手繰る

        もう随分前に、現代の避難所(アジール)を探さなければと、辿り着いた古本屋がありました。 そこの店主は、見えない糸を手繰る名人のような人でした。 そう、本業は、古本屋じゃないらしいのです(たぶん)。 人間の個人的な意志を超えたところで、人間と人間とをつなげている、目に見えない糸がまるで見えているかのようにデザインする人、と言ったら、ある程度、表現できているかもしれません。 店主と一緒にやりとりしながら何かを創っていくと、「自分」がとてもよくわかってくるのです。その捌き方

        • サステイナブル・ライフとマルチチュードーー上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』より

          社会学者のT.W.アドルノらは、権威主義パーソナリティという概念を提唱しました。権威主義パーソナリティは、権威ある者へは無批判的に服従や同調を示し、弱い者に対しては力を誇示して絶対的な服従を要求するようなパーソナリティ特性を指します。 他者の行為を決定するものには、権力と権威があります。 権力(power)は、社会的地位にともなっていて、他者を服従させたり自らの意志に従わせる能力のことです。要するに、地位がなくなれば、権力は発動しないわけです。 これに対して権威(aut

        初めの炎を保つこと――「直線としての時間」と「円環としての時間」

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          他者を孕む主体の倫理

          金井淑子さんは『依存と自立の倫理――〈女/母〉の身体性から』で、本質主義を恐れずに、「母の身体性」「母の経験」「母の記憶」「いのちへのまなざし」を打ち出し、それをケアの倫理の規範性を担保するものとして主張されています。 金井さんは、ためらいながら、次のように書いています。 金井さんは、「母」というメタファーによって、ケア領域を無垢に美化してゆくような議論に回収されることを望むものではないと言います。 森崎和江さんは『いのち、響きあう』という本の中で、「胎児を孕んでいる女

          他者を孕む主体の倫理

          母なるものからの社会批評――中村佑子『マザリングーー現代の母なる場所』より

          社会学者ジョン・アーリは『社会を越える社会学』という本の中で、もっぱら男性の時間となっている商品化されたクロック・タイムに代わるものとして、出産や育児といった「自然な」活動の中で女性が育める時間について書いています。 それは、「氷河の時間」と表現されるもので、ゆっくりと流れる、どっしりとしたものであって、何世代も見なければその変化を捉えることはできないものとされます。 こうしたゆっくりどっしりと流れる時間の中にある、小さな変化や出来事を記述する言葉を、私たちはもってこなか

          母なるものからの社会批評――中村佑子『マザリングーー現代の母なる場所』より

          アタッチメント・パターンの再構築――関係(情動)外傷と発達障害

          発達障害は、今日、あらゆる領域で聞く言葉になりました。 周囲の子どもや人の、あるいは自分自身を発達障害かもしれないと見立てたことは、もしかしたら、多くの人が一度はしたことがあるかもしれません。 それくらい、子どもや他者の「わからなさ」について、私たちは知りたがります。 そもそも「わからない」とはどういうことなのでしょうか。土居健郎によれば、ひとつには、自分にとって馴染のあることは「わかる」という感覚をもつのに対し、「わからない」という感覚が生じるのは、そこに異質さがある

          アタッチメント・パターンの再構築――関係(情動)外傷と発達障害

          「共依存」と「相互依存」――高機能依存症の苦しみ

          「依存症」は、何かに甘えているとイメージされやすいのですが、実は、人にまっすぐ甘えられない人が陥りやすいことをご存じでしょうか。 依存症の人は、人との関係を相互依存的につくることができないために、代わりにアルコール、ドラッグ、買い物、ネットゲーム、ギャンブルなどのモノや行動に依存してしまいます。 相互に依存できない人たちから成る関係が、共依存です。共依存関係は、回避的で寄生的です。そこには、真の信頼関係がありません。 依存症の人たちの中にも、自分の苦しさを隠すのがうまい

          「共依存」と「相互依存」――高機能依存症の苦しみ

          「甘え」がもたらす癒し――アラン・N・ショア『右脳精神療法――情動関係がもたらすアタッチメントの再確立』より

          いま、心理療法の世界ではパラダイムシフトが起きていると言われます。 一言でいえば、「情動」と「関係」を基盤とし、共に(同時的に)、感じ合うことで腑に落ちること、それが、アクチュアリティ(認識によって捉えることができない只中で進行している行為・行動)に働きかけていくアプローチです。ここには、右脳同士のコミュニケーションが深く関与しています。 翻訳者の小林隆児さんは、自閉症児の臨床と研究を長年されてこられた方で、母子関係における「甘えのアンビヴァレンス」という観点を主張されて

