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初めて後悔して泣いた娘と、害虫と。

正月休みに、思いきって家族旅行に行ってきた。
三泊4日のその旅は、楽しくも疲れるが、高揚した、癒しの旅であったし、それについての言及は控える。
2022年初回のnoteでかくのは、その後「やっぱ家は最高だよな」というシチュエーションで起こった出来事だ。

父母が、洗濯に、片付けにと奔走している間、娘(4歳)は久しぶりの家のおもちゃと、旅先でゲットしたおもちゃをコラボさせて、ノリノリで遊んでいた。
風呂にも入り、歯磨きしてもう寝ようか、という矢先、ふと、母は思い出した。

害虫のことを。

それは、キャベツを育てる母にとっては天敵。だが、虫めづる姫君である娘にとっては友達であり、ペットだった。

皆様はヨトウムシという虫をご存じだろうか。ご存じでないからといって、安易に検索するのはおすすめしない。
要するにそれは幼虫であり、成虫はヨトウガという蛾だ。
キャベツ白菜人参、なんでも食べる。
一昨年、モンシロチョウだと信じて連れて帰ってきた青虫がみるみる茶色いヌメっとした幼虫になり、さりげなく森に離した、アレ。

本当のやさしさってなんだろう。|さんご @GMKqK45tieDHxCy #note #子どもに教えられたこと https://note.com/sango522/n/n43c048931f9f


今回、こいつがヨトウガになると重々分かっていながらも、森に離した子が帰ってきたのかもしれないというファンタジーな優しき娘の思いを汲み取りたくて、覚悟して飼ってみた。

飼育ケースに入れた幼虫は、寒いなか、なんでもかんでもよく食べ、大きくなった。数日であっという間に飽きた娘が気まぐれにあげるキャベツや白菜で生き延び、
ある日、サナギになった。

こんなに早くサナギになるとは思わなかったので、驚いたが、申し訳程度の落ち葉の中に隠し、しばらく待つことにした。一週間過ぎ、二週間すぎ、年を越し、

そして、その日の夜、旅先から帰ってきたばかりとは思えない玩具のひろがりっぷりに落胆しながら、片付けはじめた矢先、

何気なくみた母がみたのは、小さな指先ほどの『蛾』の姿だった。

あ!羽化してる!と、思わず言ったものの、それは、すでに動いてなかった。

娘の顔が明るくなり、すぐに曇り、旅行行っている間に死んじゃったのかな……と言うと、

「どうして、旅行に行こうって行ったの?」と。
「どうしてママは旅行にどうしても行きたかったの?」
と責めはじめた。

だって、娘に楽しい思い出を作りたかったから。みんなで楽しく行きたかったから。

そういっても納得せず、 
「でも、ヨトウムシちゃんには、行かない方がよかったの?」
と。

旅行に行ったから、ヨトウムシを死なせてしまったと思ってる。
後悔してる。

「どうして、サナギの時に森に返そうって言わなかったの?
どうして、大人になったときの食べ物調べておかなかったの?」

娘、4歳8か月。
多分、こういう後悔は初めてだ。
取り返しのつかない事態に、どうしたら良いか分からなくて、『こうすればよかった、ああすればよかった』と思っている。
母がなんとかしてくれるもんだと思い、なんとかしなかった母が悪いという結論に持っていこうとしてる。
どうしたら良いのか。この気持ちをどこに持っていけば良いのか、きっと迷って攻撃に転じている。

そう感じたので母は、フォローしたり、ごまかすのをやめた。これは、娘の本当の気持ちに向き合ってみよう。付き合って、掘ってみよう。

「どうしてママは何もしてくれなかったのか、旅行に行ったのか、ちょこちょこみてくれていなかったのか」という旨の質問には、
「じゃあ、どうして、娘はヨトウムシが羽化するかもしれないから行かないって言わなかったのか、どうして娘こそちょこちょこみていなかったのか」と、質問で返してみた。

「まだまだ羽化するのが先だと思ってた。(ちょこちょこみなかったのは)、面倒くさかったから……。」自分の気持ちを正直に話してくれた。

「そうだね。ママもおんなじ、まだ羽化するのが先だと思ってたからね。
いろいろこうすればよかったとか、思うよね……」
ゆっくり話す。
「死んでしまったのは、もうもとには戻らないんだ。生き返らないんだ」

娘は口をへの字にして、「どうして……もしかしたら、まだ動いてないだけかも」
急いで、ヨトウムシをケースから出し、手のひらにのせる。羽を動かしてみる。つぎに足を動かし……というところで、足がとれてしまった。
はっとする……。

私は、固まる娘に「明日埋めてあげようか」と、そっとティッシュでつつむ。  

静かに頷く娘。
抱き締めると、少しずつ、肩が震えてきた。
次第に大泣きになる。

去年は、あっさりと見届けた死を。今年はこんなに感じている。
娘の成長を感じて、でも、かわいそうで、私まで娘と泣いてしまった。

ごめんね、ヨトウムシ。
 
娘はおんおん泣いた。

しばらく、悲しいね、と一緒に泣いて、
「旅行に行ったから死んじゃったわけではないんだよ。旅行は旅行。誰のせいでもないんだよ。
でもさ、畑で他の人のところにもしいたら、キャベツを食べる害虫だから、幼虫のうちに潰されちゃってたかも。娘が連れて帰ってきたから、成虫になれたんだよ。」
と伝えると、娘は、真っ赤な目で、私を見上げ、泣き止んで、
「卵の時に死ぬこともあるの?卵で死んだら一番かわいそうだよね、幼虫で死んだら2番目にかわいそうだよね。娘ちゃんが、育てたから、大人になれたの?」
と、気持ちを切り替え、持ち直した。

そうだね。そういいながら、「でも、今度飼う時は調べて、逃がしてあげられるようにしようね」と、話した。
私はちょっと冷静に考えていた。

私は娘に、今回の死を、どう伝えたいんだろう。娘のせいではないけれど、飼うからには娘が責任もってちゃんと飼うことも伝えたい。でも、旅行や、誰かのせいにはしてほしくない。
自分をせめてほしくないけど、軽々しく受け止めてほしいわけでもない。

今回、初めて「死」を意識し、大切なものを失う悲しさ、誰かを思って後悔して、涙した娘。

そんな複雑な感情が育っている。
それに対し、私はどう受け止めてあげるのが正解だったのかな?

もしかしたら正解はないのかもしれないけど。

私は、後悔とか相手や自分を攻めたい気持ちとか、そういうものの奥にある、『悲しい』というシンプルな気持ちに気づいてほしかったのかもしれない。その気持ちを抱き締めてあげたかったのかもしれない。
抱き締めるしかできないけど。

つぎの日、ヨトウムシを埋めてあげた。

ちらつく雪のなか、娘は優しく丁寧に、ヨトウムシを穴にいれ、土をかけてあげていた。

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