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はたけ、ありがとう

娘5歳、2年半のはたけライフが終わった。
おわりにしたのは私なのだ。でも寂しい。
寂しいと、思えるのは、その時間が宝物のようだったからだ。

コロナ禍、公園の遊具すらも閉鎖されるような世の中で、ずっと遊んできた友だちとさえ会おうといえず、どこにも属さない2歳児親子。行く宛のない二人きりの時間を救ったのは、畑だった。

畑にはスタッフさんがいて、いろいろ教えていただいた。
ニンジンは寂しがり屋なので少し触れる距離で間引くこと、トマトは脇目をとること、オクラがあんなに背が高くなること……等々。


ついでに美味しい話も教えてもらう。


間引いた大根や葉ものも美味しいこと、オクラの美しい花もオクラの味がすること、白ナスはステーキで食べるとほっぺたが落ちること。
野菜が美しいこと。

そして、2歳の娘は傍らで気が向いたら手伝い、バッタカマキリ、てんとう虫を見つけ、害虫であるところの青虫を連れて帰って愛でた。抜いたそばからニンジン、トマト、オクラ等々、バリバリ食べた。

4歳になる前のこと。
娘には夢があった。
育てた苺で誕生日ケーキを作る、という夢。
毎日毎日楽しみにしていたのだが、収穫できたのは5粒のみ。
そんな話をポロッとしたら、美人ベテランスタッフの中田さん(仮名)が、ちょっと待ってて!とどこかへ。スタッフ畑から、たくさん苺を収穫してきてくれた。
袋一杯の苺が、ありがたくて。
いつも温かい中田さんに、心底惚れた(女性)。




ある日、はたけのスタッフさんに新人さんが入った。新人さんといってもお孫さんがいるおじいちゃんスタッフ。
なぜか娘、初日でいっぺんにその方を好きになり、「山本(仮名)さん」ならぬ「山本よん!」と、失礼な呼び名をつけ、それに大袈裟に反応してくれるので大笑いして、その後もくっついてまわっていた。
ほんものの祖父たちには中々会えない時期。
いつも、スタッフさんたちの前で娘は本当にリラックスしていて、それをみるのが楽しかった。

畑の質問をすると、真面目に考えて、必ずベテランの中田さんを呼んでかわりに質問してくれる山本さん。そんな山本さんだったが、泥んこできるコーナーで、娘が穴を掘りせっせとバケツに水を流し入って、お尻ついて泥んこまみれなのをみかねて、「ちょっとやりすぎだー!」と大根のように泥から引っこ抜いてくれるのだった。


この大根を抜いた日は、既視感ありすぎて、千と千尋を観なおした


友人も一緒にやっていたときもある。終わったあと外でおやつ、たのしかった。
収穫に何人か呼んで一緒にやったときもある。里芋嫌いの子が、いももちぱくぱく食べた。
暑い日も寒い日も、自転車こいで後ろに娘乗っけて。少し遠いけど通っていた。
トンネルパッカーと、穴空きマルチを覚えた4歳。

仕事が忙しくて、平日行けなくなって、パパとの時間の折り合いつかなくて、限界は感じていた。
でも、行けばそこは大切ななにかを教えてくれる場所だった。
自然、命、人、子ども、うまくいくときもいかないときも、良いんだよと言ってもらえるような場所。手をかけることの大切さ、手を掛けすぎないあんばい。あの場所では、目と耳を向けていれば、安心して手を離せる子育て。

手放すけど、やめるけど。でも、決して無駄ではなかったと思う。ひとときでも、あの場所で、学び、育て、子育てできたことを、嬉しく思う。

ありがとう、はたけ。
スタッフさん、ありがとうございました。



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