思春期と大人の間で。
男友達とよく深夜に出歩いていた。
職種柄、仕事は遅くまで終わらない日々。まともに遊べる時間は週末だけ。その週末すら休息を抜けば実質1日。憂さ晴らしを込めて、夜に時間を求めた。別にキャバクラも風俗も興味ないし、飲兵衛でもない。僕らはただ深夜の街を、ずっと話しながら歩いた。
夜の賑わいが静まった銀座、省庁の明かりが灯った永田町、若者がいない竹下通り、虫の音が響く深夜の代々木公園。そして疲れたら、遠慮もせずに「帰るか」と呟く。タクシーを捕まえてお互いを見送った。
ある夜、歌舞伎町をうろうろし、ゴールデン街の飲み屋を少し回った。深夜3時。花園神社の階段でアイスを食べながら、これからの仕事や人間関係、そして大人について話をした。
「こういうのっていつからできなくなるんだろうね。いつか、誘っても『悪い今日は帰らなきゃ』って断られるようになるのかな」
「うーん、やっぱり家庭持ったら難しいんじゃない?逆の立場から考えて、妻に『今から遊んでくる!』って深夜に出かけられるのも驚くし、自分でも負い目なくできる自信はない。もちろん個人の自由ではあるけど…」
「だよなあ」
「年相応に知っておく経験や場所があると思う。通過地点を正しいタイミングで乗り越えていくというか。年を重ねてからクラブに行き始めるのも不格好だし、コリドー街に繰り出すぞってのも気持ちが悪い。その辺は通ってもいいけど20代で卒業。その年代、年代で、開拓すべき場所や体験、過ごすべき時間があると思う」
「年代ごとに味わう“旬”ってあるよね。そして重ねていくうちに、人としての幅の広さや魅力も生まれる。仕事ができる先輩なんてザラだけど、この街はこの店が美味しいとか、この時間ならこういう楽しみ方があるとかも分かっててこそ熟れた大人。過ぎた旬を歳食ってから追い直すのが1番ダサい」
振り返ってみれば、感情にも旬があるんだと思う。若いときにしか抱けない感情。ドキドキしたり、強い怒りをぶつけたり、ぐちゃぐちゃに泣いたり。逆に年を重ねたからこそ感じる喜び、哀しみ。そして静けさ。過去に抱いた感情は、きっと10年後、同じように抱けない。
「いつからできなくなるんだろうね」と言っていた「いつ」は音もなくやってきた。お互い別に家庭も持っていないのに。今でも仲は良い。けれどある日を境に、2人で夜に出歩かなくなった。もしかするとあの行為自体がその時の“旬”であり、振り返ったら遠くにある場所なのかもしれない。20代後半。周りで結婚する友人も多く出始める焦りと、まだ自由を謳歌したい本音のバランスを保とうと「大人論」を語っていた夜。自分自身は変わっていないと思っていても、気づかぬうちに若さは溶け出していた。
「少年の成熟は、思春期(アドレッセンス)の脱却なくして叶わない」という言葉がある。そしてアドレッセンスの先に、大人(アダルト)があると。アドレッセンスとアダルトの間で揺れ動き続けながらも、僕らは少しずつアダルトに近づいてしまっているのかもしれない。
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