そると

生きづらく心身に不調和をきたした経験から、"生きること"を見つめたり、見つめなかったり。SNS LINK: https://salt2223.fensi.plus/a/blink/

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生きづらく心身に不調和をきたした経験から、"生きること"を見つめたり、見つめなかったり。SNS LINK: https://salt2223.fensi.plus/a/blink/

最近の記事

「素直」に自分を表現して、愛して、愛されたい

今年のテーマは「素直」だったりするの。 文字での表現媒体を別に持っていて、今はそちらが主体になっているので、noteを書く機会が減っていたりする。 こちらにR-18っぽい内容書けないし……(お前は何を書いているんだ!?) 正直、違う媒体の方が凄く反応があるし、「気取っていなくて面白い」。 「素直」さという言葉に繋げてみるね。 「気取っている」のを私はあまり好まなかったりするけれど、大人として生きる以上、そういう態度を取る場面が全くないとは言わない。 noteとかインスタと

    • それってほんとに"自分らしさ"?

      去年の12月中旬から、今年の初めにかけて、わたしはstand.fmの音声配信をストップしていました。去年の3月からずっと続けていて、活動を止めたのは初めてでした。 なんで、ストップしたの? わたしのなにかがそう言ったから!(攻殻機動隊?) ――個人的な事情はさておき、そのサイトの文化に染まりきる自分に嫌気がさした、という側面があります。 最初は良かったのです。でも、どんどん泥臭いことが分かっていき、なんとなくその中に染まり……。 これって、ほんとの"わたし"だっけ?

      • 社会に合わせすぎて、パニック障害になった

        察しが良すぎたわたしは、この社会に何もかもを合わせすぎて、体調を崩したの。 基本的に親の影響を受けてきたけれど、親はこの社会にうまく馴染んでるのね。一方、わたしは生まれつき、この社会に馴染む素養を持っていなかったの。 「お前がおかしい」と言われ続け、それを信じ続けたわたし。 もう、信じないけれど。 人間の歴史を紐解いて、今のわたしの立ち位置を知りたい。そして、これからどうやって生きていくのか、決断したい。 だから、学ぶんだ。歴史学を、哲学を、心理学を、経済学を、文学

        • 親の中にわたしがいる

          親を見ていると、その中にわたしがいる。 与えられた価値観。 今までの人生で、外の世界から押し付けられた価値観。 それらが親の中に埋まっていて、 それにいちいち「イラっと」してしまって、 ともすれば声を荒げてしまいそうになる。 でも、それは、わたしの中にある価値観と同じ。 同じだから、反応してしまうの。 何の共鳴もしないものには、そもそも「イラっと」なんてしない。 親にわたしと同じものが埋まっているから、 「イラっと」しちゃうの。 すべて、親のせいにしてた

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        • そるとが人生を考えてみた
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          すべてわたしのからだ

          髪の毛一本さえも、すべてわたしのからだ 足先から、爪の先っぽから、皮膚も、組織も、睫毛さえも すべてわたしのからだであって、他人に容易く預けるものではない この肉を纏って生まれてきたからには そういう自負を持ってもいいのではないか この肉がないと、ここに留まることはできないし 肉という"設定"すらわたしが選んできたものだから 今まで適当に扱ってきたこの元素の塊を "わたしのもの"として大切に扱う これが自然なのだと、今は思う 今までが雑すぎたね

          人生、感じたもん勝ち

          みんなが「美味しい」と言うご馳走があっても、わたしがそれを「美味しい」と感じないと意味がないように。 人生はわたしの感覚でできているから、感じられないとそれは"存在しない"のと同じになる。 だから、人生、感じたもん勝ち。 心身の調子を崩してしんどい時も 小説を書いて没頭している時も 音楽に感じ入っている時も 味を感じなくなって泣いていた時も 何も楽しいと感じられずに皮膚をつねっていた時も 人との別離に喘ぐ時も それはすべて私の感覚で。 落ち込みがあるほど、

          趣味を見つけて また気楽になった話

          最近更新していなかったのには、ひとつ、理由がある。小説を書きまくっていたのだ。 小説を書いて、体調が良くなった?話をしてみたい。わたしはパニック障害だとか適応障害だという症状を持っている……で、これはもしかしたらもう過去形になるかもしれない。 小説――わたしは昔からオタクだった。中高生の時は、ひたすらに小説を書きまくり、自分で読んでいた生活だった。 だが、いつの間にか、大人と言われる年齢となり、それらを捨てた。と、同時に、映画や小説、アニメなどのストーリー性があるコンテ

