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ヘイトクライムを新たな手法で描く。【映画『イン・ザ・ホロウ』】


ある森の中で起きた、残虐な事件を映画化した『イン・ザ・ホロウ』。

今年6月に行われたLGBTQに対しての調査の中ではアメリカ人の70%以上の人々が同性間の関係に対する支持を表明し、
2022年12月には同性婚が明確に合法化する結婚尊重法案を可決したアメリカ。

そんなLGBTQ権利支持に奮闘するアメリカが、ここまで変わるようになったきっかけの事件を描いた本作。


今回は、『イン・ザ・ホロウ』で描かれた事件について、そして連邦法に与えた影響について触れながら作品の魅力をお届けしていきます。


ここから先はネタバレを含みますので、作品をご覧になってからお読みいただけると嬉しいです!

〈タイトル〉『イン・ザ・ホロウ』(原題:In The Hollow)
〈監督〉Austin Bunn
〈作品時間〉15分13秒
〈あらすじ〉アメリカの合衆国連邦法にまで影響を与えたある事件を追った物語。ドキュメンタリーとシネマチックなスタイルを融合させた感動の作品

SAMANSA


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◎ ヘイトクライムを描く【レベッカ・ワイト殺人事件】

実際のレベッカとクラウディア


1988年5月13日、ペンシルベニア州のミショー州立森林公園にて、レベッカ・ワイト氏とパートナーのクラウディア・ブレナー氏がスティーブン・ロイ・カーによって発砲されて死傷した事件。

劇中ではクラウディアは、発砲後動けないレベッカを置いて、助けを求めて歩き続けたと描かれていましたが、

実際のところ、クラウディアにはある心配事があったといいます。

それは、救助隊にレズビアンであることが明らかになれば救命措置を受けられないのではないかということ、そしてレベッカの性的指向が、まだ知らない彼女の親に伝わってしまうことでした。

1988年当時、アメリカのおよそ半分の州では同性間に性関係があることは違法であり、事件現場のペンシルベニア州はそこに含まれていなかったものの、依然として保守的な地域に変わりありませんでした。

幸い、明らかになることなく救助を受けられたものの、レベッカはすでに息を引き取っていたと言います。


スティーブン・ロイ・カー


警察の熱心な調査もあり、逮捕されたスティーブン・ロイ・カーは、ライフルを所持していたことは認めたものの、事件当日の朝に盗まれたと容疑を否認

泣き出しながら「なぜ俺にこんなことが起こるのか?」と発言するも、その後警官がクラウディアの生存を伝えると「逃げればよかった」と言い放ち、その後の裁判でも無言を貫き通すなど一切反省のそぶりを見せなかったのです。

さらには、スティーブンが以前に一人暮らしの女性に強盗殺人を犯していたことも明らかになり、また同性愛嫌悪者であったことが大きな話題となりました。

それだけではなく、スティーブンを弁護したマイケル・ジョージ氏も、「当時保守的なキリスト教徒の地元の人たちには、殺人事件よりもレズビアンの話題で盛り上がってもらうことを意識していた」と発言し、助長させたヘイトクライムに対して物議を醸したのです。




本作の監督オースティン・バン監督は、幼いころに参加していたボーイスカウトの中でペンシルベニアのアパラチア・トレイル(事件現場となった森)は危険だということをよく言われていたといいます。

そのため、きっかけとなった本事件に興味を持ち、前作の公開後すぐに直接クラウディア氏に映画制作の話を持ちかけました。

ただ制作において、従来の安っぽくて搾取的なドキュメンタリーではなく、クラウディア氏とレベッカの本来の関係を強調することで、過去に対する没入感と幸福を想起させたかったと主張しています。


◎ 同性愛者たちにとっての「森」

アメリカでは1970年代頃から自身の性的嗜好や性自認をカミングアウトするプライドムーブメントが巻き起こりましたが、1980年代に入るとその反動からか同性愛を嫌悪する風潮も蔓延していきました。

1981年にエイズで知られる免疫不全症候群が初めて確認された後、エイズと同性愛が関係しているという間違った見方が定着してしまったことも原因のひとつと言われています。

それに対してLGBTQの解放運動は自身のセクシュアリティに誇りを持つ「ゲイ・プライド」を掲げて運動を行なっていったものの、それでも彼らの人権や関係を保障する法律や憲法はなく、世間からの戸惑いや嫌悪とが大きく交錯していた時代だったのです。

そのため、多くの同性パートナーは人目を気にしなくて良い場所をデート先に選んでいました。

本作でも登場した森は彼女たちにとって唯一のくつろぎと本心を語り合える場だったのです。

ちなみに、劇中クラウディア氏がレベッカとのハイキングの中で「黒い蝶」を見かけたと語っていましたね。

日本では「黒い蝶」は死や悪い兆候を表すと言い伝えられていますが、
アメリカでは恋愛を含む幸運や良運を伝える生き物という見方もあるようです。

◎ ヘイトクライム統計法の難しさ

事件後、クラウディア氏は建築家として働きながら、自身の経験を活かすように動き始めました。

ヘイトクライムに対する罰則を強化し、LGBTQの人々に対する犯罪をヘイトクライムと分類するようにペンシルベニア州議員に働きかけたのです。

その成果もあり、1990年に制定されたヘイトクライム統計法

今回の性的指向や人種、宗教、障害者等特定のカテゴリーに属する人々に対する犯罪をデータ収集して解析するというもの。


現在もアメリカの司法省は、ヘイトクライムに関する統計を採取することが義務付けられ、アメリカ各州などから犯罪報告データをその統計によって年間約6200件の報告がありますが、

実際のところ、アメリカ司法省の司法統計局の全米犯罪被害調査によれば、それらの統計をはるかに上回るおよそ26万件のヘイトクライムが確認されているといいます。


こうした事態には、ヘイトクライムの認定は個々の捜査官に委ねられているため、主観的な見方になってしまうという問題が挙げられます。

また実際の犯罪行為よりもその動機の追求に偏向するようになり、被害者がレズビアンであったというだけでその意図がなかったとしても「レズビアンを殴った」という価値判断が加わってしまうことも問題ではないかと議論を呼んでいるのです。

司法や現場での混乱も見られており、施行から30年以上経過した現在でも、その適用の難しさが語られています。




クラウディア氏は1995年に著書『8つの銃弾』(原題:“Eight Bullets: One Woman’s Story of Surviving Anti-Gay Violence“を出版。
※日本語訳版での出版は未定。

この事件まで考えることのなかった、悩まされるPTSDや、自身の身の回りを巡るメディアの実態などを一人称視点で語り、多くの人に伝えています。


刑事司法制度やヘイトクライム統計法などによっていくら犯人を罰したとしても、
彼らが壊した関係や人は何も戻ってきません。

事件が起きてから動き出すのではなく、そもそもこのような残虐な事件が起きる前に人権を保障したり、正しくない考え方を改める機会を作るべきだと考えさせられます。


クラウディア氏とオースティン監督が勇気をこめてヘイトクライムについて伝えた本作『イン・ザ・ホロウ』、ぜひもう一度ご覧ください。

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