          「甘え」がもたらす癒し――アラン・N・ショア『右脳精神療法――情動関係がもたらすアタッチメントの再確立』より

          自己(Self)の暗黒面――D.カルシェッド『トラウマの内なる世界』より

          D.カルシェッドは、日本ではあまり有名ではないのですが、カルシェッドの言う「セルフケア・システム」はとても重要に思います。 自己(Self)は、従来、こころの全体性であったり、個性化であったり、クリエイティヴィティをもたらすものという、比較的明るいイメージで考えられてきました。 けれども、トラウマ的な体験に脅かされた人は、自己(Self)そのものを守るために、セルフケア・システムなるものをつくると言うのです。自己の暗黒面というのは、この、自己を保護するためのシステムをつく

          自己(Self)の暗黒面――D.カルシェッド『トラウマの内なる世界』より

          女性のほんらいの主体性――新しい方のフェミニズムへ

          カール・マルクスとジークムント・フロイトという古典は、この世界の成り立ちを知るためにできれば読みたい本だと思います。 しかし、私は、フロイトは食わず嫌いのまま来てしまいました。もちろん、勉強のために断片的に読むことはありましたし、フロイトを引用する本は多く読んできました。そのせいなのか、どうしてもフロイトへのアレルギーのようなものがあって、なかなか読めずにいました。 先日、ふと図書館に立ち寄ったときに、フロイトを借りてみようと珍しく思い立ち、ほんの一部ではありますがざっと

          女性のほんらいの主体性――新しい方のフェミニズムへ

          複雑な時代を生きる――エナクトメントをどう考えるか

          現代は複雑で不確実で不安に満ちた社会です。 これまでの価値観では通用しなくなってきたことから、現代をVUCA(ヴーカ)時代と呼ぶことがあります。Volatility(不安定さ、変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑さ)、Ambiguity(曖昧さ、両義性) の頭文字を組み合わせた造語です。 「前例がないからやらない・できない」では、これまでのようには進まなくなってきたのが現代です。ですから、トライ&エラーで挑むしかなく、失敗すらを前提に物

          複雑な時代を生きる――エナクトメントをどう考えるか

          理性を行使する主体像への疑問――共存可能性を考える

          昔、繰り返し読んだ本を読み返してみると、何を言っているのかさっぱりわからない箇所と、いまなお響いてくる箇所とがあって、面白いものです。 私自身が変わったこともあるのでしょうが、昔は、何を言っているのかさっぱりわかない箇所も、どうにかわかろうとして、わかった気になっていたような気がします。 さっぱりわからない箇所をいま読むと、そこは結局、モノローグでしかないことに気づきました。読者とのダイアローグに開かれていく書き方になっていない方が、書き手にとって都合がよいこともあるのか

          理性を行使する主体像への疑問――共存可能性を考える

          解離の癒し――関係療法的な取り組み

          解離は、今日とても多いテーマですが、取り扱いがたいへん難しいものでもあります。 解離とは、例えば、災害や事故などの出来事を体験したとき、あるいは、あまりにも強烈な痛みを体験したときに、そのときの体験や感情を自分の心から切り離すことで、生き延びるようとするのです。 ですからこれは、能力でもあるわけです。 自分の心の一部を棄て、そことの架け橋をなくすことで、自分の心がバラバラになってしまうことから守るのです。 けれども、切り離した体験や感情は、なくなるわけではありません。

          解離の癒し――関係療法的な取り組み

          精神と社会との関係――人間であることについて(ライト・ミルズ『社会学的想像力』より)

          「陽気なロボット」という言葉は、資本主義が隆盛し行き着く先にあるものとしての「人間の人間による疎外」を批判的に検討しようとした人たちが、1960年代あたりのアカデミック・シーンで用いた言葉です。 ミルズは、次のように述べます。 昔、読んだときには、実はこの箇所にそれほど注目しなかったのですが、改めてこの箇所に力点を置いてみると、ミルズが提唱していた社会学的想像力は、現代社会において「人間が人間であること」と問うていくための想像力ということができるように思います。 ミルズ

          精神と社会との関係――人間であることについて(ライト・ミルズ『社会学的想像力』より)

          病態水準を見極める――本来の言葉を語ること

          人と人との対話は、共同構築される面があると考えるのは社会学です。 カウンセラーでさえも、ブランクスクリーン(真っ白なスクリーン)であることはできないのです。 「傾聴」という言葉は、人の支援においてよく使われる言葉です。 けれども、ただ傾聴されるだけで真に癒されたという体験を、一体どのくらいの方がされているのでしょうか。 実際、私は、傾聴だけじゃ物足りない、何か違うという話をよく聞きます。もちろん、これは、傾聴の有用性を否定するものではありません。 それよりも人間は、

          病態水準を見極める――本来の言葉を語ること