          女性性の取り扱いに、もにょる

          女性性は、受け取る力。 と目にして、女性のからだを持っているわたしは、今までの人生でどれだけのものを受け取ってきただろうか、だなんて考えてみた。 うん。 受け取ってないね。 だから循環がうまくいかない。 自分から取りに行くものは手に取るんだけれど、人からもらうものを、「ありがとう」と受け取れないんだ。 「申し訳ない」と言って、受け取り拒否している感じがする。 面倒くさいことに。 女性性よりも、男性性の方が、わたしにとっては使いやすい。 競争的、ド根性的なとこ

          適応障害 パニック障害 楽しんで暮らしたらいいんよ

          最近、適応障害とパニック障害の記事をたくさん書いてきたわけだけど、そこには意図がある。 正直、わたしはこの文字を使いたくない。 病名とか言われるやつね。 そういうのを忘れたとき、人は本当に健康になると思っているから。 だから、各種SNSの説明文で、わたしはこういった文字を使わない。 HSPとか発達障害とか、そういうのもまったく同じ。 そういうラベル付けを利用する分にはいいけれど、本当に"自由"に生きるためには、そんなラベルを忘れるくらいでいい。 むしろ、忘れたと

          パニック障害 わたしなりの向き合い方

          10年来のパニック障害について、「何か語ることがあるか」と訊かれたら「言うほどない」と答えちゃうかな。 でも、適応障害の記事を書いたので、折角なのでパニック障害についても書いてみたいと思う。 でも、正直、適応障害と一緒なんだよね。 適応障害は、会社のあれこれが重なって原因が明白だった。 ただ、それだけ。 初めて発作が出た時のことを、克明に覚えている。 うまくいかない就活。 大学内の会社説明会で、死にそうになったのだ。 あまりにもヤバいから、理由をつけて席を立っ

          適応障害 わたしなりの向き合い方

          適応障害と言われて1年が経過した。 ほわわんと過ごしてきて、「適応障害になる前より、生きやすくなってきたかも~」となったわたしの、適応障害との向き合い方を書いてみようかなあと思った。 まあ、別に、病気と向き合ってはいないんだけど、こういうタイトルにした方が分かりやすいかなと思ってさ。 "病気"と向き合う前に"自分"と向き合うべき。 病気なんて、人類が勝手に名付けたもの。 わたしのこころとからだの調子を、医者は勝手にそういう分類をつけただけで、病名自体は「どうでもいい

          有名になるより大切なこと

          他人の真似をして「有名になった」としても、きっとモヤモヤしちゃうだろう。 私自身の人生を健康に満足して生きていく。

          遊んだら 適応障害が良くなった

          適応障害とかパニック障害とか、そういうのと仲良かったわたし。 (不本意だけど) そんなわたしは、自分を心地よくお手当したり、楽しく遊ぶことがとても下手だった。 トイレや空腹を我慢したりと、あまりにも禁欲的に生きて「なにがたのしいんだっけ?」ってなったり。 「なんでそうなったの?」 と訊かれたら、「生まれつきの性質……?」と答えてしまう。 禁欲を捨てる。 「自分のお手当をする」許可を自分に与えなければならない。 そうじゃないと、なんちゃら障害と、もっとお付き合い

          みんな なんでSNS使ってるの?

          人に何かを教えるわけでもない 人を楽しませるわけでもない 人に影響を与えるわけでもない フォロワーやスキを集めたいわけでもない マネタイズを目指すわけでもない いま ここにいるわたしが 感じていること 考えていること を発揮したいだけなんだけど SNSというものの使い方が なんだか腑に落ちていないんだ だったら ひとりで日記を書いてても良いわけだよね 不特定多数の雑多な人と交流したいわけでもない (リアルでも付き合う人は選ぶよね) でも なんだか 

          何者でもない と認めてみる

          わたしは何者かになろうとしていたし 何者かなのかも と思っていたこともあった SNSで自己発揮するほどに わたしは ただのありふれた人間で 漫画のヒロインじゃないことを 身に沁みてわかってきた 何者でもないわたしは 単なるわたし "単なる"ってつけてみたけど わたしであることは 小さなことではなく わたしの心がけ次第で 小さくも大きくもなる だから 本来は無色透明なわたしという存在は わたし自身の味付けで どうにでもなるみたい でも 他

          「好きなようにやる」が難しい

          アダルトチルドレン。 なんてひとことで表すのは、味気ないけれど。 「好きなようにやる」が難しいわたしは、その気があるんだろうなー、と思っている。 「相手が何を求めているのか」察する能力がわたしにあるのかは分からないけれど、古い記憶によると、幼稚園の時から「察しようとしていた」。 「好きなようにやる」を全くしてこなかったわけではないが、日常の意志が希薄な部分は、"思い込み"に支配されている。 ご飯を食べる。 お風呂に入る。 掃除をする。 お出かけをする。 仕事