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清さと、濁り|「電車の発車メロディ」と「人間力」との共通点

先日、テレビ番組で「電車の発車メロディ」について特集していた。全国各地の様々なメロディが流れ「あ、聞いたことある!〇〇駅だ!」などと思いながら見ていたのだが、その中で印象深いことがあった。

「美しいだけの音楽」はダメ

何が印象深かったのかというと、それは「発車メロディのセオリー」である。なんと、意図的に「耳障りな金属音」などを混ぜて曲を作っているのだそうだ。知らなかった!

そして、もう一つ意外だったのが「ただ美しいだけの音楽はダメ」ということだ。美しいだけの音楽は、雑踏のザワザワ音の中に紛れて消えてしまうのだそう。なるほど。。「清さ」と「にごり」両方あることが必要なのか。

人間との共通点

この番組を見ながら、私はなぜか「今まで出会った、ものすごくチャーミングな先輩たち」をぼんやりと思い出していた。元上司などで、50代~70代の男性が多い。怖いときはメチャ怖いが、愛嬌と懐の深さもハンパないので、みんなに慕われている憧れの存在だった。

ここで、ふと思った。「発車メロディ」と「チャーミングな人」には共通点があるのではないか、ということだ。

「発車メロディ」は、「美しいメロディ」と「耳障りな音」とが混ざり合って出来ている。だからこそ「絶妙な深みと存在感」が生まれる。

人間も同じではないだろうか。
チャーミングな人って「ひたすら優しいだけ」でも「怖いだけ」でもない。様々な強い要素が混ざり合って出来ている。「懐が深く、器が大きい」「酸いも甘いも嚙み分けた」「清濁併せ呑む」という言葉がとても似合う、そんな卓越した存在感がある。

しっかりと歳をとりたい

改めて思う。この魅力は中年以上の特権だ。若い頃には、なかなか持ち得ない。歳を重ねることで深みと厚みを増していく。

そういう魅力って本当に素敵だ。そして、それがあると知るだけで、歳を取ることに前向きになれる。
若くて無垢なチャーミングさも良いけれど、成熟した深みのあるチャーミングさは、もっとずっと価値があると私は思う。与えられたものでなく、自ら紡いで磨いてきたものだから。

テレビを観ながら、そんなことを考えていた。

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